ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)

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zoom RSS 確かな「道しるべ」とは何かほとんどの人は知らない。

<<   作成日時 : 2017/05/24 04:17   >>

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ワン爺の独り言(2017.5.24.)
何が確かな「道しるべ」かSRKWブッダは今回の理法で述べておられる。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou122.htm


(以下引用)

【道しるべ】

ここなる人が、他の人の所作・言動・振る舞い・態度などを見て、「かれは楽しそうである」と思うよりも、「かれは寂しそうである」と感じたとするならば、それは実にめぐまれたことなのである。それは、およそ人がひととして生まれ歩む人生において行うべき正しい省察の大いなる糧となり、かれをして自ら不滅の安穏へと導き至らしめる確かな道しるべとなるからである。

そして、そのようにして世間をわたるかれこそ<遍歴の行者>と称すべきであり、かれはそれにふさわしい現証を体現して、実際にもそのように称されることになるであろう。それがそのように起きることは、そのようにめぐまれていたという最初の時点にこそ求められるのである。

それゆえに、明知の人は、人と世の真実(=すがた)を見極めて、大いなるめぐみを我が身に体現せよ。

(以上引用)

※ワン爺のコメント
少し重い話になりますが、私が中学一年生の時、私の両親は離婚しました。今から60年くらい前ですから、今ほど離婚はなく、恥ずかしく、人には言えない私の秘密でした。私は寂しい思いをしていたのです。私はある時、友人に「なぜそんなに楽しいの」と言われました。私はその時、唖然としました。私は楽しいどころか、悲しい思いをしていたのです。しかし外から見れば、楽しそうに見るのだなと。その後、ドイツのことわざに、「踊る者必ずしも楽しからず」と言うことわざがあることを知りました。
そのような過去のおかげで、今回の理法の言葉、「ここなる人が、他の人の所作・言動・振る舞い・態度などを見て、『かれは楽しそうである』と思うよりも、『かれは寂しそうである』と感じたとするならば、それは実にめぐまれたことなのである。」は、真実だと確信します。
「それは実にめぐまれたことなのである。」とは、真実が見えているということです。

また、この理法の最後の文章の「人と世の真実(=すがた)」については、SRKWブッダは、その解説(すがたと無明の消滅)を用意しています。実は、「すがたと無明の消滅」は「見いだされるべき特相」の関連する理法だったのですが、私はこの重要性をよく理解していなかったので、省略したのでした。しかし、今回「道しるべ」を学んで、少しわかるようになりました。ですから、明日、「すがたと無明の消滅」を引用する予定です。


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