ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)

アクセスカウンタ

zoom RSS 観(=止観)のヒント

<<   作成日時 : 2017/08/02 11:16   >>

トラックバック 0 / コメント 1

ワン爺の独り言
今回の理法は観(=止観)のヒントとして、一つの公案が提出されています。公案をよく知らない方は「なぞなぞ」のようなつもりでとけば良いと思いますが、実は奥が深く、観(=止観)の方法の一つになるということです。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou179.htm



(以下引用)


【観(=止観)のヒント】



ここに公案の形を借りた観(=止観)のヒントを記す。こころある人は、取り組んでみるがよいであろう。



 『闇夜で、ある人が気が遠くなるほど高い崖っぷちのすぐ横を平行して歩いている。彼はまさかすぐ横に崖があるなどとは夢にも思っていないのだ。その様子をあなたが見たならば、あなたはどのようにしてその人を崖から落ちないように助けることができるだろうか』


(以上引用)


*ワン爺のコメント
今回の公案の「闇夜で、ある人が気が遠くなるほど高い崖っぷちのすぐ横を平行して歩いている。」このある人は衆生の姿だと思いますが、これらの衆生をどのように助けるか? 衆生は「あなた」をすぐには信用しません。ではどのように助けるか? 止=定が完成すると観が完成するそうです。また、よくわかると一般的な答えでなく具体的な答えがわかるそうです。是非皆様も取り組んでください。

最後に、公案についてSRKWブッダは次のように述べておられます。これも参考にしてください。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana034.htm


(以下引用)

【公案の功罪】



いわゆる公案を解くことによって、覚りの境地に近づく人があるのは確かなことである。なんとなれば、公案に取り組むことは観(=止観)の一方法であると認められるからである。実際、世にはよくしつらえられた見事な公案が確かに存在している。



しかしながら、人は公案を解くことによって覚りの境地に至るとは断定的には言えないことである。けだし、人が覚りの境地に至ることは、一切の手続き的なことがらを離れた、不可思議なる因縁によっているのであると知られるからである。そしてまた、世に広く狭く知られたさまざまな公案の中には観の役には立たないもの(つまり公案とは言えないもの)も多く含まれており、道の歩みの頼りにはならない。



それゆえに、聡明な人は、公案によって覚りの境地に至るなどと考えてはならない。たとえ取り組んだその公案が、観に役立つ、公案と呼ぶに相応しいものであったとしても、人が公案を解くということにこだわってあり得べき観(=止観)を為さないのであるならば、それらはすべからく人を迷わせる悪魔の説と化してしまう。



不滅の安穏(=ニルヴァーナ)を求める人は、知識によらず明知によって道を見極め、学問によらず学識によって真実を知り明らめよ。修行者は、人としてのあり得べき観を為し、自分ならざる何ものにも頼ることなく、他ならぬ自らによって自分自身を円かなやすらぎへと至らしめよ。 たとえ、公案を縁として覚りの境地に至った人がいることを耳にしたとしても、だからといって公案が修行に役立つ特別なものであると見なしてはならない。 

公案へのこだわりを離れることそれ自体が、最後の一関たる究極の公案の一つの真意に他ならないからである。

(以上引用)









テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
直感タイプの方は公案は苦手だろうと思いますが、苦手だからこそ、役立ち、早やかに歩めるかもしれません。

どうしても、公案が苦手な方は、ノートとペンを使って、自分の「新たな発見」をダルマに見出したときなどに、その要点を見やすくまとめておくことが役立ちます。

パソコンのテキストにまとめたことも役立ちますが、B6サイズくらいのノートは、図式化して書き込むこともできますし、いつも側に置いておけば、不意に疑問が出てきたときなど、すぐに過去の要点と照らし合わせて見ることができます。(書いたときの意識も蘇ってきます。)

このように、自分の直感や思考したことを言語化したり、またその言語化した内容を意識化したり、ダルマ(理法)に再確認したりすることが思考の中だけで起こるのではなく、実際(シチュエーション)化して理解されえます。

その途中ででてくる快・不快、イメージなどは別の手帳などに記録しておいてもかまいませんが、これらは、こだわらずに、感情化、執着化しないことです。

上記の「新たな発見」が、人と相対する場面(シチュエーション)での発見となることがあります。これが公案と似た効果があるのかもしれません。

なかなか疑問が解決せず、疑問が長期間続く場合がありますが、このどうにもならないことの解決策の代用が公案なのかもしれません。

どうにもならないことは、人と相対する場面ででてくることが多いのです。

そういった場面で、どうあれば良いかが判れば、解決への方向性に間違いがなかったということです。
Satya
2017/08/02 19:15

コメントする help

ニックネーム
本 文
観(=止観)のヒント ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる