経典の主要部分 ワン爺の独り言(2018年1月1日) 「一般に、経典には方法論は記されていない。経典の主要部分は、覚りの境地がどのようなものであるか言うことと、〈道の人〉(覚った 人)がどのような人であるかについての説明が占めている。」とSRKWブッダは述べています。 http://www.geocities.jp/srkw_buddha/riho… トラックバック:0 コメント:2 2018年01月01日 続きを読むread more
世の経典の「真偽を識り分けて」 ワン爺の独り言(2017.5.30.) 「この世にはまさしく如来が説いた理法の言葉を記した真実の経典もあれば、そうではないものも存在している。」とSRKWブッダは述べておられます。そのため、経典の真偽を識り分けなければならない。 http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou125_sub.htm… トラックバック:0 コメント:1 2017年05月30日 続きを読むread more
経典を縁として覚りの境地に近づき至ることがある ワン爺の独り言(2017.4.15.) 初期仏教の経典であろうが大乗仏教の経典であろうが正法の書かれている本物の経典であれば、読誦して我がものとするならば、その経典を縁にして悟りの境地に近づき至ることがある。それをSRKWブッダの理法で知った。 http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou085… トラックバック:0 コメント:1 2017年04月15日 続きを読むread more
「文字」を機縁として覚りの境地に至る ワン爺の独り言(2017.3.19.) 「文字を機縁として覚りの境地に至るのは間違いないことである。もし、文字が無ければ、誰ひとりとして覚りの境地に至ることは無いであろう。」とSRKWブッダは述べます。それを学びましょう。 http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou065.htm (以下… トラックバック:0 コメント:2 2017年03月19日 続きを読むread more
教判(きょうはん)=教相判釈(きょうそうはんじゃく) ワン爺の独り言(2017.3.18.) 教判は教相判釈の略で、仏教経典をその時期・形式・内容などによって分類・体系化し、相互の関係や価値を判定して仏の究極の教えがどこにあるかを解釈することです。教判について学んでみましょう。 http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou064.htm (以… トラックバック:0 コメント:2 2017年03月18日 続きを読むread more
落ち着いて 経典の意味 説く比丘の 語る言葉は 甘味なりけり(363) ○子供のためのダンマパダ。 ・・・ たまにはお坊さんのお話を聞いて下さい。 話しの下手なお坊さんがいますが、 分からないことを質問すれば、 がんばって教えてくれるはずです。 ○パーリ語原文と訳語 ヨー ムカサンヤトー ビック Yo mukhasaṃyato bhikkhu, その… トラックバック:0 コメント:5 2013年01月23日 続きを読むread more