テーマ:石法如来の特別寄稿

石法如来の特別寄稿 「 法の句と『真実のやさしさ』」

ブログ「法津如来の独り言」で、12月17日に掲載された「SRKWブッダ「仏道の真実++」【普遍妥当なる道】(2)」の記事を拝読し、因縁を感じましたので少し書いて見ます。 私自身、法の句に関する体験談を2019年12月25日「善知識と法の句」と言うことで、記事を投稿したことがあります。・・・今から、丁度1年前のことです。   思い起…
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石法如来の特別寄稿  「この世の虚妄(偏向報道)と潜在意識(続)」

今年は、「新型コロナ騒動」に始まりそれに終わる一年になりそうです。日本は、アメリカやヨーロッパ諸国より感染者・死者数が二桁少ないのに、どうしてこれ程まで大騒ぎしているのか私自身は不思議で仕方がありません。その事象を仏教的に「虚妄(きょもう)」であると表現し、少し書いてみたいと存じます。 「この世の虚妄(偏向報道)と潜在意識」の記…
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石法如来の特別寄稿  「この世の虚妄(偏向報道)と潜在意識」

私は、もうすぐ70歳になります。思えば、随分長く生きてきたものですが「覚り」を得たのち、この世を見渡しますと特に「虚妄なるもの」の存在を痛感致します。分かりやすい事例を紹介しながら少し書いてみます。   今年は、「新型コロナ騒動」に始まりそれに終わる一年になりそうですが、今私が一番興味をもって見ているのはアメリカの大統領選挙のその後…
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石法如来の特別寄稿「覚り(さとり)について」

私は、朝方布団に入りながら「まどろみ」の中であれこれ考えるのが好きです。うとうととした中で、今回せっかく「名称と形態」について書いたのだから、参考になるよう関連する自分自身のことを少し書こうかと考えました。それで、題名を「覚り(さとり)について」としました。   「覚り=解脱」を達成したら、人間は「どのように変わるのか?」という点に…
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石法如来の特別寄稿「『名称と形態』の考察(その4)」

(その3)からつづく・・・。 以上、「「名称と形態」の考察(その1~その3)」でSRKWブッダの理法「名称と形態」を考察して参りましたが、当然理論を覚えただけでは何の力にもなりません。修行全般については、SRKWブッダの著書などをよく読まれるようにして下さい。   本記事の(その1)で、人間の意識のイメージを氷山に喩えて書きました…
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石法如来の特別寄稿「『名称と形態』の考察(その3)」

(その2)からつづく・・・。 SRKWブッダのホームページ、「覚りの境地」№006「名称と形態(nama-rupa:名色)」8行目に、「なお、名称と形態を現代の言葉で平易に表現するならば、次のように言ってよいでしょう。」とあります。 名称作用: 一切を認識したときに同時に生じるある種の心的余韻作用                …
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石法如来の特別寄稿「『名称と形態』の考察(その2)」

(その1)からつづく・・・。 SRKWブッダのホームページ、「覚りの境地」№006「名称と形態(nama-rupa:名色)」5行目に、「これらについて、原始仏典の別の表現(テーリーガーター:尼層の告白)では、名称を「刀」、形態を「串」のようだと形容しています。確かに、名称作用は自我を脅かしてこころを動揺させる刀のようなものであり、一方…
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石法如来の特別寄稿「『名称と形態』の考察(その1)」

SRKWブッダの説かれる教えは、難解と感じられる方が多いと思います。その中でも特に、「名称(めいしょう)と形態(けいたい)」は難しい概念です。理解が少しでも深まるよう、「名称と形態」について少し考えてみたいと存じます。   SRKWブッダの説かれる「名称と形態」とは、簡単に言えば「名称=個人的無意識」であり「形態=集合的無意識」であ…
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石法如来の特別寄稿「こういう事もあります・・・。 」

私は、61歳で仕事を終え長年希望していた仏道修行に専念出来る環境を作ることが出来ました。 ・・・ただ、そこに至るまで苦難の道のりがありましたので、それを少し書いてみたいと存じます。 自衛官の定年は早く、54歳で職場を去らなければいけません。私の場合、部隊の援護センターの御世話になり再就職は意外とすんなり決まりました。・・・自動車の運…
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石法如来の特別寄稿「生物学と仏教思想(三法印)」

最近私は、生物学者の福岡伸一氏の著書を数冊購入して読んでいます。福岡氏の著書を読みながら、you-tubuの動画も拝見し仏教思想に通じる部分を見つけましたので少し書いてみます。         生物学が言うことは、よく考えて見れば当たり前のことしか言っていないのですが、一生懸命研究している人の言葉は私にはとても新鮮に感じます。 例…
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石法如来の特別寄稿「この世の『苦しみと無明』」

仏教では、今住んでいる世を苦しみの世界であると観て「一切皆苦」(いっさいかいく・すべてのものは苦しみである)という言葉を使いそのことを表現しています。 苦しみとは何かと申しますと、「全て(一切のもの)は、自らの思うようにはならない」と言うことです。 確かに、何でも自分の思うように物事が運べば苦しみは無くなり、苦しみと感じることも無く…
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石法如来の特別寄稿「『名称作用』と新型コロナ騒動」

