石法如来の特別寄稿:ワクチン接種が進んでいます・・・が。(その2)

ワクチン接種により、期待された抗体値が時間の経過とともに低下し、やむなくアメリカ・イギリス・イスラエルなどでは3回目のワクチン接種(ブースターショット)が進められているようです。
 
参考動画では、NOBOクリニックの龍見昇(たつみのぼる)院長が「3回目のブ-スターショット」は危険であると警告を発しておられます。
ちなみに、イスラエルでは8月1日からサードショット(3回目接種)が始まり、それによりコロナ死者が増えているという内容です。
 
ジョンズホプキンス大学のロバート・ヤング博士によると、ワクチンは重金属とか酸化グラフェンなどの添加物で構成されており、簡単に体外に排出されないように作られているそうです。
重金属や酸化グラフェンなどのワクチン内容物が、接種回数を重ねる毎に体内に蓄積され副作用が出る確率が増すと述べておられます。
 
日本国内では言論を封殺されておりますが、ワクチン副作用による死者及び重篤な症状に陥った人間が数多く出現しています。
細部は、ブログ「泣いて生まれてきたけれど」をご覧になって下さい。
 
2本目の動画は、アメリカ白衣サミットにおけるお医者さんの講演です。スパイクタンパクは、新型コロナ感染症そのもでありワクチンこそが新型コロナ感染症なのだという内容です。
重要な箇所は、スパイクタンパクは体内を循環しかつ長く体内に留まるという点です。動物実験により、スパイクタンパクは新型コロナと同じ症状を引き起こすことが分かったようです。
 
動画の中で、スパイクタンパクそのものが毒素であり、なぜその様な毒素を人体内に注入するのか?と疑問を呈しておられます。
スパイクタンパクは、体じゅうを循環し自分自身の免疫が「敵(異物)」と認識しそれを攻撃し炎症を起こします。
 
スパイクタンパクは、血流脳関門を通過する毒素です。脳の血管を乱すような毒素を、なぜ人体に入れるのでしょう?・・・自分自身の免疫システムが、自分自身の組織を攻撃することになります。
 
これこそ、サイトカインストームと呼ばれるものです。ちなみに、サイトカインストームとは「感染の量が多くなると、炎症の量も多くなり、サイトカインも大量に放出されます。 それをサイトカインストーム(サイトカインの稲妻、サイトカインの暴走、免疫暴走)と呼んでいるのです。」とあります。結論的には、危険なので「ワクチンをすぐやめなさい」という内容となっています。
 
参考動画の紹介
 
https://odysee.com/@tatsuminoboru:b/boostershot:5
ブースターショットは危険NCTV#090
 
https://odysee.com/@ttubouti:7/WhiteCoartSummit---%E5%A4%A7--540p:3
ワクチンをすぐやめろ!アメリカ白衣サミットにおけるお医者さんの講演です。スパイクタンパクが新型コロナ感染症なのです。ワクチンが新型コロナ感染症なのです。
 
https://www.nicovideo.jp/watch/sm39469350
SATORISM TV.190「遂に始まったか!米軍の人工知能が示したワクチンの真の恐ろしさ!サイトカインストームで人口激減か!」」
 

*法津如来のコメント

石法如来、今回も寄稿ありがとうございます。 

77歳の老人が横尾山(海抜1818m)を登った感想

10月15日、みすがき山自然公園の近くの民宿で前泊しました。

10月16日の朝8時、信州峠(海抜1464m)の登山口を出発。

案内では登り1.5時間、下り1時間になっていました。

山頂には10時すぎでしたから、かなりゆっくり登ったわけです。

始めは曇っており、風もあり、かなり寒いという状態でした。

歩く始めると体も温まり、途中からは汗もかき、上着を一枚脱ぎました。

花の時期は過ぎていましたが、まだトリカブトの紫の花が残っていました。

曇っていましたから、山の神に「時々は晴れてくれ」と頼みました。

山頂近くになると晴れて、周りの八ヶ岳、南アルプス、瑞牆山、金峰山などが見えました。

山頂では、バナナを食べ、コヒーを飲んで、下山しました。

帰りは、太陽に照らされたススキ野原が綺麗でした。

というわけで、無事登山は終了したわけです。

翌日(10月17日)は、体の痛みはないのですが、やはり体は重い感じでした。

普通にラジオ体操に行きましたが、その前に行うスロー・ジョッギングは半分でやめました。

老人になると運動後の筋肉痛は翌日ではなく、年齢に応じて遅くなるのです。

ですから、筋肉痛が起きた時はどの運動の筋肉痛かわからなくなります。

最後の感想。

登山は自分の都合でゆくりしたり、中止はできますが、これが自然災害の場合をどうでしょう。

自然災害の場合は、そのようにいきません。

災害にあった高齢者や病人は大変だろうなと改めて、人ごとでなく考えました。



石法如来の特別寄稿:ワクチン接種が進んでいます・・・が。(その1)

日本では、2021年4月から本格的に新型コロナウィルスに対しワクチン接種が始まり、順調に接種が進んでいるようです。
データーを見ますと、10月14日現在・・・1回接種者は約9,400万人(74%)で、2回接種者は約8,300万人(65%)と全国民の80%接種を目指す動きに見えます。
 
ワクチン接種の効果なのでしょうか?・・・現在、新型コロナウィルス感染者は減少傾向が見られます。願わくば、このままコロナ騒動は終息して欲しいものです。
一説によると、コロナの毒性は低下し悪い症状が出なくなった模様で、PCR検査陽性者が減少するなら当然騒ぎは終息の方向に向かうはずです。
 
果たして、このままコロナ騒動は終息するのか?という問いに対し、私は少し懐疑的に見ております。イギリスやイスラエルの例を見ても分かるとおり、ワクチン接種後暫くの間感染が収まっておりますが、その後に感染爆発を起こしているという現実があるからです。
 
