ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)

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zoom RSS 50.他人のあらは詮索する必要はない

<<   作成日時 : 2009/12/06 20:59   >>

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ダンマパダ 第4章 花 50

他の人々の過ちと
為したこと為さなかったでなく
自分の為したこと為さなかったことを
観察すべきだ


〇超訳の試み

自分のことを棚上げせずに
よく観察して、修正すべき
他人のあらは詮索する
必要はありません


〇子供のためのダンマパダ

人の悪口を言わないで
自分のしたことや
しなかったことを
反省しよう





〇一口メモ

 この詩は私にとって非常に大切な詩なのです。ちょうど50番で何かがあると思い出します。私たちは無意識にいつも自分は正しいと思っています。通常自分が間違っているとは思いませんから、もちろん自分のした行為やしている行為が間違っているとは思いません。それで、他人の行為に関心を向けているのです。そして、ここが悪い、あそこが間違っていると常に他人の批判をやっています。このような自分の態度を度々気づかせてくれるのがこの詩なのです。

 また、私は僧侶という立場上、人の悩みや苦しみの相談に応じることが度々あります。人間関係の問題もかなりあります。その時多くは他人のことで悩んでいるのです。それは主に二つのケースがあります。

 一つは他人の行為が自分に気に入らないのです。自分はこうすべきだと思っているのに、他人がそのようにしないのでそれが気に入らないのです。それで悩んでいるのです。他人がどうするかは他人の自由なのです。他人は自分の思うようにはしてくれません。ですから、これが悩みになっています。人の心はその人にしか変えられません。それなのに他人の心を変えようとしているのですから、それは無理なことです。この悩みのおかしさは本人には分かりません。そのような時私は、この50番の詩を引用してお釈迦さまの基本的な考えを説明します。それで、かなり納得する方が多いのです。

 もう一つのケースは、親が子供を心配するような場合です。親が子供を心配するのは自然なことですが、ある程度大人になった子供の場合は、はじめのケースのように、子供は子供の考え方、希望や好みがありますから、親のいうことは聞きません。子供に自分の意見を押し付けるよりは、意見の違いから、自分の考え方を点検して、自分のこだわり、執着を発見するとよいのです。自分のこだわりが分かると気持ちが楽になり、子供との関係も改善されることになるのです。

 その他、この詩は日常生活において非常に応用範囲の広い教えだと思います。瞑想に関しては当たり前のことで、瞑想中、観察すべきは自分のことなのです。

 「子供のためのダンマパダ」について。「人の悪口を言わない」は八正道の正語の一つです。人の悪口をいうのは、他人の行為の詮索をしているからです。他人の行為より、自分の行為に注意を向けていれば、悪口は出てこないはずです。また、人に慈しみの心を持っていれば、悪口は言いません。悪口を言わないことを実践するだけで心は非常に成長します。ですから、子供に悪口を言わない習慣を持たせることは重要です。

 「自分のしたことや しなかったことを 反省しよう」に関しての一つ注意すべきことがあります。仏教では後悔や落ち込みは、心を汚す悪行為と考えています。反省という行為が後悔や落ち込みになってはいけないのです。反省は明るくしなければなりません。反省から学び、次の行為を改善するようにしなければいけません。


〇この詩に関するスマナサーラ長老の説法

「他人ばかり観たがる心」 〜客観的判断と主観的判断〜
http://www.j-theravada.net/howa/howa16.html


〇前回の「この詩から学ぶこと」

他の人の過ちでなく自らが行ったことを観察すべき
http://76263383.at.webry.info/200902/article_2.html

〇パーリ語原文

50.
ナ  パレーサン ウィローマーニ
Na   paresaṃ   vilomāni,
でなく 他人の   過ちを
ナ   パレーサン カターカタン
na    paresaṃ    katākataṃ;
でなく 他人の    為したこと為さなかったこと
アッタノーワ  アウェッケッヤ
Attanova     avekkheyya,
自分の こそ  観察すべき
カターニ アカターニ     チャ
katāni    akatāni        ca.
為したこと 為さなかったこと と

