一人で座り一人で臥して一人で歩き一人楽しむ

ダンマパダ 305

一人で座り、一人臥して
一人怠けずに歩き
一人自分を訓練している人は
森林の中で一人を楽しむ

○この詩から学ぶこと

 この詩の因縁物語を簡単に紹介しましょう。エーカウィハーリ(この意味は一人で住む)長老は仲間の比丘と一緒に行動せず、いつも一人で修行をしていました。そのため仲間の比丘が批判して釈尊に報告しました。ところが釈尊は「エーカウィハーリは善いことをしている」と彼をほめました。その時、上の詩をのべました。

 釈尊はなぜ、一人で修行することを推奨すのでしょうか。日本テーラワーダ仏教協会の日常読誦経典の61ページに「偉大なる人の思考」というお経があります。その3節は「この法は遠離(一人)を喜ぶ人のものであり、衆会を楽しむ人のものではない。」と書かれています。そのお経についてスマナサーラ長老が解説した小冊子「偉大な人の思考」を参考にしてその意味考えてみましょう。

 人が誰かに関係を持つことに楽しみを持つと、相手の都合に合わせなければならなくなります。正しいことを正しいとし、悪いことを悪いとすることが、自分の関わりのある人の都合でできなくなることもあります。自分の幸福が関係を持つ人々に依存することになるのです。精神の独立がなくなります。真理を求める人にとって精神の独立は必要なことなのです。

 一人でいることを嫌い、いろいろな人々と関係を持ち、わいわいがやがやおしゃべりを楽しむと修行などできなくなります。一人でいればこそ、自分自身に注意を向けることができ、自分を管理できるようになるのです。一人でいる時、さびしいと感じたら、その時自分は何かに依存していることが解かります。その依存が自分を成長を妨げ、その依存は無意味であることが発見できるでしょう。そうすれば、その依存を捨てることができ、独立した人格を形成できるのです。

 「一人を楽しむ」は仏教用語では「遠離を楽しむ」ということです。遠離については7月16日にダンマパダ205番で説明しましたので参考にして下さい。

○話しは変わります。

 昨日のダンマパダ304番について、私のパーリ語の先生である柴田様からアドバイスを受けましたので、皆さんにも参考になると思い要旨を書きます。

 善人がよく見えるのは、インドのガンジーやノーベル平和賞をもらったマザーテレサが我々にyoよく知られているようなことであり、一方、悪人がよく見えないのは、悪人は自分の行為を隠すからよく見えないのだということです。だから、ヤクザの親分は我々にはよく知られていないようなものだと言われました。この例はよく分かると思います。

 そこで私の考えたことは、日本の官僚の名前を私たちがよく知らないのは、彼らは悪人だからかもしれないと。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~ 

この記事へのコメント

ホーシノヒトリゴト
2008年09月23日 09:12
ワンギーサさん 今朝もありがとうございます。今日の解説で、一人で修行して自己をよく観察し心を管理する必要性のあることが理解できました。さて、昨日の補足説明をしていただき、「暗闇の中の矢」の意味が理解できたように思います。ありがとうございました。
身の丈修行者
2015年02月06日 11:46
以前自己啓発系?で自己開示の大事さ・・みたいな事を聞いた事があります。巣の心を出すには成長が必要であり、それが出来る人間関係は心の友だとの様な内容でした。
実際その「心の友」を大事にするような時期がありましたが、こちらで学び疑問を持つようになりました。
心の友に巣の心がさらけ出せるくらいの成長・・の成長?って本筋と違うように感じたからです。
それを自覚して以来、自分で行う修業を意識しています。
勿論(自分に必要な)会等に参加させて頂きたいと思いますが、自分の生活の中で自身で実践する事が大事になると感じています。

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