すべて現象 苦であると一切厭い解脱する

ダンマパダ 278

すべての現象は苦だと
智慧によって見る時
苦を厭い離れる
これは清浄への道である

○この詩から学ぶこと

 「すべての現象は苦だ」これは四聖諦の苦諦です。無常が解かれば悟りであると同様に、苦が解かれば悟りなのです。そのため釈尊は多くの経典で苦について述べておられます。たとえば最初の説法をまとめた「転法輪経」の中で、「生も苦である。老も苦である。病も苦である。死も苦である。心配、悲泣、苦しみ、憂い、苦悩も苦である。嫌いなものと合うのは苦である。愛するものと離れるのは苦である。求めて得られないのも苦である。五蘊(生命)への執着は苦である。」と現象を例を挙げて説明しておられます。

 また、昨日説明した無常に関連して「肉体は無常である。無常なるものは苦である。感覚は無常である。無常なるものは苦である。概念は無常である。無常なるものは苦である。衝動は無常である。無常なるものが苦である。認識は無常である。無常なるものは苦である。」と人間(生命)の構成要素(肉体、感情、概念、衝動、認識)がそれぞれが苦であるといわれ、人間の存在が苦であることを教えています。しかし、私たちはそれをなかなか納得できないのが現状です。

 最近、私はダンマパダの131番、132番の詩にある「生きとし生けるものは幸せを求めている。」という言葉は苦諦の重要な根拠ではないかと考えています。生きとし生けるものが幸せを求めていることを、特別な少数の人を除いて否定する人はいないでしょう。と言うことは生きとし生けるものは現状に不満を持っているということです。生命・人間が生きている現状は苦だということです。
 こう考えて来ますと、釈尊が説法を始められた根拠は生命の苦しみに対する憐れみであり、修行者が修行を始めるのは生存の苦しみの故であり、仏教の慈悲の心も他の生命の苦しみとの共感を根拠にしていると思われます。

 しかし、大切なことは頭で考えただけでは本物ではありません。すべての現象は苦であることを、実際に観察によって確かめる必要があります。その時、智慧が必要なのです。始めは妄想しない智慧です。ただ観察する智慧です。
 「このように見ると、肉体を厭離し、感覚を厭離し、概念を厭離し、衝動を厭離し、認識を厭離する。厭離の故に貪りを離れる。貪りを離れる故に解脱する。解脱すれば、解脱したという智慧が生じる。」ということです。解脱は一切の苦からの解放であり、究極の幸せなのです。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~ 

この記事へのコメント

2008年08月30日 22:52
いつも仏の教えをわかりやすく説明してくださってありがとうございます。
しかし、読んでフムフムと思っても実行するのは難しいです。
ワンギーサ
2008年08月31日 04:21
葉 様
コメントありがとうございます。確かにすべきことがあるように思いますが、一つ一つ実践すればいいのです。
例えば、八正道、正語のひとつ、嘘をつかないを先ず一日実行するから初めて見る。そしてそれを増やしていけばいいのです。
身の丈修行者
2015年02月03日 16:17
ワンギーサ長老の分かり易い

>実際に観察によって確かめる必要があります。その時、智慧が必要なのです。始めは妄想しない智慧です。ただ観察する智慧です。「このように見ると、肉体を厭離し、感覚を厭離し、概念を厭離し、衝動を厭離し、認識を厭離する。厭離の故に貪りを離れる。貪りを離れる故に解脱する。解脱すれば、解脱したという智慧が生じる。」ということです。解脱は一切の苦からの解放であり、究極の幸せなのです。

これを言葉の知識でなく智慧として分かるようになりたいです。

冥想修行や日々の今でのサティの実践をして参りたいです。

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