仏陀の弟子はよく覚めていて 慈悲の心を楽しむよ

ダンマパダ 301

常に仏陀の弟子は
よく覚醒していて
昼も夜も
修行を楽しむ

○この詩から学ぶこと

 仏教で修行といえば八正道を実践することです。まず正見の実践です。私はこのためには慈悲の冥想を行うことが一番だと考えています。慈悲の冥想については日本テーラワーダ仏教協会のホームページの詳しく記載されていますので、それを参照ください。
 http://www.j-theravada.net/3-jihi.html

 ここでは、私が慈悲の冥想を実践しての感想をいくつか述べてみたいと思います。

 慈悲の冥想は「私は幸せでありますように」と唱えることから始まります。これは非常に大切なことです。この言葉を利己的に感じる人もいるかもしれませんが、この言葉自体には排他的な意味は含まれていません。素直に「私は幸せでありますように」という気持ちを感じるのです。この気持ちが必ずあるはずです。この気持ちは心が落ち着いてこないと感じられません。この気持ちが感じられると心は穏やかになります。

 次は「私の悩み苦しみがなくなりますように」と唱えて、自分の悩み苦しみがなくなることを願う心を感じてください。

 三番目は「私の願いごとが叶えられますように」と唱え、叶えられた喜びを感じてください。

 四番目は「私に悟りの光が現れますように」と唱えます。これは、真理がわかることです。真理がわかれば、すべての悩み苦しみがなくなります。すべての生命を平等にみることができるようになります。人生が明るくなるのです。「悟り」あるいは「真理」を求める自分を感じてください。

 以上四つの心はそれぞれ慈、悲、喜、捨の心と言います。始めはまだまだ小さくて種のようなものかもしれませんが、これらの心は育てることができるのです。無限に育てることができるので、仏教では四無量心と言います。

 慈悲喜捨の心の育て方は、まず自分に対してはある慈悲喜捨の心を自分の親しい人々に対しても持てるように広げるのです。自分の親しい人々にまで広げるのは比較的簡単かもしれません。それから自分の知っている人々に広げます。次に知らない人々にも広げます。そしてすべての生命にも広げます。

 すべて生命にまで慈悲喜捨の心を広げられればこの修行は完了ですが、少し吟味してみる必要があります。それは自分の嫌いな人々にも、自分を嫌っている人々にも慈悲喜捨の心が持てているかどうか調べるのです。これは少し難しいのですが、あわてる必要はありません。繰り返し慈悲の冥想を実践すれば、必ずできるようになります。そのも余り時間はかかりません。その時は自分でも驚くほど、心が穏やかになり、人間関係に問題があっても好転します。

最後に、この慈悲の冥想の十一の功徳について列挙します。
1.安眠できること
2.気持ちよく目覚めること
3.悪い夢を見ないこと
4.人々に愛されること
5、神々に愛されること
6.神々に守られること
7.火災、中毒、武器などの害を被らないこと
8.気持ちが落ち着き、集中力が増すこと
9.顔が清らかになること
10.安心して死ねること
11.この世で阿羅漢になれなくとも、死後に梵天になること

こんないいことはありませんね。是非、慈悲の冥想を実践して下さい。


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~ 

この記事へのコメント

ホーシノヒトリゴト
2008年09月19日 07:55
ワンギーサさん 今朝もありがとうございます。「慈悲の瞑想」を続けていると十一の功徳があるということですね。しかし、功徳を得るということを目的にすると、それを期待するという欲(煩悩)になるようなのでこだわらないで実践してみます。ありがとうございました。
身の丈修行者
2015年02月06日 11:10
自分でない人・生命に対し「幸いでありますように」との慈しみの気持ちを持つと、自分の心が温かくなります。
もしですが「相手が幸せでない方になってしまえ」と思うと心が暗くなり・落ち着かなくなる自分がいます。
慈悲の冥想・慈しみの投げかけが何時も出来るように精進したいです。

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