日本の場合、次流行のタイミングが真冬インフルエンザの時期とぶつかりそうですから、感染爆発が起こったら大きな規模になると想像出来ます。
 
ちなみに、イギリスではコロナで死亡する人のほとんどがワクチン2回接種者であるという話です。・・・コロナ・ワクチンには感染予防効果が薄いことや、逆に症状を悪化させる可能性があることは以前から指摘されておりましたが現実化しているようです。(参考動画として予定していた、「英国報告書より、ワクチン2回接種者が非接種者の3.4倍の死亡率」の動画が削除されました。)
 
またイスラエルの方でも、入院患者の85~90%はワクチン接種者であるという報道がされています。ワクチン接種を推進している日本でも同様のことが起こり、冬にかけ入院患者が激増する可能性があり気を引き締める必要があります。
 
なお、現在行われているワクチン接種は個人の任意・自由意思で進められているものです。個人の自由の侵害や、人間平等の思想から逸脱した「接種の強制や同調圧力」は本来あってはならないことです。まもなく、日本国内において実験が開始される「ワクチン・検査パッケージ」はすでにイギリスで廃止された「ワクチンパスポート」を彷彿させ、ワクチン接種に繋げる下心が見え隠れします。
 
現在、「社会のために」というかけ声(言葉)のもと人々の行動は制限され、多くの人々はそれに従っています。それが、本当に正しいことなのか?目に見えない恐怖は本物なのか?・・・それらを真剣に考え行動しないと、大切な個人の「選択の自由」を失うことに繋がる局面であると観ます。
 
参考動画の紹介
 
https://www.nicovideo.jp/watch/sm39452775
ワクチンが免疫力を下げている可能性がある
 
https://odysee.com/@tatsuminoboru:b/ade%EF%BC%83087:1
ワクチンを打った人の方が感染、重症化しているNCTV#087
 
https://www.youtube.com/watch?v=NJXpOXVLM3A
2021.10.13【米国】ワクチン義務化「我々の自由と権利を蹂躙するな」奪われる選択の自由!!子供たちの未来のために自由を守るパイロットたちの戦い【及川幸久−BREAKING−】  2021.10.15投稿



*法津如来のコメント

今回の石法如来の特別寄稿は、10月15日に頂きました。

10月16日のブログの掲載予定でしたが、

横尾山近くの民宿でのネット環境が悪く、ブログを更新できませんでした。

よって本日(17日)に掲載することになりました。

石法如来また彼の投稿を期待されていた読者にご迷惑をかけました。

申し訳ございません。謝罪致します。


山梨と長野の県境にある横尾山に登る予定

今年は新型コロナウイルスのおかげで、沖縄旅行を取りやめました。

その代わりに7月の終わりに清里高原にいきました。

高原の空気を吸い、鳥の声を聞き、自然のリズムを改めて意識するようになりました。

そこで、9月23日はお彼岸のお墓まいりのついでに、近くの妙法ヶ岳に登りました。

妙法ヶ岳は埼玉県秩父の三峰三山の一つで、標高1332メートルの山です。

今月は、今日(15日)横尾山に行くことにしました。

「山梨県北杜市と長野県川上市の崎位に位置する山。標高1818メートル。

カラマツと笹原が美しい山で、山頂付近の稜線は開放感があり、展望が素晴らしい。

登山中はずっと奥秩父の山並み、八ヶ岳の展望などが楽しめる。」

との記事がありました。

ネット環境が悪いそうですので、明日のブログの更新はできないかもしれません。
なぜ、その山に登るのか?

妻は今だに、ロッククライミングをやっていて、そのために長野県川上市に時々いくのです。

その時、横尾山を見ていて、その山が気になっていたとのことです。

私は、それに付き合うという次第です。

標高1818メートルは標高1332メートルより、少し高いので途中で下山するかもしれません。

登頂まで登らなければいけないというものでもありませんので。


ダンマパダ182番

一昨日(10月12日)、ダンマパダ182番を引用しました。

「人間の身を受けることは難しい。

死すべき人々に寿命があるのも難しい。

正しい教えを聞くのも難しい。

もろもろのみ仏の出現したもうことも難しい。」(中村元 訳)

私は過去にこの偈について、3回解説しました。

もろもろの仏は出現しがたい
https://76263383.at.webry.info/201003/article_23.html

人間に生まれることは稀なことブッダ出現は奇蹟のようだ
http://76263383.at.webry.info/200905/article_14.html

人間に生まれることは有り難い
http://76263383.at.webry.info/200806/article_10.html


しかし、それらは私が解脱して、ブッダ(如来)になる以前に書いたものです。

それらの解釈は、間違えとは言えないものですが、

本来のブッダの意図とは異なるものです。

ブッダの本意は後半の2行です。

3行目「正しい教えを聞くのも難しい。」とは、「法の句」を聞くのは難しいという意味です。

4行目「もろもろのみ仏の出現したもうことも難しい。」とは、そのために「法の句」聞いた修行者がブッダになることは難しいという意味です。

このことはゴータマ・ブッダの生存されたいた時の弟子たちには、当然理解されていたはずですが、

時を経て、意味が曖昧になったのでしょう。

このことを、法華経の方便品で次のように述べているのです。

「諸仏世尊はただ一大事因縁によってのみ世に出現したまう」

しかし、この指摘も法華経を学ぶ修行者にも理解されずにいました。

これを、六祖慧能が法華の持者法達に教えたことが「六祖壇教」で述べられています。
(タチバナ教養文庫「六祖壇教」235ページ)

しかし、この重要な教えを、現代の仏教修行者は忘れて、いや理解できずに、解脱できず、ブッダ(仏)になれずにいたのです。

慧能から約1300年経て、現代のブッダたるSRKWブッダがそのことを、自ら覚り、明らかにしてたのです。

その言説のおかげで、その後、法津如来、捗法如来、法風如来、石法如来、慈栄如来などが続々と世に出現したのです。

その意味で、SRKWブッダは偉大なのです。


石法如来の特別寄稿:「あるギタリストの死」と仏教

あるギタリストとは、今年6月(2021年6月)82歳で亡くなった寺内タケシ氏のことを指します。振り返れば私とギターとの出会いは、高校2年生の時偶然隣の席に座ったM君に「ギターやらないか?」と誘われたのがきっかけです。
 
