ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)

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zoom RSS 煩悩と 心の迷いと 善悪捨てた 目覚めた人に 恐れはないよ(39)

<<   作成日時 : 2012/04/15 04:19   >>

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阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


アナワッスタチッタッサ
Anavassutacittassa,
煩悩のない心の人に

アナンワーハタチェータソー
ananvāhatacetaso;
心に混乱がない人に

プンニャパーパパヒーナッサ
Puññapāpapahīnassa,
善悪を捨てた人に

ナッティ  ジャーガラトー   バヤン
natthi   jāgarato      bhayaṃ.
ない    覚醒した人に   恐怖は


○直訳
煩悩のない心の人に、
心に混乱のない人に、
善悪を捨てた人に、
覚醒した人に、恐怖はない。


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。

http://76263383.at.webry.info/200911/article_28.html
http://76263383.at.webry.info/200901/article_25.html


○一口メモ

この詩は、心の特徴として、心は怖がりであることを教えています。
なぜ、怖がるのでしょうか?

煩悩のある心は怖がるのです。
煩悩を欲と怒りと無知に分けて考えましょう。
欲があれば、欲が満たされないのではないかと恐れます。
また持っているものがなくなったり、へったりしないかと恐れます。
怒りがある時は、自分の生存が脅かされないかと恐れるのです。
無知がある時、どうなるか分からないので、恐れがあるのです。
これらの煩悩がない人には恐れがないのです。

混乱のある心は恐れます。
煩悩の無知と同じ心です。
心は分からない時は、何が起こるか分からないので、不安で恐ろしいのです。
混乱のない心とは、分かっている心で落ち着いているのです。
混乱のない心には恐れがありません。

善悪を捨てた心(人)について考えましょう。
仏教では心(人)の成長を、戒、定、慧の三段階で考えます。
つまり、道徳を守る段階、心を浄化する段階、智慧を開発する段階です。
(分かりやすいように、区別しますが、平行して進む部分もあります。)
道徳を守る段階では、何が善で、何が悪か知る必要がありますので、善悪を捨てるわけにはいきません。
心を浄化する段階は、煩悩をなくす段階です。
智慧を開発する段階、この段階では善悪などの価値観を捨てて、すべてありのままに洞察するのです。
善悪を捨てた人とはこのような人で、恐れはなく、あるのは事実のみです。

これらの人を覚醒した人というのです。当然おそれはありません。

「煩悩と 心の迷いと 善悪捨てた 目覚めた人に 恐れはないよ」


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
先生、皆様おはようございます。

今回の記事を読ませていただいて、心の特長、修業の方向を確認させていただきました。

慈悲の瞑想は一人で落ち着けるところや、邪魔にならないところで教えていただいた方法でやり、複雑な作業や寝ているとき以外はひたすら念じるようにしようと思います。

やってみると案外生活するうえでは支障がありません。本当に意外でした。
そうじ
2012/04/15 04:57
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。

ブログが楽しみで、毎日予習(?)してます。
善悪を捨てた人、とはどういう意味なのだろう…と思ったのですが、今日の説明で納得しました。ありのままを観察すると、善悪の区別さえなくなってしまうものなのですね。
すごいことだと思いました。
カエルくん
2012/04/15 05:19
仏教の善と悪は、世間の善と悪と重なるところはあれど、完全に一致している訳ではないところは注意が必要だと思います。


世間の善と悪は、仏教と違い、いい加減なところがあるので注意です。


お釈迦様が瞑想が最大の善行為といわれても納得出来ない人が多いのは、世間の価値観に引っ張らているということと、実践はめんどくさいという怠けが原因だと思います。


慈悲と智慧
2012/04/15 10:14
慈悲の瞑想について質問があります。

私は今日慈悲の言葉を念じながら、自転車で出掛けたり、落ち着いたところで座って慈悲の瞑想や座る瞑想をしたり、いらないものを処分したりして過ごしました。

その中で、このような疑問がでました。

慈悲の瞑想は座って特定の心を育てて念じることが一番正しいのでしょうか?もしその場合、せっかくの日曜日を怠けて過ごしてしまったことになります。

確認させていただければ有り難いです。
そうじ
2012/04/15 20:40
そうじさん、こんばんは。
慈悲の瞑想(実践)はどんな所でも、どんな時でも、また部分的に行っても、心を育てる効果があります。もちろん、落ち着いて行える時は、背すじを伸ばして座って実践してください。ヴィパッサナー瞑想などは、騒がしいところや、落ち着かない時は難しいのですが、慈悲の瞑想は、その気さえあれば、できる強力なかつ効果のある瞑想です。ですから、やり方はあまり気にせずに行ってください。
余談になりますが、私はカミナリや豪雨でヴィパッサナーに集中できない時は、慈悲の瞑想に切り替えて行いました。
ワンギーサ
2012/04/15 21:02
ワンギーサ先生ありがとうございます。
先生を見習って私も励みます。

わたしは慈悲の言葉を念じて過ごす中で、自分のことも仏教のことも、ものすごく誤解していたと気付きました。
そうじ
2012/04/15 21:14
経済、健康、…、
心配すればきりがありませんが
心をきれいにする練習という
いかなる状況でもできることに出会えて
だいぶ落ち着いてきました。

これからもおごることなく、
急がず、止まらず、お稽古していきます。

***

カエルくん、予習というのもいいですね。
学ぶたびに新しいことに気が付きます。
少しは成長しているのでしょうか。^^
あすか
2012/04/16 06:10
こちらで学ばせて頂き・実践する中で、心の動揺や恐れ的なものが減っている印象を感じています。
私事ですが先日「私に●●しないと○○になるよ」的な事を言われましたが(スジが通っていない話でしたので)、変わりなく通常通りに接しています。その人はこちらの顔色を見て、普段と変わらない様子にあれ?となった様子でした。
本文の「道徳を守る段階、心を浄化する段階、智慧を開発する段階」を拝見し、自分を振り返りますとまだまだと修行不足を感じます。少しでも日々成長出来るように努めたいです。
こころざし
2015/10/21 06:17

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