怒り無きによって怒りに勝つように

ダンマパダ 223

怒り無きによって怒りに勝つように
善によって不善に勝つように
布施によって物惜しみに勝つように
真実によって虚偽に勝つように

*この詩から学ぶこと

 怒りをぶつけてくる人に対して、私たちは怒りで返すことが普通です。この時、怒りを返さないで冷静でいる。これが「怒り無きによって怒りに勝つ」ということです。これは自分と相手に対して善い行いをしたことになるのです。まず、自分の怒りを制御したこと。これは偉大な善行為です。

 次に怒っている人に怒りを返したら、怒っている人の怒りをさらに大きくして怒りの悪循環が続きます。それに対して冷静にいれば、相手の怒りを止めることができます。相手も悪行為を止めることができたのだから、幸運なことです。まさに、自分と相手に対して善い行いをしたことになるのです。

 「怒り無きによって怒りに勝つように」はもう一つの理解ができます。上に書いたことは自分と他人との関係における怒りについて述べましたが、さらに重要なことがあります。自分の中の怒りに対して、怒りが無い状態で勝つということです。よく「怒ったらどうしたら、いいですか?」という質問がありますが、「怒りを止めればいいのです」がその答えです。

 この答えが納得いかない人が多いので、老婆心で説明しますと、一瞬一瞬心は生まれては消え、消えた心を縁として新しい心が生まれます。またその心も消えます。怒りのある心が生まれたら、次は怒りの心ではなく、怒りのない心を生まれるようにするのです。ちょっとしたテクニックとしては、怒りのある心に気づいたら、観察する心にするのです。その時は怒りのない心です。それで怒りのある心を断ち切ることができるのです。

 上の詩の2行目善と不善の関係、3行目布施と物惜しみの関係、4行目真実と虚偽の関係も、同様に自分と他人との関係および自分の中の心の問題として理解できます。

 最後に、4行目の「真実によって虚偽に勝つように」についてもう少し考察しましょう。真実とはありのままに観察することによって得られるのです。生命は、ありのままに物を見ることができない。すぐ、好きか嫌いか、食べられるか食べられないかなど主観で物を見るのです。生命が理解しているのは虚偽の事実なのです。真実によって虚偽に勝つことができれば、それは悟りの境地なのです。また、お釈迦さまはこの詩でも涅槃までの説法されました。

  ○怒り無き心が勝てば 世の中は平和で静か 蝉の声のみ

~わたしは幸せでありますように~
~あなたは幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

ホーシノハタラキ
2008年08月03日 12:23
ワンギーサさん、しばらく留守をしていましたのでコメントできませんでした。さて、今日の詩で私が思うことは、常に「私にとって」という判断、主観で判断しているということです。自分にとって善いこと、自分にとって得なこと、都合のよいこと、立場を保つことを求めているのです。従ってそれではありのままには観ていないし、判断していないのですね。「怒りが無い、善、布施、真実」という慈しみの心を育てることによって煩悩の少ない生き方ができるのでしょうね。
2009年03月11日 05:37
 牛乳を見ます。値段を見ます。高い。欲、欲、欲。隣を見ます。安い。安い牛乳をとります。レジに行きます。ユニセフ募金を見ます。ちょっと、入れよう。小銭を入れます。食べ物の無い人が、食べられますように。財布が軽くなります。心が軽くなります。
身の丈修行者
2015年01月27日 13:24
子供が怒っている時に怒り返すと・・、今は親の方が迫力があるからかそれで事が足ります。

ですが、もし中学生位大きくなったら、逆切れ?等で親が負けるかもしれませんね。それにその流れですと以後ずっと子供に親が怒られて威圧される事になりかねないと思います。

相手が怒っている時は一旦停止で、相手の怒りが途切れるまで様子を見るのも良いのかなと学びました。「相手は怒っている・怒っている・怒っているのでおさまるまで待とう」という感じでしょうか。

怒りに怒り返すと収拾がつかなくなるかもしれませんので、やはり怒らない事が大事になりますね。とっても大切だけどなかなか出来ないかもとも感じます→精進したいです。

この記事へのトラックバック