確信があり戒を守って富ある人は尊敬される

ダンマパダ 303

確信があり戒を守って
名声と富のある人は
訪ねる所はどこでも
その土地土地で尊敬される

○この詩から学ぶこと

 確信がを持つとは、仏陀が真理を発見したことに確信をもつことであり、仏陀の教えは私たちを幸福に導くことであると確信することであり、僧団は仏陀の教えを守り伝えている集団であると確信することです。人が生きていく上で確信が持てるものがあることは幸せなことです。このことは逆の場合を考えれはよくわかることです。何をするにも確信がなければ不安で落ち着かないものです。

 戒を守るとは、道徳を守ることです。道徳を守ることは社会で幸福に生きるための保障です。道徳を守らなければ、不幸になります。これは当たり前のことですが、最近この当たり前を理解しない人々が増えているような気がします。

 私たちが確信を持ち、道徳を守ることは、努力さえすればできることです。しかし、名声と富は努力をすればできるというものではないのです。このように書くと反論したい人は多いと思います。でもこれらは努力して得られるものでないと知っておいた方が、平和な人生がおくれます。努力の結果は期待するものではないのです。それが執着のない潔い人の生き方です。

 世間には、努力に努力を重ねて、名声や富を獲得した人々を見ているでしょう。ですから、努力をすれば名声や富を得られると思っているでしょう。そうでない人は努力が足りないのだと思っているでしょう。でも違います。

 世間には、努力に努力を重ねても、名声や富を獲得できない人々の方が多いのです。名声や富は業の結果なのです。確信を持ち、戒を守れば幸福にはなりますが、名声や富が得られることとはかぎりません。

 では業とは何でしょう。正確な業の説明は、日本テーラワーダ仏教協会のホームページの「業」の解説欄  http://www.j-theravada.net/pali/key-kamma.html を参照して下さい。

 物質的な現象は因果法則に従っているように、生命の現象も因果法則に従っています。生命の因果法則が業論です。業とは行為という意味ですが、行為をしたとき心に溜まるエネルギーです。仏教では身体の動き、話すこと、考えたり思ったりすることも行為といいます。また、何か行動したり、話したりするときは必ず意思があると考えています。身体の行為のない意思だけでも行為なのです。正確には意思が業(心に溜まるエネルギー)を作ると言った方がいいのです。ですから、思っただけでも業ができるのです。悪いことを考えると悪い業がたまります。善いことを考えると善い業がたまります。

 さて、名声や富は心に溜まっている善いエネルギー(業)が作りだすのです。この善いエネルギーは徳といいます。前世では無名であった人が困っている人のために大いに働いて助けたりすると、それに相応しい善いエネルギーが心に溜まり、生まれ変わった後などにそれが名声と富などの形で現われるのです。このエネルギーの少ない人は、努力しても名声や富は獲得できません。でも溜めておくことはできますから、生まれ変わったあとに、実現できる可能性はあります。

 心に善いエネルギーを溜めている人は徳のある人と言われますがそのような人は、どんな所に行っても、その行く先々で尊敬されるのだとこの詩は述べているのです。「人として生まれたからには、多くの善行為をしておこう」というダンマパダ(53)の言葉があります。徳は積んで置くものです。

 名声と富ある人でも、確信がなく戒を守らない人は尊敬されません。こういう人もかなりいますがこのような人は前世の徳の貯金を使うだけですから、来世の幸福は危ないでしょう。


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~ 

この記事へのコメント

身の丈修行者
2015年02月06日 11:29
結果的に尊敬されるような生き方が出来たら良いなと思います。
特にそれを目標にするのではなく、スマナサーラ長老・ワンギーサ長老から学ばせて頂きお釈迦様の教えは真理と確信していますので、それを今この瞬間で実践して参りたいです。
戒を出来るだけ守るように心がけて、そのような意味で心が曇る事がない、ような生き方を目指したいと思います。

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