ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)

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zoom RSS 「学識」ある人は語られた言葉を真摯に受け止め理解する

<<   作成日時 : 2017/04/09 04:16   >>

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ワン爺の独り言(2017.4.9.)
「学識」の意味を辞書的でなく、生きた言葉として理解する必要があると思います。まさに「学識」の本当の意味は単に多くの物事を知識として知っているということでなく、他人事でなく当事者として受け止めていることです。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou080.htm


(以下引用)
【学識】
たとえ、それが自分にではなく他の人に向けて発せられたものであろうと、尊敬されるべき人が発する欠点のない、あるいは欠点のある言説を聞き及んで、それがあたかも自分に向けて語られたものであるかのように真摯に受け止め、その真意を(こころに)理解する人があるならば、かれこそ学識のある人なのであり、かれの学識はつねに増大することになる。

その一方で、尊敬されるべき人が人に向けて発した理法に適う、見事に説かれた、欠点のない言説を、その人自身が(直接に)聞いたにも関わらず、それがあたかも他人事であるかのように思い為し、受け止めず、あるいは曲解し、その真意を理解しない人があるならば、かれは学識において欠けるところがあるのであり、かれの学識は増大することがない。

学識において欠けるところがある人は、世間におけるさまざまなことについて多くの束縛を受け、自分ではそうとは知らずに多くの塵をまき散らす。かれは、世間のしがらみと業(カルマ)とにこころが絡め取られて、束縛を脱するすべを見失い、好んで世間の束縛に浴し、種々のことがらに触れては歓喜の念を起こすのである。そこには、悲哀と不吉なことがつきまとっており、心は何ものかに突き動かされて安まるときがなく、結局は苦悩に満ちた人生を送ることにならざるを得ない。

もし人が、一切の束縛を脱することを願い、苦悩を滅し尽くしたやすらぎの境地に至ることを欲するのであるならば、学識ゆたかな人々につきあうべきである。学識ゆたかな人々は、学識を増大させようとこころから望む人を温かく迎えてくれるからである。人の学識は、そのようにしてこそ増大し、互いにことわりを聞かせてはひとしくニルヴァーナに至ることになるのである。
(以上引用)


※ワン爺のコメント
これから、私は非常に膨大で精緻な問題を簡単に大雑把に語ろうとしています。
ですから、正しく正確に理解したいと思う方は唯識を各自勉強して下さい。
では、大雑把に話します。唯識には三性説があります。
それは、@遍計所執性、A依他起性、B円成実性です。
@遍計所執性:もの事はバラバラに存在しているという見方
A依他起性:すべての物事は他に依存して成り立っているという観方
B円成実性:覚りの境地になると、単にA依他起性というのではなく、一つのまとまりがあることを覚ります。
以上を前提に学識を考えますと、他人の言説を他人事と見る人は@遍計所執性に留まります。他人の言説を当事者として、真摯に受け止める人は、A依他起性の理解に至り、更に一切の束縛を脱することを願い、苦悩を滅し尽くしたやすらぎの境地に至ることを欲する人はB円成実性の理解に至るのだろうと思います。故に、学識を正しく理解することは大切です。


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