その頃流行っていたのが、アメリカのギターインストルメンタルバンド・ベンチャーズであり日本の寺内タケシ(とブルージーンズ)でした。
当然、最初からギターが弾ける訳もなく毎日M君宅で特訓です。ぼろんぼろんが、ポロンポロンになりやがてシャリーンと綺麗な音になるのですが、指先は痛くなるし手首は疲れるしで、なかなか骨のおれる修業ですが「上手くなりたい!」という意思があり練習が苦ではなくなります。
 
音楽センスも才能もまるでなしの私ですが、聞いている音楽の内容が変わると人間の内面にまで変化が表れます。それまで、歌謡曲しか聴いたことがなかったのですが、洋楽分野のギターですからそれまでとは次元がまるで違うのです。
 
ギターは、小さなオーケストラと言われるほど幅広い音域の楽器です。上手な演奏家なら、一人でどんな曲でも弾きこなすことが出来て、聴衆をうならすことが出来ます。
亡くなった、エレキギターの神様と称された寺内氏は、まさにそのような人物でした。
 
人間は、自分の手本になるような人間を見つけて「自分もそうなりたい」と思うものです。仏教の分野でいうと、私の場合はずっとゴータマ・ブッダを追いかけて来ました。
その人間が、偉大であればあるほど自分もその地点に到達出来なくても、そこそこの高見に到達する可能性があるというのは、間違いのない事実です。
 
ギターで言えば、目標になる人物がレコードなどを出している訳ですから、聞いて弾き方やコード進行など、色々な情報を得ることが出来ます。
その点は、仏教思想という把握しにくい内容の学びとは違います。最も、レコードを聴いてその人のテクニック・思想の全てが把握・理解・習得出来る訳ではありません。
 
毎日毎日、レコードを聴いたりギターになじんでいると、段々人間もそのように作り上げられて行きます。下手ながらも、目標を持って臨んでいると身体全体が生き生きして来るのです。
私の場合は、それまで精神的に暗黒で将来展望も見通すことが出来ないような人生を送ってきましたが、高校2年生でギターに出会い人生に希望・展望が開けてきました。
 
自分にとって、エレキギターの神様と言われた寺内氏の技量に比べたらまるで足下にも及びませんが、同じ道を目指そうそうとした行為そのものが一番の財産となりました。
ギターに関して言うと、師匠のM君はレコードを一度聴いたらギターで表現出来るほどの人物でしたから、自分とはまるで違う人間だと正直思いました。
 
結局M君は、当時ギタリストで歌手・タレントだったアントニオ古賀の付き人からマネージャを長く勤めました。彼は、すでに亡くなりましたが多少音楽的才能に恵まれていても、プロのミュジシャンへの道は遠かったということです。
私の場合は、M君を見て自分の才能の無さに気づきました。気づきが早かったので、下手な夢を追いかけずに済んだと言えます。
 
音楽の世界に限らず世間には、亡くなった寺内氏と同じように上手くギターを弾ける人は沢山います。でも寺内氏は、エレキギターの第一人者であり草分けという存在です。
いくらギターを上手く弾けても、その世界で第一人者にも草分けにもなることは出来ません。
 
その意味で、私は仏教の世界ではSRKWブッダがこの世界の第一人者であり草分けであって、他の追随を許さないほど大きな存在であると観ます。
先頭を行く者が偉大であればあるほど、追随して進む者も数多く出現し到達する境地も自ずと高いものになります。そう考えたら、未来が本当に楽しみです。


*法津如来のコメント

今回も寄稿ありがとうございます。

次回は「ワクチン接種が進んでいます・・・が。(その1)」だそうですが、
(1)から(3)までの予定で投稿してくださるそうです。
楽しみにしてください。


心配しなくてもよい、大丈夫、宇宙はうまくできている。

みなさま、おはようございます。

今日は、初めに報告をします。

昨日は、過食をせずに通常通りの少食にしましたら、やはり夜中にトイレに一度も行かずにすみました。

今日は、世間の人々は心配しすぎだということを言いたいと思っています。

新型コロナについてはもちろんですが、

昨日は毒ヘビに噛まれた時、破傷風のワクチンを打った人はその血清を打っても良いだろうか

という電話の問い合わせを受けました。

その知識は必要でしょうが、まだ、毒ヘビに噛にまだ噛まれてもいないのにです。

心配しすぎです。

今日は「心配しなくてもよい、大丈夫、宇宙はうまくできている。」ということについてお話しします。

私はつねひごろ、「心配しなくてよい、大丈夫、なんとかなる。」と思っています。

ダンマパダ182で、ゴータマ・ブッダは次のように教えています。

「人間の身を受けることは難しい。

死すべき人々に寿命があるのも難しい。

正しい教えを聞くのも難しい。

もろもろのみ仏の出現したもうことも難しい。」

この言葉の解説を深くすると長くなりますので、簡単に説明すると、

あなたは人間として生まれてきただけで、奇跡的な幸運の持ち主なのです。

ですから、心配ないのです。

大丈夫です。なんとかなります。

また、最近次のような動画を見つけました。

「なぜ宇宙はこんなにうまくできているのか  ~宇宙大学~ 野本麻紀氏による宇宙セミナー」
https://www.youtube.com/watch?v=vxcTupKVYSo

少し難しですが、宇宙が本当にうまくできていることを説明してくれています。

これを見ていると、人間はもちろん私もうまくできていないはずはないと思われます。

本当にうまくできている私が、うまくいかないはずはないと思われます。

ですから、大丈夫なのです。

夜中にトイレに2回行く

今日は新聞休刊日なので、このブログに書くテーマを新聞から見つけることはできません。

また、前日書いたブログ記事の内容の続きで書くこともありますが、昨日の記事は一応あれで完結です。

ただ、昨日は夜中にトイレに2回行きました。

夜中に1回はたまにはありますが、トイレに2回いくことはほとんどありません。

なぜか考えました。

思い当たることは、食べ過ぎです。

以前の食生活は、比丘(テーラワーダ仏教の僧侶)の戒律(正午以後の食事の禁止)により、1日2食でありましたが、還俗によりその戒律からは自由になりました。

妻との共同生活になりましたので、妻の食生活に合わせることになりました。

そこで現在は、朝食、昼食、夕食の3回食べるようになりました。

量はあまり多くなく、朝は自家製の豆乳ヨーグルトとりんごかバナナ、

昼はサラダと蒸したサツマイモ、夜は妻の作った夕食ですが、いわゆる主食は食べません。

その他、1日2リットルのお湯は少しずつのんでいます。

昨日は、所用で妻と外出しました。

昼の食事は外食、うどんを食べました。

それが大盛りでお腹いっぱいになりました。

また、夜は妻が友人からもらったというジャガイモがいっぱい入った肉じゃがを残さず食べました。

私は食べ物は残さない習慣になっていますので全て食べたため、またお腹がいっぱいになりました。

多分これらが夜中に2回トイレに行った原因だと思われます。

老人になると、トイレが近くなるとい言われます。

高齢で夜中のトイレで悩んでいる方は、食べ過ぎが原因ではないかと考えたらどうでしょうか。


今日は目の愛護デー

今日は目の愛護デーだそうです。

10月10日の1が眉毛で0が目、それが二つ並んでいるからでしょうか?

さて、昨日「出来事が共通であれは、人々の世界は融合するということです。

この例は人々はパンデミックという共通の出来事に遭遇しているということです。」と書きました。

まだ記憶に新しい人々の共通の大きな事故では、

2011年3月11日に、東日本大震災と福島第一原子力発電所事故でしょう。

あの日のことはまだ覚えているでしょう。

あの時、私は何をしていたか思い出せます。

多くの人が、東北の人々に支援金を集めたり、ボランテャに出かけました。

みんな、少しは優しくなったりもしました。

自分の人生について考える人も増えたような気がします。

しかし、そんな雰囲気が薄くなったような時、新型コロナウイルスのパンデミックが現れました。

これは、東日本大震災とは違って、世界規模で起きています。

それはまだ続いています。

これが、どのような結末になるかはわかりませんが、

世界規模で人々の意識が大きく変化し、社会が大きく変化することは間違いないでしょう。

歴史は繰り返されると言いますが、らせん状に進化しています。

人々の意識の根底は繋がっていますから、一人の意識の変革は大切です。

自分が変わってもどうにもならないと思わずに、

自分が変われば、世界が変わると思ってください。


10月7日夜の首都圏地震

一昨日夜の地震の時、私はすでに寝ていました。

その時は随分長い地震だなと思っていましが、そのまま寝ていました。

翌日の夕刊で知ったのですが、交通は混乱し、帰宅できなかった人多くおられたようです。

同じ出来事でも、被害や受け取り方、感じ方が異なることを改めて思いました。

人は自分の立場から、見て、感じて、判断しますから、

他人を思いやることが難しいことがよくわかります。

また昨日は、「すぎやまこういちさん死去」という報道もありました。

私は、「すぎやまこういちさんとは誰?」と思いました。

人気ゲーム「ドラゴンクエスト」の音楽などで知られている作曲家だそうです。

私は、「ドラゴンクエスト」について名前だけは聞いたことはありますが、

ましてや、その音楽の作曲家については全然知りません。

人はそれぞれ別の世界に住んでいるようです。

別の世界に住んでいるのですが、同じように喜怒哀楽があります。

別の出来事に遭遇しますが、同じように苦しみがあり、楽しみがあります。

ここから何を発想するでしょうか?

私は、二つのことを発想しました。

一つは人の思いにはパターンがあるということです。

もう一つは、出来事が共通であれは、人々の世界は融合するということです。

この例は人々はパンデミックという共通の出来事に遭遇しているということです。

今日はここまです。

ラジオ体操に行ってきます。



石法如来の特別寄稿:「道の人」(本物)の見分け方

世の中に、本物の「道の人」は存在するのか?と考えることがあると存じます。今日は、その事について少し考えてみます。(考察の対象は、修行者です。)
 
人間という生き物は、欲がありますから自分自身の持つ判断の尺度も、その欲目を基準にしています。・・・ということは、自己の持つ判断の基準はあまり当てにならないということになります。
 
修業の可否・あるいは人間の幸福というものは、「道の人」との出会いにより決定される部分が大きいですから、出会いがその人の人生に占める割合・強度は考える以上に大きなものがあります。
そう考えたら、本物に出会わなければ目的(覚り)達成は不可能と言えます。
 
この世を長年生きてきて断言出来ることは、この世において道の人と称する人物(宗教者・思想家など)はほとんどが偽者です。また、偽者に限って外観を飾ったり、出版物に上手いことを書きますからすっかり騙されてしまいます。
 
騙されやすいのは、案外自分自身に自信を持っている人間です。「自分は、騙されることは無いだろうし、騙されない自信がある。」等というのが一番やっかいなのです。その人の自信の表れこそ、相手に付け入る隙を与えているのです。
 
そういう私も、大きなことは言えません。新興宗教団体(阿含宗)に、過去すっかり浸かりお金を貢ぐ結果となりました。
今振り返れば、学んだものはがらくたばかりで真に自分自身の血肉となったのは、「阿含経の存在を知り、自ら学んだ」ことだけです。
 
それでも、いまだにその教団に在籍し同じ境涯を堂々巡りしている会員も数多く存在しています。いつまでも、進歩無き世界に安住していても安楽(覚り)を獲得することは出来ません。
 
私は、先に「私の出会った偉人たち」の記事の中で、SRKWブッダこそ本物であると書きました。SRKWブッダを、よく観察すると本物の「道の人」の姿が浮かんできます。
 
それは、「仏として生きている」ということです。・・・仏は、「職業を持つことができない」から経済活動は出来ません。経済活動せずに、生きていかなければいけないのです。
SRKWブッダは、2001年12月の覚りを得た時点から約20年間、「仏として生きて来た」ことに対し、それこそまさしく「道の人」の生き方であると大いに賞賛します。  
                                                  
考えて見れば当然ながら、凡人はみな「人を集め・物を集め・お金を集める」ことに執心しています。経済活動の原則である、その様な行為に走る人間はみな凡人であり「道の人」ではありません。
「道の人」は、どこまで行っても「理法に逆らう」生き方は出来ないのです。何より、精神の純粋性を保つには、経済活動など行えないし行ってはいけないのです。
 
「道の人」は、見方によっては普通のおじさん(おばさん)であり、特段尊敬に値する人物には見えません。そう考えると、どこにでもある路傍の石の如き存在に見えますが、決してそうではありません。
 
「仏として生きている」、その生き方を示すことによりあとに続く者の手本となり、「法を説く」ことにより後に続く者に生き方・歩み方を教えることになります。
それは、単なる路傍の石に止まることなく、どこまでも気高い崇高な輝きを放っています。その輝きを、キャッチする人間もいればしない人間も出来ない人間もいます。
 
本物は、見ようによっては「全く大したことない」ように見えます。・・・著書で上手いことを書き、見える部分(表面)を着飾り、甘言を弄する者に衆生は惹かれるというのがこの世の常ですが、それは単なる幻想・幻惑・妄想に過ぎません。
目の前の迷いを乗り越えない限り、本物の「道の人」と出会うことは難しいのです。


*法津如来のコメント

今回も、大切なことを教えられました。

次回は、「「あるギタリストの死」と仏教」というお話しだそうです。
これも楽しみですね。


 

優しさと、人間として一番優れていること

10月4日の記事の中で、「『やさしい』を漢字で書くと『優しい』となります。」と書きました。

それについて、halさんから「人を 憂える やさしい ひと」とコメントを頂きました。

始めは、優は「人を憂う」と書いていることに気づきませんが、さらにhalさんから、次のブログ記事の紹介コメント頂きました。

【優という字 太宰治】 優しさと、人間として一番優れていること
https://ameblo.jp/kotonohakokoro/entry-11437946340.html

(以下引用)
■太宰治

「私は優という字を考えます。
 これは優(すぐ)れるという字で、
 優良可なんていうし、
 優勝なんていうけど、

 でももう1つ読み方があるでしょう?
 優(やさ)しいとも讀みます。
 そうしてこの字をよく見ると、
 人偏(にんべん)に、憂ふと書いています。
 人を憂(うれ)へる。

 ひとの寂しさ侘しさ、つらさに敏感な事、
 これが優しさであり、
 また人間として一番優(すぐ)れている事ぢゃないかしら」

 1946年4月30日付け 河盛 好蔵あて書簡より

(以上引用)

halさんのコメントはいくつかのコメントの中で埋もれてしまわないように、今回取り上げてみました。


今日の運勢

シンクロニシティを感じるようになって、占いにも興味を持ち始めました。

今日(10月6日)の東京新聞の運勢の欄に次のように書いてあります。

(以下引用)

ね   一に努力、二に努力、努力を重ねて努力を忘れ悠然となる

うし  富は一生の宝、智恵は万代の宝。智惠を磨きて大吉

とら  瑞雲に臥して眠る意あり。援助者ありて心安らか

う   親不孝なる子に先祖の助けなし。親孝行をして吉運

たつ  自分を偉いと思った時に他人は汝より遠ざかる

み   法の話を聴くと我が身の価値のなさが知れる。そこに真の価値あり

うま  本日は不運なるも背水の陣にて巻き返す時

ひつじ 大鳥大空に飛び来るが力なくして落ちる。英気を養って他日の発展に備えよ

さる  三日読書しなければ人相衰えるという。好書を読みて心快活なり

とり  一を以て千万を知る。身近から整えれば困難は必ず突破

いぬ  北窓の新竹茂りて、はなはだ暗し。静寂に身を置いて心澄ませよ。邪念は消えゆく

い   苦言を受け入れる度量ありて開運へ向かう

(以上引用)

これは松風庵主という方が毎日お書きになっておられますが、

いつもその干支でない人でも参考になる言葉が述べられております。

ありがたいことです。


石法如来の特別寄稿:私が出会った偉人たち。(その3)

人間は、何のために生きるのか?・・・ありふれた質問ですが、その答えの中にその人の全てが現れます。
人々の中には、今生きるのに精一杯の人もいることでしょう。中には、死にたくないから生きている・・・という人もいるかも知れません。何らかの目標・目的を持ち、人生に情熱を燃やして生きる姿はある意味尊く美しいものですが、中にはお金が欲しい・地位が欲しい・名誉が欲しいと、人間の欲望のままに生きている人間も数多く存在するのも事実です。
 
大体、政治家・実業家などと呼ばれる人間は概ね野心家が多いですから、当然そのような部類に入る人間達です。私は、記事の中で偉人として三名の人物を挙げましたが、本物はSRKWブッダだけです。
 
SRKWブッダは、本物の仏ですから職業を持つことが出来ず経済活動を行ないません。故に、余計なものを一切身に付けないで生きているのです。・・・この、基本事柄を守ることの至難さは他の人物を見ればよく理解出来ます。
 
空手家の大山倍達氏は、お金や名誉に関してそれ程頓着があった人物とは思いません。ただただ、自分の空手流派の普及・発展を願い行動する人物であったと考えますが、本人の死後(空手)団体相続の問題が持ち上がり、大きな内紛になり裁判沙汰ののち団体は分裂していくことになります。
 
分裂も、一つや二つでは無く(全世界では)数十団体にも分裂して行きました。・・・格闘技界というのは、仏教の教えでいう(六道の)修羅界ですから争いがあってある意味当然の世界です。
強さと、個性を持ち合わせた弟子達を束ねてきた功績の大きさは評価出来ますが、大山氏一代で築き上げた空手団体は一瞬のうちに瓦解・分解してしまいました。
 
組織が大きくなると、人も集まりお金も集まります。そうなると必然的に、次の地位を狙う存在が現れ大きな争いに発展することは予測可能だったはずです。
大山氏にその意図がなかったとしても、死後団体内に醜い相続争いを生起させ、一代で築き上げた空手団体を分裂・分解にみちびき結果的に晩節を汚すこととなりました。
 
阿含宗の桐山靖雄管長は、欲望の権化のような人物です。彼が、直接お金を集めなくても教団の集金システムは彼(と役員)が作り上げたものです。
私も、七年ほど教団に所属しそれなりの金額を教団に納めました。それは、私ばかりではなく古参会員ほど多額の資金を教団に差し出したはずです。
 
面白いもので、教団における所属年数の古さと納付した金額の大きさによって、教団内でそれなりのお役・立場が与えられるのです。私の思い違いでなければ、教団の中身とはその様に見えました。
教団内は、一から十までお金がかかるシステムが出来上がっているのです。
 
私が教団在籍中に、一番がっかりしたのは京都山科区花山(かざん)の総本山を建立した際に、管長ご夫妻の銅像を建てたという話を聞いた時です。
「死ぬまでに、私は必ずブッダになる」と言っていた人間が、何で夫婦の銅像なのか?。・・・乗っているのは高級車ベンツで、法衣も煌びやかに着飾り名誉称号まで授かる?・・・。私が、教団退会を決意した理由にもなった事実です。
 
彼は、宗教家を語る実業家でした。ですから、全ては自分自身の事業拡張のために行っていたことです。それを、「因縁解脱できる。」というキャッチフレーズのもと修業を重ねたとしても、どこまで行っても目的達成など不可能です。・・・根本が、間違っているからです。
 
作られたものは空(無常であり苦であり無我)であり、やがて失われて行くものです。SRKWブッダ以外の2名の偉人(?)は、死後組織をちりぢりに分裂・分解させ世界の武道家達を迷わせた者。あるいは達成出来もしない(成仏という)目標を自分の私利私欲のために利用し、衆生をどこまでも迷路に誘い込んだ者・・・達(たち)です。
 
SRKWブッダの真に偉大なところは、近年において覚りを得た第一人者であると言うこと。最初に「覚り」に到達したという事実に、言葉を超えた真の価値と意味があります。
次に、「仏として生きている」と言うこと。仏には自然に出来ることですが、衆生にその生き方は真似が出来ません。
 
本物は、世間の雑踏を気にせず社会の対応変化の中で静かに生きているのです。

(おわり)


*法津如来のコメント

「石法如来の特別寄稿:私が出会った偉人たち。」は今回で終わります。

正直、私もなぜ空手家の大山倍達氏や阿含宗の桐山靖雄管長が出てきましたので驚きまいた。
この結論で納得いきました。
石法如来ありがとうございました。

次回は「「道の人」(本物)の見分け方」を投稿していただけるそうです。
よろしくお願いいたします。


ソ連崩壊から30年

昨日の「コロナ以後を予測する」の中で、「2024年アメリカ合衆国の没落」と書きました。

そうしたら、今日の東京新聞に、「ソ連崩壊から30年」という記事がありました。

1991年12月、にソ連が崩壊。ゴルバチョフ大統領は大統領職を辞任したのです。

それ以前に、多くのソ連国民はソ連崩壊を望み、新しいロシアを望んでいたのでしょう。

国については多くの国民が本当に望んだ通りになります。

個人については、その人が本当に望んだ通りになるのです。

もし、そのようにならないとしたら、本当にそのようには望んでいないのです。

その辺は無意識の領域なので自覚できないだけなのです。

・・・・・・・
多くの人々は、だいたい明日はこうなるだろうと予測しているから、そのようになります。

しかし、中には将来こうなってほしいと強く願う人がいます。

そして、その願いに従って、少しでも行動します。

そのような人がいるから、世の中は変わっていきます。

ぜひ、皆さんもそのような人になってください。

・・・・・

話は変わりますが、「やさしい」を漢字で書くと「優しい」となります。

しかし、私は「やさしい」を「優しい」と書くことに抵抗感がありました。

何故ならば、「優」という漢字は、優劣の「優」であるからです。

「優劣はない」と思っているからです。

「違いはありますが、優劣はないのです。」

しかし、ある動画を見ていたら、「やさしい人」は「優れた人」なのですと言っていました。

そういう見方もあるかと感心しました。

それならば、「優しい」と書いてもいいかなと思いました。

・・・・・

話はまとまりませんでしたが、皆様、今日も良い一日でありますように。


コロナ以後を予測する

混乱の中にいると、先のことがまったくわからなくなります。

そうすると不安になります。しかし、変わらない現象はありません。必ず変わります。

苦しいことがあっても、それがいつまでも続くことはありません。

ですから、心配しなくてもよいのです。

また、その変化には型があります。

始めは小さな変化です。それが中くらいの変化になり、大きな変化になり、

それが最高になり、変化がなくなり、変化は反転します。それの繰り返しです。

変化の型はどのような現象にも当てはまるのです。

そのために、易経の理論や占星学などが研究されています。

歴史は繰り返すととか、個体発生は系統を繰り返すなどといわれます。

世界的な疫病の流行もだいたい100年おきくらいに起き、3年くらいかけておさまっています。

新型コロナの流行は、2020年くらいに始まって、2022年くらいにはおさまるでしょう。

先日、9月20日に「シンクロニシティについて」で紹介しました水口清一氏が次のテーマで動画を出しています。

「数霊から見た近未来」
https://www.youtube.com/watch?v=IP3qu_vLdfU

数霊とは、人類の集合無意識が作り上げるものだと考えるとあながち荒唐無稽なものではありません。

この動画は2020年5月30日に発表されたのですが、その予想の結論を書いておきます。

2020年 新しい時代に生まれ変わる

2021年 創造的破壊の年になる

2022年 人類は中岐路に立つ

2023年 グローバリズムの衰退

2024年 アメリカ合衆国の没落

2025年 資本主義社会の終焉

2026年 新しい文明の始まり




石法如来の特別寄稿:私が出会った偉人たち。(その2)

