すべての現象無常であると一切厭い解脱する

ダンマパダ 277

すべての現象は無常であると
智慧によって見る時
苦を厭い離れる
これは清浄への道である

○この詩から学ぶこと

 日本は季節の移り変わりがあり、仏教の影響なので、日本人は「ものごとは変化しないものない、すべて移ろい変わるものだ」という無常感を理解していると思っています。

 しかし、釈尊が「すべての現象は無常であると智慧によって見る時、苦を厭い離れる。これは清浄への道である。」とい言われたことは、無常が解かれば解脱するのだと言うことです。日本人は解脱しているでしょうか。解脱していることはすべて問題が解決されているということです。日本では問題がすべて解決されているでしょうか。言うまでもなく、そんなことはありません。世界の他の国々と同様問題が山積みです。なぜでしょうか?無常が理解されていないからです。

 ではいったい無常とはどんなものでしょうか?釈尊の弟子にラーダと言う比丘がいました。その比丘が釈尊に「大徳よ、無常、無常と言われますが、無常とはどのようなものですか?」と質問しました。釈尊は「ラーダよ、肉体は無常である。感覚は無常である。概念は無常である。衝動は無常である。認識は無常である。」とお答えになりました。(南伝大蔵経第14巻308ページ)
 この要点は、外界が変化していることはもちろんではありますが、人間が無常であるということあります。さらに言えば自分自身が無常であるいう認識が必要であることです。しかし、日本人の無常観は外界の変化を言い、自己の無常は眼中にありません。

 しかも、自分自身の無常に目を向けたとしても無常が解かったと言うことにならないのです。私たちは日々年を取り、老化しています。最後には死ぬのですが、それは一応分かっています。しかし、それを嫌だと思っています。それため、なんとか老化を防ぐ努力などをしています。自然の法則に逆らって、法則を受け入れようとしてないのです。これでは無常が解かったと言うことにはならないでしょう。無常が解かってないから、無常を暗く捕らえ、無常を見ることを嫌がり、さらに無常が解からなくなるのです。

 実は、無常だから、私たちは生きているのです。無常だから希望があるのです。無常だから究極の幸福である涅槃にも到達できるのです。無常でなければ、苦の状態に固定されているのです。無常を理解できれば、無常を活用できるようになるのです。問題も解決できるのです。暗くならずに明るくなることができるのです。 

 無常が理解できない理由は、智慧を持ってすべての現象が無常を直視しないからです。智慧を持って無常を見るためには、釈尊の開発したヴィパッサナー冥想を行うことが必要です。無常をしっかり見ることによって、老化も死も受け入れる境地ができるのです。それが解脱です。


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~ 
 

この記事へのコメント

ホーシノヒトリゴト
2008年08月29日 11:13
ワンギーサさん 今朝もありがとうございます。ここで言っている「智慧」とは、主観や固定概念などにもとらわれない、ありのままを観ることができる感覚のことなのでしょうか?
身の丈修行者
2015年02月03日 16:07
無常であると(言葉で)分かっているつもりでも、その自分の理解の程度はどれ位か?→きっと深くはないだろう、と思います。

冥想していると常に動いている・・と感じる時があります。それが無常なのか?分かりませんが、止まってはいない印象を感じます。

冥想をさらに続ければ・・どうなるかな?と楽しみにしながら、今後も身の丈で実践していきたいです。

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