ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)

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zoom RSS 133.134.粗暴な言葉を言うなかれ

<<   作成日時 : 2010/02/10 21:31   >>

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ダンマパダ 第10 暴力の章 133、134

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


粗暴な言葉を言うなかれ
言われた者は汝に言い返す
怒りを含む言葉は苦なり
汝に鞭が戻ってこよう

あたかも壊れた銅鑼(どら)の如く
自ら沈黙しているならば
汝はすでに涅槃を得た者
汝にはもはや怒りは見られず


(片山一良先生 訳)

○超訳の試み

乱暴な言葉を使うなかれ
言われた人々は言い返すだろう
怒りの言葉は不愉快である
報復が汝に及ぶだろう 

こわれたドラのように
汝自身が冷静であるならば
これが涅槃の境地である
汝には怒りの言葉はない


○子供のためのダンマパダ

「バカ、カバ、カボチャ」などとは
言わないように
「お前の方がバカだよ」と言い返される
だから悪口は言わないように

悪口を言われても
ぐっとがまんして
黙っている子はすばらしい
立派な大人になるだろう




○一言メモ

 人間の行為には三つあります。仏教ではそれを、身、口、意という言葉で表現します。身は身体による行為です。口は口による行為、すなわち言葉による行為をいいます。意は心による行為、すなわち言葉や行動(身体による行為をこの言葉で表現します)に表れる基になる思いを言います。言葉や行動に表れない思いだけもあります。

 この三つの行為のなかで、仏教では意(心)を重視します。どんな言葉も行動もはじめに意があり、
意が導き、意によって為されると考えています。修行して自分の意(心)をよく観察できるようになれば、他人も心を分かるようになりますが、他人の心はわかりにくいのです。

 しかし、言葉や行動には、心の外に音や形として表れるので、他人にも分かるようになります。他人はその時、言葉や行動の基になった心を感じとるのです。怒っている時の言葉には怒りのエネルギーが感じられるのです。粗暴な言葉、乱暴な言葉には怒りのエネルギーがありますから、それを浴びせられた人は怒りのエネルギーで反発します。反発された怒りのエネルギーを受けるのも苦しいのです。

 ですから、粗暴な言葉、乱暴な言葉ややめた方がいいのです。しかし、怒っている時の言葉には怒りのエネルギーがありますから、怒っている時はとにかく、話さない方がいいのです。行動も起こさない方がいいのです。怒った時は何もせずに、怒りを静めることが大切です。

 口による行為を制御するためには、心を制御することが必要です。怒りの言葉を浴びせられても、「自すから沈黙している」あるいは「冷静でいる」といるということは、怒りのエネルギーに反発する怒りの煩悩が心にないと言うことです。このような人は涅槃に達していると言っていいのでしょう。

 「子供ためのダンマパダ」について言えば、涅槃に達した人は、「ぐっとがまんして」ということはないのでしょうが、子供でも怒りが起こらないないように、「ぐっとがまんして」、何もしないようにしているという態度は立派です。見習うべきでしょう。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

言葉は核燃料か 〜感情混じりの言葉は核廃棄物です〜
http://www.j-theravada.net/howa/howa55.html


○前回の「この詩から学ぶこと」

乱暴な言葉を使うな不愉快だ言われた人は言い返すだろう
http://76263383.at.webry.info/200904/article_3.html



○パーリ語原文

133.
マーヲーチャ パルサン カンチ
Māvoca     pharusaṃ  kañci,
なかれ 言う  粗暴な  誰にも
ウッタ−    パティワデッユ タン
vuttā       paṭivadeyyu   taṃ;
言われた人は 返答する   あなたに
ドゥッカー ヒ  サーランバカター
Dukkhā   hi   sārambhakathā,
苦    まさに 憤激ある話は  
パティダンダー プセッユ タン
paṭidaṇḍā     phuseyyu  taṃ.
棒の返報が 触れるだろう あなたに

134.
サチェー ネーレースィ アッターナン
Sace     neresi      attānaṃ,
もし    動かさない   自己を
カンソー ウパハトー ヤター
kaṃso   upahato    yathā;
銅鑼   壊れた    ように
エサ パットースィ ニッバーナン
Esa   pattosi    nibbānaṃ,
この 到達した者  涅槃を
サーランボー テー  ナ  ウィッジャティ
sārambho     te    na  vijjati.
憤激は   あなたに ない 見出さ

○詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

〜私は幸せでありますように〜
〜私の悩み苦しみがなくなりますように〜
〜私の願いごとが叶えられますように〜
〜私に悟りの光が現れますように〜
〜私は幸せでありますように(三回)〜