阿含宗の桐山管長は、書(執筆)いて良し話して(法話)良しのオールラウンド宗教家でカリスマ性の塊のような人物です。
私も、7年ほど阿含宗に在籍し仏教とは何か?宗教とは何か?を一から教えて頂きました。ゴータマ・ブッダの教法に最も近いと言われる『阿含経』の存在を知ったのも、桐山氏の広報活動のお陰です。
 
桐山氏が、著書や法話で阿含経を広めていなかったら、それ(阿含経)に出会えていたかどうか分かりません。その意味では、仏教上の恩師と言えなくもないのです。
 
最後は、SRKW(白川)ブッダです。・・・私が、SRKWブッダの存在を知ったのは相当遅く、2017年7月にワンギーサ先生(法津如来)とメールのやり取りを始めて以降の話です。
それまで、全くその様な人物の存在を知りませんでした。大体、「覚った人がこの世に存在する」こと自体考えたことがありませんでした。
 
当時、私自身の見解はゴータマ・ブッダこそ覚った人であり、尊敬すべき人であり教えを聞くべき人であると考えておりましたから、それ以外は想定外で考えた事すらなかったのです。
 
初めて、ワンギーサ先生(法津如来)にSRKWブッダの存在を耳にしたのですが、最初は全く信用しませんでした。それは、完全な「眉唾(まゆつば)」であり自分自身そう名乗ること自体怪しいと考えました。
当時、さらりとSRKWブッダの書かれた文章を読んでも理解力の欠如+信じる気持ちゼロで、全く身に付かず「よく分からない・嘘だろう・文書では何とでも書ける」というくらいの認識でした。
 
今振り返れば、自分自身ゴータマ・ブッダの説かれたという経典を信じ、その教えに囚われすぎていたのです。当時、ワンギーサ先生(法津如来)は本当に、忍耐をもって懇切丁寧に対応して下さいました。
その後、電子版の『覚りの境地』を購入し読み進めるうち一気に視界が広がり、直接本人(SRKWブッダ)とスカイプで会話し衝撃を受けました。
 
私の受けた衝撃というのは、「この世のものとは思えない雰囲気」に出会ったことに尽きます。・・・それまでの人生で、誰一人感じたことの無い(別次元の)雰囲気を感じたのです。
その時、何を話したか忘れましたが異空間?の不思議な感触は暫く残り、その頃からSRKWブッダの教えも理解出来るようになり、自ずと「間違いなく覚りを得た人物である」と確信するようになりました。
 
SRKWブッダの凄いところは、当然ですが「仏として生きている」という点に尽きます。仏として生きるとは、何をもって表されているかというとそれは生活全般においてです。
何より、「仏は職業を持つことができない」訳ですから、生活も当然質素なものになります。
 
その辺りのことを『覚りの境地』(2019改訂版)に「もし出現した仏が家族持ちであれば、仏とその家族が生活していくのに困らないだけの最小限度の過不足のない経済活動が行え、かれらが楽しく豊かに生きていける世の中になるように社会構造が対応変化する。」(同本・24頁から引用)と。
 
文章にしたら、とても短くそれがどれほど意味深いものであるか見逃されそうな内容ですが、そこに仏の生活の全てが表現されています。
私の場合は、61歳まで生活のために職業人として仕事に従事・専念し、自分・家族を養ってきましたが仏になれば「社会構造が対応変化して最小限度生活に困らないで生きていける」などと、考えたことも想定したもありませんでした。
 
SRKWブッダは、2001年12月の覚りを得た時点から「そのように生きて来た」ことに讃歎の声を上げざるを得ません。
それは、「言うは易く行うは難し」そのものだからです(本人は、自然に生きているのですが)。・・・世を見渡せば、世人はみな「物を集め・人を集め・お金を集め」ることに執心しています。
 
きらびやかに着飾り、名誉を求め・地位を求め・お金を求める。その様な人間が、どれだけこの世界にはびこり世間を汚れたものにしているかと言うことです。
その汚れた世界から厭離するには、自らの生活そのものを清らかなものにするしかありません。「仏として生きる」ことは、仏でなければ出来ない生き方なのです。


*法津如来のコメント

ここに、石法如来の本当に言いたいことが書かれています。

次回の特別寄稿が楽しみです。


 

なぜ、武道家は覚らなければ強くなれないと覚るのか?



昨日のブログ記事に、「強さを求める武道家も、結局、覚らなければ強くなれないと覚ります。」と書きました。

それはなぜでしょうか?

