ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)

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zoom RSS 一切世間を「忌むこと」によって、忌むべからざる真理に到達するのである

<<   作成日時 : 2017/05/12 04:24   >>

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ワン爺の独り言(2017.5.12.)
今回のSRKWの「忌むこと」という理法の言い回しは難しい。なぜならば、目の塞ぎ、耳の塞ぎを厭わずにいながら、ある時は目を塞がず、耳を塞がずにいなければならないからです。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou109.htm


(以下引用)

【忌むこと】

もし人が、世間において遭遇するさまざまなことに対して目を塞ぎ、耳を塞ぎ、同時に口をつむがないのであるならば、かれがそのままにおいて覚りの境地に至ることはついにない。なぜならば、人は世間においてさまざまに遭遇する出来事の中の一大事を縁として覚りの境地に至るのであるからである。すなわち、もし人が世間において遭遇するさまざまなことに対して目を塞ぎ、耳を塞ぎ、同時に口をつむがないのであるならば、そもそも一大事に遭遇することが無く、それゆえにかれが覚りの境地に至ることもあり得ないこととなるのである。

しかしながら、ある人が日常において遭遇するさまざまなことに対してつねに目を塞ぎ、耳を塞ぎ、同時に口をつむがないことを厭わずにいるゆえに、まさにそれゆえにそのようなかれが一大事に遭遇するに及んで、自ら目を塞がず、自ら耳を塞がず、同時に自ら口をつむんでいるという稀有の行為を為すのであると言えるのであり、日常および一大事のそれぞれの時に応じて自由自在に、しかも理法に適ってかくあるべく振る舞うのは、かれが明知の人であるゆえのことであると知られることになる。

それゆえに、覚りの境地に至ることを目指す人はこのことわりをこころに知って、世間において遭遇するさまざまなことに対してつねに目を塞ぎ、耳を塞ぎ、同時に口をつむがないことを厭わずにいるべきであり、しかも時として目を塞ぐべきではなく、耳を塞ぐべきでもなく、同時に口をつむいでいるべきだと言えるのである。

けだし、人は一切世間を忌むことによって、忌むべからざる真理に到達するのであると言え、それがつねにそうであることが法(ダルマ)に他ならないのである。


[補足説明]
『忌み言葉』の真実について考究することは、このことわりを知るのに役立つことでしょう。

[補足説明(2)]
出離、無瞋恚、無傷害についての省察は、このことわりにもとづいて起こるのだと知られます。

(以上引用)


※ワン爺のコメント
今回の「補足説明」と「補足説明(2)」の意味は難しいと思いますので、正しい解説とは断言できませんが、参考のために私の考えを述べてみましょう。
「補足説明」
『忌み言葉』の例として、「死」を考えてみましょう。私たちは「死」を嫌っています。ですから、「死」について考えたり、死という言葉を出すことを憚っています。しかし、真実を知ろうと思うものは、死を見つめ考察すべきなのです。
「補足説明(2)」
出離:出離の本当の意味は情欲から離れることです。情欲は人との関係において現れるのでありますから、人々を避けて一人でいては、出離はできないのです。
無瞋恚:怒りがないことですから、人との関係で現れる瞋恚は人を避けていては実践できません。
無傷害:人を害することがないということですから、人を避けていては実践できません。


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