〜私の親しい人々が幸せでありますように〜
〜私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように〜
〜私の親しい人々の願いごとが叶えられますように〜
〜私の親しい人々にも悟りの光が現れますように〜
〜私の親しい人々が幸せでありますように(三回)〜

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜
〜生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように〜
〜生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように〜
〜生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように〜
〜生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)〜

〜私の嫌いな人々も幸せでありますように〜
〜私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように〜
〜私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように〜
〜私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように〜

〜私を嫌っている人々も幸せでありますように〜
〜私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように〜
〜私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように〜
〜私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように〜

〜生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)〜


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

◎お願い:今回の詩に共感された方は、ページ右上の『仏教』をクリックをお願いします。そうすると、仏教ランキングのランクが上がります。ランクが上がると多くの人の目に留まりやすくなり、ダンマパダの認知度が高まるからです。

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コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは

子供のためのダンマパダ

立派な大人になっても、ぐっと我慢して、

我慢した、そのあとに、仏法をワンギーサさんのように

伝えらっる事は、なみなみならぬ、ものと思います

生きとし生けるものが幸せでありますように



巾着飴袋
2010/02/10 21:44
これは全くその通りで、133偈は実社会で見られる通りの現象だと思います。134偈でそれに対しての仏教からの立場・姿勢を喩えで持って示しておられるところが感心致しました。実社会では多くの人々は「怒り」というものをまだまだ(当然として)正当化し、「生きる原料・エネルギー」にしていると思われます。そんな中で「怒ることの現実の不利益性」「不怒の利得」を言い表している短いこの詩偈は、心あるものにとって至言になるものと思われます。
『悪口を言われても
ぐっとがまんして
黙っている子はすばらしい
立派な大人になるだろう』

素晴らしい作品ですね。
結局僕も立派な大人になれませんでしたが。。。(^^;m( )m これから棺桶に入るまで少しづつ精進しようと思いました。
ワタナベ
2010/02/10 22:31
怒気を含んだ言葉を自ら吐きちらすのは、言語道断として、罵声を浴びせられたときに、言い返さずに我慢するのは、なかなかできるものではありません。その場では、なんとかこらえて我慢できても後々まで怒りが沸騰し続けてしまうのが、凡夫の情けないところです。
しかし、なにも言わずにいると「何を言われてもヘラヘラしている」と、さらに悪口を言われたりするので、凡夫は煮ても焼いても食えませんな。人間の世界も厭なところです。
私は、幼いころから気が弱くて、いじめられたり悪口を言われても言い返すことができませんでした。社会に出てからは、多少、理不尽なことには反論めいたことも口にできるようになりましたが。今、こうして仏教を学んでいると、また、沈黙を守らねばなりません。(苦笑)
自分の少ない経験からみても、怒りを口にしても良いことは一つもないと言えます。
名古屋人
2010/02/10 23:19
ワンギーサさん、おはようございます。相手に罵声を浴びせられた時どうするか?人生振り返ると、さすがに冷静かつ沈黙を守ることはありませんでしたが、三通りのパターンがありました。1・ムキになって反論する。2・内心怖くて黙っている。3・なぜか冷静に対応する。やはり、1が一番多く2が次ですが、1は最悪で喧嘩になりました(苦笑)。2の場合は、やはり相手に伝わるのです。こちらの反応を楽しんでるようです。そして、3の場合は数少なく、そもそも何故その時冷静でいられたのか、自分でも分かりませんです。しかし、こちらが冷静でいると相手の方が恐怖心を抱いてしまうようでした(そう見えただけで、我に帰ったという方が正解かもしれませんが)。さんざん怒鳴れた挙句、突然「すいませんでした」と謝られてしまうような感じです。〜課題はいつ怒られても冷静でいられるような「心」を作ることです。難しそうですが、それに頑張ってみます。有難うございました。

2010/02/11 03:58
おはようございます。私の場合、あからさまに侮辱(軽蔑語)されるときは、わりと冷静でいられることが多いと思いますが、さらりと流される侮辱は、その瞬間怒りを感じ、すぐに言葉で反応しがちです。しかし、相手に意図がなくとも勝手に自分が感じているだけかもしれません。まさに自作自演の怒りです。これでは相手にも迷惑かかりますので、やはり怒りを感じてしまったときは、「黙っていること」に限りますね!
トム
2010/02/11 05:47
子供のためのダンマパダを拝見し「悪口を言われても ぐっとがまんして黙っている子はすばらしい」が、僕は大人ですが出来ていない事を反省しました。
悪口等を発する相手のエネルギーに同調する・・方が容易なのかもと思います。そうならずに自分を律して、怒らずに・冷静で、又はぐっと我慢が出来るように努めたいです。
こころざし
2015/08/16 07:30
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪
たか坊
2016/12/08 23:57

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