SRKWブッダの説かれる教えは、難解と感じられる方が多いと思います。その中でも特に、「名称と形態」は難しい概念です。今日は、「名称作用」について少し考えてみたいと存じます。 「名称作用」に関連し、私は以前の記事(「マインドコントロール」2020.4.18投稿)において、「マインドコントロールという言葉は、日本ではオウム真理教事件の…
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石法如来の特別寄稿「会えない人には会えない・・・が。」

 今から5年ほど前、ある1冊の本に出会いました。著者は曹洞宗で坐禅を長いこと修行し、後にミャンマーのテーラワーダにおいて出家し、そこにおいて瞑想のメソッドを最終段階までやり遂げたというRY氏のことです。 私は、彼の著書を読み内容に興味を持ったので主宰している「座禅会」への参加を申し込みました。と言っても、私自身は「長時間の坐禅修行」そ…
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石法如来の特別寄稿「こころの平安を求めて 」

私は以前の記事(「少年時代の思い出・・・そして音楽に救われる.(2020.9.1)」)に,幼少期に「両親の離婚」という出来事がなかったなら、私は仏教とは無縁の人生を歩んでいた可能性が高いと書きました。 仏の教えと無縁でいられる理由は、幼少期の衝撃的な体験が無ければ自分自身の心底に不安感として根付いた「ある種の精神的外傷」と向き合う必要…
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石法如来の特別寄稿「境涯と因縁(その1:因縁)」

因縁(いんねん)という言葉だけ聞いても、普通の人は「漠然としたイメージ」しか抱けないでしょう。・・・普通に考えて、この世の事象が結果として眼前に現れるときと言うのは「結果=その結果を生み出す原因(因)と、それを助ける条件(縁)」が必要で有り、何の原因も条件も存在せず結果という事象が現れ出ることは無い・・・すなわち、「眼前の事象が偶然に出…
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石法如来の特別寄稿「境涯と因縁(その1:境涯)」

私は、この世に生を受けてもうじき70年になります。平和だった、日本という国の歴史上一番良い時代に生まれ育ち、戦後の高度成長期も経験し豊かな日常が築かれた事を思い出します。 私は覚り以前にも、自分自身が生まれ育った境涯を「天上界」に近いものであったと振り返っています。読者の皆様は、自分自身の境涯をどの様に捉え・考えておられるでしょうか?…
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石法如来の特別寄稿「不可思議な夢(師の交代)」

人生長く生きていると不可思議な現象に出会うことはあり得るとして、私が今日語ることも「その様な内容」で話が出来すぎているように思いますが書いてみます。 私が、不可思議な夢と題して語ろうとするのは、仏教を学ぶに当たって最初の師となった阿含宗の桐山靖雄氏の夢を見たことなのですが、その件について現在の師(SRKWブッダ)に夢の内容記事を書…
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石法如来の特別寄稿「私の『発心(ほっしん)』」

「私の発心」と言う内容で記事を書こうと、ワンギーサ先生(法津如来)とやり取りしたメールを見ながら過去を振り返りました。 メールのやり取りは、2017年7月1日から始まりましたが、先生の懇切丁寧なご返事・教え・その他諸々が無ければ現在の私は存在しませんが、今思えばやはり縁が深かったんだなと思わざるを得ません。 私は覚りを得る以前、…
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石法如来の特別寄稿「人(ヒト)は誰でも変身出来る。」

「人(ヒト)は誰でも変身出来る。」・・・それは、私自身が実際に10代後半から20代前半にかけて経験したことです。そのことについて書いてみます。 「両親の離婚」による精神的ダメージから抜け出すことの出来なかった10代の私は、「いつ、この世から消え去っても不思議ではない」存在でした。・・・それが、音楽の楽しさと喜びを通じて人生の意義に…
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石法如来の特別寄稿「少年時代の思い出・・・そして音楽に救われる。」

少年時代の思い出・・・そして音楽に救われる。 私は、仏教に関する限り35歳から自分独自の道を歩んで参りましたが、長い年月仏道を歩み続ける原動力となったのは少年時代の衝撃的なある出来事がきっかけです。 その衝撃的な出来事がなかったなら、私は仏教とは無縁の人生を歩んでいた可能性が高いです。 私の人生史上最も衝撃的な出来事とは…
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石法如来の特別寄稿「この世の真実・・・そして『この世の虚妄に生きる』」

石法如来の特別寄稿「この世の真実・・・そして『この世の虚妄に生きる』」 「この世の真実」を明らかにすれば「覚り=解脱」を達成出来るという。・・・言葉としては決して難しくはありませんが、実際問題として「この世の真実を明らめる」人間は多くはないでしょう。 何より、衆生にはこの言葉の意味が良く理解出来ないでしょうし、決して世間…
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