仏陀の弟子は 法の六徳 常に念じて 定にいる

ダンマパダ 297

常に仏陀の弟子は
よく覚醒していて
昼も夜も
法を念じている

○この詩から学ぶこと
 
 法を念じるとは、世尊の法の六徳を思い浮かべることです。六徳を挙げてみましょう。

1.善く説き示された教えです。
  教理、実践方法、理論、言語の上だけでなく修行の結果においても完全な教えです。
2.実証できる教えです。
  何時でも誰でも体験できる教えです。
3.普遍性があり、永遠たる教えです。即座に結果が得られる教えです。
4.「誰でも試して、確かめてみよ」と自信を持っていえる教えです。
5.実践者を、煩悩に汚れた心の状態を確実に浄化して涅槃に導く教えです。
6.自らこの教えを実践して体験すべき教えです。


 仏陀の弟子が、世尊の6つの徳を思い浮かべると、弟子の心は欲から離れ、怒りから離れ、迷いから離れます。また、弟子の心はその時、仏陀によって素直になります。心の素直な弟子は道理に基づき、快適になります。法則に基づいて快適になります。快適になった者には喜びが生まれます。喜びが生まれた者の身は軽安になります。身が軽安な者は楽になります。楽しむ者の心は禅定になります。(南伝大蔵教20巻10~11ページより)
  
 法の6徳を念じると心は禅定になるのです。ですから、法を念じることは重要な修行なのです。毎朝、法の九徳をパーリ語で唱えている人は意味もよく理解しておくと、心はさらに安定そます。これは私は実証済ですので、確信を持って言えます。

 今回の文章は仏陀の9徳と法の6徳の内容を除けは、仏陀と法が変わっただけの文章になりました。お経にはこのようなものが多いのです。忙しい現代人には合わないかもしれませんが、これがいいのです。善く記憶できて、だんだん心にしみこんで来て、納得がいくようになるのです。たぶん明日もこのようになるとお思いますが、明後日からは変わります。


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~ 

この記事へのコメント

林田明大
2008年09月16日 01:22
 久々に、コメントをさせて頂きます。岐阜の友人の紹介で、御ブログを知りました。で、6月から開始されたことを知り、遅まきながら、改めて6月から拝読させて頂いております。第一日目の、ブログを書かれる動機、私とほぼ同じですね。私は、5月からでしたが・・・。
 また、初日にありましたが、以下意訳ですが、「悪いことをしてしまったら、悩むのではなくて、悪い結果を上回る善いことをしなさい」という教えには、大いに共感しました。大いに勉強にもなりますし、日々楽しみに拝読させて頂いております。
ワンギーサ
2008年09月16日 08:12
林田明大 先生
コメントありがとうございます。私もよく先生のブログを拝見して勉強させて頂いております。私はテーラワーダ仏教の比丘ですが、陽明学学徒には共感するところが多いのです。彼らには志があります。これからの日本に必要なことは志のあるリーダーの養成だと思っております。先生のお仕事は重要な役割を演じると思います。ご活躍をお祈り申しあげます。
身の丈修行者
2015年02月05日 16:24
朝の読経時以外では「常に念じて」が出来ていません。
「定にいる」はもっと出来ていない様に思います。

日々の中でのちょっとした時間でも出来るように精進したいです。

また林田様とワンギーサ長老のコメント、とても心温かく感じました、素適ですね。

この記事へのトラックバック