〇今回の詩のパーリ語について、日本テーラワーダ仏教協会のホームページに「ダンマパダ輪読会 文法事項のまとめ( 記録文責;柴田尚武 先生 )」がありますので是非御参照下さい。
http://www.j-theravada.net/sakhi/Dhp44-53.pdf


〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜
〜生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように〜
〜生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように〜
〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜



◎お願い:今回の詩に共感された方は、ページ右上の『仏教』をクリックをお願いします。そうすると、仏教ランキングのランクが上がります。ランクが上がると多くの人の目に留まりやすくなり、ダンマパダの認知度が高まるからです。

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
ワンギーサさん、おはようございます。読書してる時は人からとやかく言われません。本を読む時、共感したところに、線を引いたり、折り目を入れたりする癖があります。スマナサーラ長老の著書を初めて読んで感動し、折り目などつけた箇所は今でも残ってます。それは大抵、自分のことを棚上げしたり、誤魔化したりするためだったことがわかります。ワガママで融通が利かないと、「友達がいなければ独りでもいい」というような箇所に共感してました。また「怒り」や「高慢」な気持ちが強いと、「○○教は×だ」みたいな批判(のように感じられる)箇所に共感してます。金持ちに対する「嫉妬心」も長老がものの見事な論理でやっつけてくれてます。自分のしたことは感情的でした。ではどうする?理性(智慧)で理解するには?それは、全くノーマークだった箇所に改めて注意してみることでした。「有意義な生き方」に「食べ物の哲学」がありますが、さらっと目を通しただけで、完全ノーマーク。つまりそこでは「無知」が強く機能してます。「八戒」を始めたキッカケとなりました。他人なんかより遥かに面白いです。有難うございました。

2009/12/07 03:52
人の悪口を言ってしまったりする時は、内心「悪いことした」と思ってしまいます。しかし、仏教という「お面」をかぶった「悪感情」は非常にタチが悪いと思います。上記コメントしたように。スマナサーラ長老の著書に鋭い論理、明快で痛快なものを感じてしまいまい「スカッ」としますが、それが「果たして自分の心の弱味や人間関係のトラブル、怒りや高慢などの悪感情を正当化するために悪利用されてないか?」という点については今後も最大限に気を付けていきたいと思います。説法についても勿論しかりです。有難うございました。

2009/12/07 04:45
それは『困った時はダンマパダ』を読む時もそうです。共感したら、「欲や怒り」で共感していないか?に注意してないと大変なことになると感じてます。有難うございました。

2009/12/07 04:52
ワンギーサ師、皆様おはようございます。
確か以前に某有名プロ野球選手や大金持ちの商人の幾人かは「小さい頃から(親にしつけられて)人の悪口を言ったことがない」という人生観を持たれていると聞いた事があります。なるほど、悪口を言わない事は「集中力が散漫せず、内に心の安楽」を確実にもたらすと僕は思いました。世間(政治や社会)に物を申すにしましても、先ず自己観察したうえで、自分の心が「怒り」がない状態で、慈しみの心で、建設的な提案のような発言が出来ればベストだなと僕個人は感じました。
Attanovaのattan(自己)+ va(こそ)のところで
vaは普通、〜の如くという訳しか僕は思いつかなかったのですが、この詩偈でvaには強調(eva)の意味があることを学ばせて頂きました。
「まさに自己『こそ』観察すべき」なんですね。
ありがとうございました。
ワタナベ
2009/12/07 04:53
他人の事をよく観察して色々言う方は珍しくありません。ですが自分の事を観察している方は少ないように感じます。
本文の「反省は明るくしなければなりません。反省から学び、次の行為を改善するようにしなければいけません」を自分を観察してそしてそれが出来るように精進したいです。
身の丈修行者
2015/07/21 07:23
今回も
明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪
たか坊
2016/07/12 02:59

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