勝敗を捨てる

ダンマパダ 201

勝者は恨みを生じ
敗者は苦しみに伏す
寂静の者は安楽に伏す
勝敗を捨てて


*この詩から学ぶこと

 子供たちが喧嘩したとき、「負けるが勝ちだ」と仲裁したことがあった。「なぜ負けるが勝ちだ」と反論された。「強いて争わず、相手に勝ちを譲るのが結局は勝利になる」と説明したが、彼らは納得しなかった。あの説明では、やはり最後は勝利を目指しているのだから、勝ち負けに拘っていることになる。
 お釈迦さまは、勝ち負けを捨てることを教えている。勝ち負けを捨てるとはどういうことか?
 例で説明しよう。車販売の営業所がある。セールスマンは販売競争をやらされている。会社は競争をさせるが、どのセールスマンが勝っても負けてもかまわないのである。トータルの販売数を上げることが目的である。良心的な経営者のもとでは、セールスマンも同じで、自分が勝つか他人が勝つかが問題ではなく、営業所全体で販売数が上がり、結果として給料やボーナスが上がればいいのである。良心的経営者がいることをあまり期待できないが、セールスマンもその点を考えて仕事をすればよい。競争の勝ち負けに拘ると、ストレスもたまる。人間関係も悪くなる。そうすれば持てる能力も発揮できなくなるからだ。
 プロ棋士の場合はどうだろうか。勝負を捨てて将棋が打てるか?将棋の場合でも勝つか負けるかではなく、局面局面での最善手というのがある。過去の名勝負というものは、最善手の積み重ねで出来たものだ。これは一人の棋士で出来るのではない。対戦相手の二人の棋士によって作り上げられる芸術作品というべきものだそうだ。勝負に拘ると妄想、妄念で集中力が衰え、不注意の結果、ミスを犯すことになる。勝負に拘らず最善手を打つことを心がければよいと、過去の将棋の名人たちも言う言葉だ。
 さて、少し飛躍するが、禅の考案と思って考えてほしい。実は勝ち負けなどないのだ、あるのは因縁と結果だけであることを。

 勝ち負けは ないと分かれば 天下泰平

~わたしは幸せでありますように~
~あなたは幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

身の丈修行者
2015年02月13日 12:46
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説、「実は勝ち負けなどないのだ、あるのは因縁と結果だけである・・」心に響きました。
勝とうと思って・・の見方・考え方のあるうちは智慧にはまだまだな感じが致します。
日常の中で「勝とうと・・」するような機会は少なからずあるように思いますので、少しでも智慧で対応出来るように精進したいです。

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