ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)

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zoom RSS 自ら得意とするところのものによって「煩い、憂い、苦悩」するのである

<<   作成日時 : 2017/04/08 04:14   >>

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ワン爺の独り言(2017.4.8.)
人々は、自分の不得意によって、「煩い、憂い、苦悩」すると考えていますが、SRKWブッダは、そうではなく、得意とするところのものによって「煩い、憂い、苦悩」すると言われています。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou079.htm


(以下引用)
【煩い・憂い・苦悩のもと】
人々(衆生)が苦悩する様は、まさしく次のとおりである。

○ものごとを思考によって計らう人は、結局は思考によって煩い、憂い、苦悩する
○ものごとを感情によって計らう人は、結局は感情によって煩い、憂い、苦悩する
○ものごとを直観によって計らう人は、結局は直観によって煩い、憂い、苦悩する
○ものごとを感覚によって計らう人は、結局は感覚によって煩い、憂い、苦悩する

すなわち、人々(衆生)は、自ら得意とするところのものによって煩い、憂い、苦悩するのである。人々(衆生)は、欲望にもとづき、思惑を生じ、あれこれと奔走して、ついに執著を起こす。そしてその執著するところのものによって煩い、憂い、苦悩しているのである。

それゆえに、もし人が、あらゆる煩いから解放されることを望み、あらゆる憂いを払拭することを願い、あらゆる苦悩を滅することを欲するのであるならば、執著するところのものを捨て去らねばならない。それは、自ら得意とするところのものについてのこだわりを離れることに他ならない。

人が、そのようにしてあらゆる煩いから解放され、あらゆる憂いを払拭し、あらゆる苦悩を滅するに至ったならば、かれはそれ以前に抱いていた(未だととのえられざる)理性、感情、直観、感覚などの世間において種々の分別を生じるよすがたる根底のそれの虚実と真実について、その全貌を理解するに至る。

そしてかれは、それ以後においては、理性、感情、直観、感覚などの心理機能を敢えて抑制することなく、抑制する必要がなく、むしろ自在に働かせて、いわばととのえられた理性、ととのえられた感情、ととのえられた直観、ととのえられた感覚と呼ぶべき出世間の識見のよすがたる根本のそれによって世を平らかに見渡し、一切の分別を超え、為すべきことと為すべからざることとを知って行為において誤りなく、つねなるやすらぎに住するのである。

人々(衆生)は、苦悩に安住している存在に過ぎない。しかしながら、人々(衆生)は、その苦悩から解脱することができるである。
(以上引用)

※ワン爺のコメント
人間の得意とするところは、性格と関係があります。ということは「煩い、憂い、苦悩」のもとは、人間の性格と関係があります。
思考型の性格の人の苦悩などのもとは思考(理性)がもとになっています。
感情型の性格の人の苦悩などのもとは感情がもとになっています。
直観型の性格の人の苦悩などのもとは直感がもとになっています。
感覚型の性格の人の苦悩などのもとは感覚がもとになっています。

性格タイプについては次のアドレスのブログ記事(四つの徳目と四つの性格タイプ)を参照して下さい。
http://76263383.at.webry.info/201701/article_20.html

最後になりましたが、本日4月8日は、大乗仏教の言伝えではお釈迦様の誕生日(花祭、灌仏会)であるとされています。テーラワーダ仏教の伝統では五月の始め満月の日がお誕生日としています。どちらにしてもお釈迦様の誕生日といわれている日はお祝いしたいものです。


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