ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)

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zoom RSS 執著を離れかし(執着を離れなさいよ)

<<   作成日時 : 2017/04/29 04:24   >>

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ワン爺の独り言(2017.4.29.)
今回はSRKWブッダの理法「執著を離れかし」をご紹介します。このテーマは先日2017年4月26日に紹介した「こだわりを捨て去ること」と似ていますが、「覚りの境地に至ることを目指すのだという執着」について問題にしています。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou098.htm

今回の理法の引用の前に、昨日の「聡明なる人」の中の二つの文章に注目したいと思います。

その一は、「また、かれは、すでに起こってしまったことについては、それが何であれ、それがそのように起こったことを善しとし、それがそのように起きなかったとしてもそれを善しとするのである。」
私はこのことがこころから理解できるならば悩みはなく、出来なければ悩み多い人生を送ることになると思うのです。

その二は、「かれは、自分を含めた人々(衆生)が自分ならざる何かに突き動かされた(無我なる,=人無我なる)存在であることをこころに知っているからである。」このことが理解できれば、慈悲心、平等心が自ずから現れると思います。ですから、改めてここに再度引用しました。


(では以下に今回の理法を引用します。)

【執著を離れかし】

人は、覚りの境地に至ることを目指すのだという執着があってこそ道を歩み始めるのである。そして、それが執着にもとづいて始められたことであるとしても、心構え正しくありさえすれば、かれの歩み始めたその道は必ずや真実に至る正しい道へと結びついて、まさしく仏道を歩むことになる。なんとなれば、人は実にそのようにしてこそ<慈悲>や<平等>を知ろうとする(正しい)熱望を起こし得るものなのであり、しかし最終的には、そのようにして確立し完成した<平等心>によって、覚りを目指すのだという執着心を含めたあらゆる執着心を捨て去るに至るからである。

しかしながら、もし人が、覚りの境地に至ることを目指すのだという執着に執着し、手段が目的化するなどして、そのことについて執著を起こすに至ったならば、そのときに限り、かれがそのままにおいて覚りの境地に至ることはあり得ないこととなる。かれの歩む道は、手段を選ばないものとなるからである。

それゆえに、すべてを知る人は語るのである。すなわち、最終的には捨て去ることができる執着心こそが覚りを目指す人が抱くに相応しい執着心であり、最後まで捨て去ることのできない執着心、すなわち執著を起こすに至る執着心は、正しからざるもの、不実なるものなのであると。実に、これらは似て非なるものであるからである。

たとえば、字を書くことが上手になりたいと願う人があったとき、練習によって望み通りに字が上手くなる人もいれば、練習するほどに癖字になってしまうだけの人もあるであろう。似て非なるそれぞれの結果を生じたおおもとの違いを何かに求めるとするならば、それはかれらそれぞれが歩んだ道そのものの違いに求めるべきではなく、それぞれの人の「心構えの違い」にこそ求めざるを得ないであろう。人が覚りの境地に至るかどうかも、同様である。それゆえに、もろもろの覚者は、「それは各自の心構えの違いにのみ帰せられるのだ」と語るのである。

覚りの道は微妙であり、人々(衆生)の思惟・考研・分別・念慮・努力の範囲を超えている。もし人が、覚りの境地を自らの身に体現することを欲するのであるならば、『それは執著を離れたところにこそ見いだされ得るのである』と知って、自ら起こした執着を最後には捨て去らねばならない。

こころある人は、正しく捨て去ることにこそ利益(りやく)と功徳とがあるのだと知って、執著を離れかし。
(以上引用)


※ワン爺のコメント
「覚りの境地に至ることを目指すのだという執着」は正しい執着です。しかし、その為の方法(手段)に執着してはいけない。方法(手段)に執着すると道を誤るということです。人は方法(手段)に執着する傾向がありますから注意すべきです。
もう一つ注意すべきことは「心構え」です。これについては2017年3月12日のブログ記事に引用しました。
http://76263383.at.webry.info/201703/article_12.html
「心構えの違い」については2017年3月13日のブログ記事に引用しました。
http://76263383.at.webry.info/201703/article_13.html

そして、最後は「もし人が、覚りの境地を自らの身に体現することを欲するのであるならば、『それは執著を離れたところにこそ見いだされ得るのである』と知って、自ら起こした執着を最後には捨て去らねばならない。」と知らなければならないのです。


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