仏陀の弟子はよく覚めていて 不害の心を楽しむよ

ダンマパダ 300

常に仏陀の弟子は
よく覚醒していて
昼も夜も
不害の心を楽しむ

○この詩から学ぶこと

 今回の詩のキーワードは「不害」です。

 不害は他の生命に害を与えないことです。
 なぜ他の生命に害を与えないのか?
 それは自分が幸せでいたい。
 害をあたえられたくないと願っているからです。
 この心が自分にあることをしっかりと感じる必要があります。
 忙し過ぎたり、自分の心に無関心な人は
 この心が自分にあることを忘れている場合があります。
 そうすると、他の生命も自分と同じように幸せでいたい。
 害を与えられたくないと願っていると気付けません。
 そうすると思いやりの心、不害の心は生まれません。

 不害の心の同義語は悲心です。
 悲心は苦しんでいる人を心から同情して苦しみがなくなるように願う心です。
 母親が病気の子供が回復することを願うように。
  
 この心ははじめは小さなものです。
 この心ははじめは親しい人々にしか届きません。
 しかし、この心は大きくすることができます。
 自分の知っている生命から
 自分の知らない生命まで、
 生きとし生けるものすべてに広げることができるのです。
 そして、自分の嫌いな生命や
 自分を嫌っている生命まで広げることができるのです。


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~ 

この記事へのコメント

ホーシノヒトリゴト
2008年09月18日 07:50
ワンギーサさん 今朝もありがとうございます。ダンマパダ300で言う「不害の心、悲心」について私は忘れて生活しています。自分が幸福に生きるためには守らなければならない非常に大切な気持ちですね。
身の丈修行者
2015年02月05日 16:45
とても私事的な内容になりますが、隣のやや高齢の夫妻がその方の庭経由で我が家の庭に除草剤や水等をまいてくる事が日常的にあります。
それに対して敵意を持たないように・心を平静に保つのに苦労する時がありました。
こちらで学び、慈しみの念を投げかけつつ、相手のしている事をある程度しょうがないと流し・庭のその部分をあきらめた(捨てた?)ら、楽になり、ストレスに思う機会も随分と減りました。
現在は修行に専念したい気持ちも有り(その庭の部分を捨てる事で得られる)時間を修行に使おうと思っています。
その方と戦うのでなく共生?の実践のような印象を感じる事もあります。
その他でも不害の心をすこしずつでも実践して参りたいです。

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