ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)

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zoom RSS この世界 空っぽであると 見る人を 死王見ること ないのですよと<1119>

<<   作成日時 : 2015/12/09 03:42   >>

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○少年少女のためのスッタニパータ<1119>
・・・
この世界は空っぽである。
これはが本当のことです。
いろいろ変化している現象は
あなたが作った物語です。


第5 彼岸に到る道の章 16.モーガラージャ経(モーガラージャ学生の問い)4.

○中村元先生訳
1119
(ブッダが答えた)、
「つねによく気をつけ、
自我に固執する見解をうち破って、
世界が空なりと観ぜよ。
そうすれば死を乗り越えることができるであろう。
このように世界を観ずる人を、
<死の王>は、見ることがない。」


○正田大観先生訳
1126.(1119) 
〔世尊は答えた〕
「モーガラージャンさん、常に気づきある者として、
世〔のあり様〕を『空である』と注視しなさい。
自己についての誤った見解を取り去って、
このように、死魔〔の領域〕を超え渡る者として存するのです。
このように、世〔のあり様〕を注視している者を、
死魔の王は見ません」〔と〕。ということで――(4)


○パーリ語原文
1125.
スンニャトー     ローカン    アウェッカッス
‘‘Suññato       lokaṃ      avekkhassu,
空として       世間を     観ぜよ

モーガラージャ   サダー   サトー
mogharāja       sadā     sato;
モーガラージャ    常に    よく気をつけて

アッターヌディッティン   ウーハッチャ
Attānudiṭṭhiṃ         ūhacca,
自我の邪見を        取り去って

エーワン   マッチュタロー    スィヤー
evaṃ      maccutaro       siyā;
このように   死を渡る       であろう

エーワン    ローカン    アウェッカンタン
Evaṃ      lokaṃ      avekkhantaṃ,
このように   世間を     観ずる者を

マッチュラージャー   ナ    パッサティティ
maccurājā         na    passatī’’ti.
死王は          ない   見(ない)・と


○一口メモ
いよいよ、モーガラージャさんの質問に対する答えです。「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界が空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない。」これがその答えです。

答えの中心は、「世界を空と観ずる人を<死の王>は見ることはない。」ということになります。では「世界は空である」とはどういうことか分からなければ、この偈の意味は分からないのです。後にこの「空」は大乗仏教で空の哲学として究明することになります。

しかし、ここではパーリ経典相応部第四巻第2部4章第2節の「空経」を参考にして考えてみましょう。アーナンダ尊者のブッダへの質問の始めの部分を引用します。以下の世間という言葉はパーリ語ではローカで世界と同じ言葉です。

「尊い方よ、『世間は空である、世間は空である』といわれていますが、いったいどの点から、『世間は空である』といわれるのですか」と。
「アーナンダよ、実に我について空であり、我に属するものについて空であるから、それゆえに、世間は空といわれる。アーナンダよ、我について空であり、我に属するものについて空である、とは何であるか。
アーナンダよ、実に、眼は我について空であり、我に属するものについて空である。色は我について空であり、我に属するものについて空である。眼の識別作用(眼識)は我について空であり、我に属するものについて空である。眼と色と識別作用との接触(眼触)は我について空であり、我に属するものについて空である。また、眼の接触によって生じるところの、楽と感じること、苦と感じること、苦でもなく楽でもないと感じること、それもまた我について空であり、我に属するものについて空である。

(以下同様な内容が耳、鼻、舌、身、意について述べられます。そして、結論は次の通りです。)

「アーナンダよ、実に、我について空であり、我に属するものについて空でから、それゆえに、世間は空であるといわれるのである。」」
(春秋社版:原始仏典U相応部経典第四巻182p:から引用)

以上を読んでも分からないと思う方は、空を難しく考えずに、「空っぽ」と思って下さい。空っぽに対しては欲も起こらす、執着もないのです。そのような人には欲はないのです。ですから悪魔は見ることが出来ず、悪魔の支配から離れているのです。

ブッダは解脱した人の境地(涅槃)を「空」で説かれましたが、その際も修行者にとって一番大切なこと、「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って」、そうすれば、「世界は空である」と分かるという形でこの偈を述べられたのです。

モーがラージャ経は今日で終わり、明日からは最後の質問者のピンギヤ経が始ります。


この世界 空っぽであると 見る人を 死王見ること ないのですよと<1119>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


〜〜〜〜〜〜お知らせ〜〜〜〜〜〜

◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090−2311−9317に御連絡下さい。


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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます。
自我を元に見るのが日常の私ですが、その自我のもとになる認識自体がねつ造的なものという事は、冥想をすると感じる事があります。
ですが、自我を元にした固定概念はしっかりと根を張っており、それを打ち破るのは容易ではありません。
本文の「・・よく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って」が出来るように精進したいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
こころざし
2015/12/09 06:30
モーガラージャ氏の度重なる質問に対して釈尊が3度目にして答えたのは、そのあり得べき答えが「空と観ぜよ」というものであり、これが無所有処とどう違うのかの説明が難しいことによる。また、実際、無所有処は覚り(=解脱)には属さず、その先にも覚り(=解脱)は存在せず、すなわち無所有処にこだわる者が覚ることはついにないからである。

この根本的な点について質問者の理解が進まないと、決定的な答えを与えることができないということである。ここにおいて、モーガラージャ氏は、心底では無所有処は覚り(=解脱)ではないことに気づいているであろう。そうして、氏は知りたかった本当の答えが無所有処とは全く関係のないところに存在していることを根本において理解し得たと考えられ得る。氏は、さらに問うことは無かったからである。

***
SRKWブッダ
2015/12/09 08:33
俗世間の次元になりますが、同じ出来事に遭遇しても、自分と他人とでは全く解釈が違うことがあります。
 現象には実体がない→現象は捏造→現象はわたしが作った物語と順に考えると理解しやすくなりました。
エル
2015/12/09 21:45
オカルトを嫌う人は、不思議なことに空も嫌うことが多いです(笑)
目に見えないものが存在する可能性も、あらゆる存在の根本的な空性も受け入れられないんですね。
今の自分を肯定できるなら中途半端な世界認識であっても構わない、深く考えるのが怖いということでしょうね。

仏教徒なら怪奇現象なんて当たり前のことであって、慈悲の瞑想の効果もレベルの高い人は本当に凄いみたいですが、私程度でもそういうものに出くわすと相当な感慨を抱くものです。これはそんな現象自体も自分の中では一つの生命現象のようなものと捉えているためかなと思います。
それぞれの体験が初めての遭遇でもあり、永遠の別れでもあるという空性、一期一会性からくる感慨かなと。まあ人間という汚れたものよりも間接的に現れる霊的な現象の方がより素直に感動できると(笑)
いずれにしても日常的な体験もオカルト的な体験も現象という意味では同じでしょうね。
シンプルなネズミ
2015/12/09 23:45

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