袈裟をまとって悪行すればその悪業で地獄行き

ダンマパダ 307

首に袈裟をまとって悪を行ない
野放図の者たちが多い
彼ら悪人たちは悪業によって
地獄に生まれ変わる

○この詩から学ぶこと

 この詩ができた因縁物語を紹介します。ある時モッガラーナ尊者は飢えた餓鬼たちを見ました。彼は僧院に帰った時、仏陀にその餓鬼について尋ねました。仏陀は次のようにお答えになりました。「彼らは長い長い昔に比丘であった。しかし、彼らは修行をしないで、悪いことばかりしていた。そのため、彼らは長い間地獄で苦しめられ、今は餓鬼の世界にいるのだ。」と。そして上の詩を唱えました。

 この詩は、出家者に向けて唱えられたものです。同じ悪行為をしても出家者は在家者より罪が重いのです。その理由は、先ず、出家者は在家者のお布施に依存して生きているからです。出家者は修行をして、罪を犯さないように生きる義務があるからです。在家者の場合は自分の稼ぎで生きているわけですから、出家者のような義務はないのです。しかし、在家者といえども、悪行は悪業をつくりますから危険です。危険という意味は地獄に近づくということです。

 ここで、釈尊が出家者の立場を自覚させるために説いた、そして比丘(テーラワーダ仏教の僧侶)が毎日唱えている「十法経」というお経をご紹介しましょう。在家者にも参考になると思います。

 「十法経」

 比丘たちよ、出家した者が常に観察すべき法は十あります。その法は何ですか?

1.私の姿形は変わりましたと、比丘は常に観察すべきです。

2.私の生活は他人に依存していると、比丘は常に観察すべきです。

3.出家に相応しい立ち振る舞いをすべきであると、比丘は常に観察すべきです。

4.私の良心が戒律を犯していると訴えているかどうか、比丘は常に観察すべきです。

5.智慧のある修行仲間が戒律について私を批判しないかと、比丘は常に観察すべきです。

6.一切の自分の好きなものが離れて消えていくものだと、比丘は常に観察すべきです。

7.私は業により構成され、業を相続し、業によって生まれ、業を親族にして、業に依存して生きているものである。悪行為あるいは善行為をしたら、私はそれを相続しなければならないと、比丘は常に観察すべきです。

8.私は日夜どのように生活しているかと、比丘は常に観察すべきです。

9.私は出家生活に満足を感じているかどうかと、比丘は常に観察すべきです。

10.私が最期を迎えた時、人間の知識を乗り越えた聖なる法といえる智慧の一つでも経験しているでしょうかと、集まった修行仲間に訊かれても、絶句にならないように、比丘は常に観察すべきです。

 以上ですが、これを実践するには絶えず自分に注意を向けていなければなりません。いわば比丘は絶えずヴィパッサナー冥想をするように義務付けられているのです。在家の人も悪行為をしないようにするためには、絶えずヴィパッサナー冥想の実践をこころがけることは必要なことです。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~ 

この記事へのコメント

ホーシノヒトリゴト
2008年09月25日 13:27
ワンギーサさん 今日もありがとうございます。「十法経」について具体的な説明をしていただきありがとうございました。10の気づきですね。1、変化成長の観察。2、お陰様の観察。3、行儀作法の観察。4、良心の観察。5、戒律遵守の観察。6、離貪・離欲の観察。7、業の観察。8、日常活動の観察。9、充足の観察。10、智慧修得の観察。以上が在家信者として心がける観察(気づき)なのでしょうか?
ワンギーサ
2008年09月25日 17:00
ホーシノヒトリゴト様
よくまとめてありますね。しかし、記憶するときはあなたのような言葉でまとめてもよいのですが、実践するときは具体的な言葉のほうが実践しやすいですよ。
身の丈修行者
2015年02月06日 12:04
ヴィパッサナー冥想の実践・自分に注意を向けることは、心の認識を深める事になるように感じます。
ワンギーサ長老が分かり易く掲示・解説下さっている十法経を在家として意識して参りたいと思います。

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