ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)

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zoom RSS 「省察」及び「省察のよすが」

<<   作成日時 : 2017/05/14 04:00   >>

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ワン爺の独り言(2017.5.14.)
今回はSRKWブッダの理法「「省察」及び「省察のよすが」を引用致します。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou111.htm
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou111_sub.htm


(以下引用)

【省察】

人は、世間において自ら経験したさまざまなことについて如何なる思惟・分別を行ったとしても、それらによって直接にも、間接にも、超越的にさえも覚りの境地に至ることはあり得ない。しかしながら、覚りの境地に至ることを目指す(正しい)熱望を起こした人が、他の人の行為はさておき、他ならぬ自らの行為について正しい省察を為すならば、かれは覚りの境地に至る正しい道を確かに歩んでいるのであると認められる。

そして、覚りの境地に至ることに役立つ、正しい省察とは次のものである。

○ こだわりを離れることについての省察
○ 怒らない(怒りに心を鷲掴みにされない)ことについての省察
○(人を)傷つけないことについての省察

もし人が、これらの省察を為し、為し遂げるならば、かれはついに人と世の真実を自ら識り究め、以て世俗を出離し、離貪して、すみやかに覚りの境地に至ると期待され得る。

この覚りに役立つ正しい省察は、<観>においてこそ為されるべきことであり、こころある人はこのようにして<観>を完成させなければならない。やすらぎに至る道を求め、歩まんとする人は、決して人を悲しませてはならない。省察の要諦は、このことに尽きるのであるとこころに領解し、自らの道を浄めかし。


【省察のよすが】

他ならぬ自らの行為について省察することは、つねにニルヴァーナに役立つ。それは、心の束縛を解き放つ道の糧となるからである。実に賢者は、省察によって行為の自由を獲得する。それは決して独りよがりなものではなく、人のこころに確かなうなずきをもたらすものである。

慎しみがそのあり得べき省察の機縁である。正しい心構えが慎しみを生じるよすがである。そして、明知が正しい心構えのもといである。

それゆえに、すでに真理の実在をこころに知った聡明な人は、明知によってあり得べき究極の省察を完成せよ。

(以上引用)


※ワン爺のコメント
理法を学ぶ際は、言葉を正しく理解する必要があります。ですから、言葉の意味を正確に知らない場合には、辞書で調べるべきです。
そこで私は「省察」を広辞苑で調べてみました。読み方は「せいさつ」と「しょうさつ」があるようです。
意味は「自分自身を省みて考えめぐらすこと。」と書いてありました。
この理法から、正しい省察によって、観を完成させるべきであり、その際大切なことは、「決して人を悲しませてはならない。」ということであると理解しました。

「よすが」も広辞苑で調べてみました。
よすが[縁・因・便]とあり、三つの意味が記載されていました。この場合はBですのでそれを引用します。
「B物事をするのに、たよりになること。手がかり。(以下例文を省略)」
ですから、「省察のよすが」は「省察にたよりになること。或は、省察の手がかり」となります。
「省察のよすが」は「慎み」「正しい心構え」「明知」であると言えます。


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