武道の修行者は、筋肉を鍛えることを始めます。

しかし、筋肉を鍛えても相手に勝てないことを知ります。

そこで技を学び始めます。

技は筋肉の強さとは異なる技術が必要になります。

指導者からは、力を抜けと言われます。

しかし、力は抜こうと思っても抜けないのです。

相手に腕を掴まれたら、緊張して力が抜けないのです。

生死をかけた勝負の場であれば、その緊張は極限に達するでしょう。

これは、単なる技術だけでなく、心を平静に保つ修行な必要になるのです。

そのために、達人と言われる人は、心の修行をしています。

また、本当に武道の技術を身につけるということは、すべての技術から離れ、すべてを無意識にゆだねることだと知るからです。


武道を志す人

昨日の「石法如来の特別寄稿:私が出会った偉人たち。」のはじめに、空手家の太山倍達(おおやまますたつ)氏のお話が出てまいりました。

なぜ武道家の話と思われた方もおられるでしょう。

実は、武道と覚りとは縁が深いのです。

武道を志す人の目標は「強くなりたい」というところにあります。

そして如何にしたら強くなるか常に考え、そのために必要な修行に励んでいます。

はじめは、力を強く、速く動けるような修行をします。

また、戦いにおいては相手がいることですので、常に相手に勝る修行をしなければいけません。

ここにおいていろいろな問題が生じます。

相手の動きを知ること、相手の動きを知るためには、相手の心を知らなければなりません。

当然、自分の動き方も知らなければなりません。

一番力の出る動き方、一番速く動け方などを研究しなければなりません。

その時の心の持ち方も重要です。

相手を恐れて弱腰では、力も出ませんし、身体がすくんでしまいます。

それらを自らすべて発見するのは難しいので、それらを教えてくれる達人を探したりします。

強さを求める武道家も、結局、覚らなければ強くなれないと覚ります。

ここで、二種類の武道家にわかれます。

最後まで、強さを求めるために覚りを求める武道家と強さを求めることを放棄する放棄する武道家です。

後者は真のやさしさを求めて解脱するでしょう。


石法如来の特別寄稿:私が出会った偉人たち。(その1)

今日は、私の人生の中で出会った偉人たちについて書いてみたいと存じます。私の人生の中では、3人の偉人と縁がありました。
まず最初は、空手家の太山倍達(おおやまますたつ)氏。次は、阿含宗管長の桐山靖雄(きりやませいゆう)氏。最後は、SRKW(白川)ブッダです。
 
まず最初、空手の大山倍達氏を知ったのは私が25歳頃で、当時私はライフル射撃の練習に一生懸命打ち込んでおりました。ただ、少年時代から射撃と空手をやってみたいという願望があり、精神力と集中力を強化するという理由をつけ、そちら(空手)の稽古も始めたという訳です。
 
大山氏は、直接打撃制の実戦空手・極真会館館長(のちに、総裁)であり、梶原一騎原作の劇画『空手バカ一代』の主人公として登場した人物です。
もともと、空手の一流派としての大山道場(のちの、極真会館)は日本では無名に近い存在でしたが、大山氏が米国FBIの格闘指導官を行っていたこと等から、アメリカで有名になり日本へ逆輸入されたという経緯があります。
 
当時、極真空手は世界的に普及し門弟数は(全世界)一千万人と言われ、とても大きな勢力を持ち日本国内において地方大会、全日本大会そして四年に一度世界大会を開催するほどの組織でした。
私が実際の大山氏を拝見したのは、北海道選手権に出場した際名誉大会委員長で祝辞を述べられた時です。
 
北海道支部長高木薫氏は、大山氏の孫弟子にあたり大山氏とは昵懇の関係で、毎年北海道選手権大会に招かれておりました。その力強い声と、他を圧倒する迫力は「空手界のカリスマ」として身近に感じたことは事実です。
 
私自身も、大山氏の著書を何冊も読み「強くなりたい」という思いから空手の世界に入り稽古に打ち込みましたが、「自分は強くなった」と実感出来るほどに上達したことは間違いありません。
最も、真の強さは肉体的・技術的な強さだけではなく、精神的な部分にこそあるのは当然です。
 
極真会館の組み手は、「相対したら、倒す気で行け」と教えられますが、私の場合それに徹することが出来ない(ある意味)甘さ・精神的弱さがあり、あと一歩黒帯に到達出来なかった原因・理由はそこにあったのだと今なら振り返ることができます。
 
自分自身、釧路の指導員として後輩と共に汗を流し、一緒に稽古に励むなか多くのことを学び勉強させて頂きました。何より、極真空手総帥大山倍達の下青春の一時期真剣に空手道に打ち込むことが出来たことはとても良い思い出です。
 
次、阿含宗の管長桐山靖雄氏を知ったのは、私が結婚する前後に偶然妻が持っていた桐山氏の著書『密教 超能力の秘密』・『密教 超能力のカリキュラム』の二冊に出会ったからです。
それまで、自分自身射撃や空手を通じて(自分なりに)人間の限界に挑戦していたのですが、その著書を読み進めると「自分自身の中に、人間を越える力がある」と書いており、桐山氏の説く能力開発に興味を持ち、当時発売されていた著書を全て購入読破しました。
 
今振り返れば、相当「眉唾」な話ばかりですが当時の私は桐山氏の教えに興味を持ち、氏の説く人間を越える技法なるものを修業してみたいと考え、すぐさま教団に入会しました。
年齢的には、私が28歳の時の話であり当時は観音慈恵会(かんのんじけいかい)という団体名で、年表では阿含宗に変わったことになっていますが、約一年から二年の時間をかけ阿含宗という教団に移行しましたから、私が入会したのは丁度教団の変革期であったのです。
 
教団が、阿含宗を名乗る頃から阿含経の講義が始まります。阿含経こそ、「釈尊直説の教えである」という論理は著書などに書かれており、私自身も阿含経に興味を持ち原始経典を学び始めます。
 
桐山氏は、決断力があり変わり身の早い人物で自分がこうと決めたらすぐ実行に移すタイプで、私が教団に入会したときには会員も相当数在籍しておりました。
おそらく当時でも会員数は(全国で)十万人以上在籍し、護摩法要「大柴燈護摩供(だいさいとうごまく)」でも一千万本超の護摩木を焚くほど教団には勢いがありました。


*法津如来のコメント

今回から「石法如来の特別寄稿:私が出会った偉人たち。」がはじまりますが、この内容は昨日ブログに書いた「阿羅漢になられるまでどんな努力をされたのでしょうか?」と質問された方にたいする別の回答のような気がします。

これも一つのシンクロニシティでしょう。