他人の妻に近づく者は 苦しみ増えて地獄行く

ダンマパダ 309、310

放逸で他人の妻に近づく者は
四つの事に遭遇する
悪業が増え、満足がない 
第三は非難、第四は地獄

悪業を得、死後は地獄
怯える男と怯える女の快楽は少なく
国王は重い罰を与える
それ故に他人の妻に近づくな


○この詩から学ぶこと

 始めに、この詩のできた因縁物語を紹介します。
 有名な在家信者アナータピンディカの甥はケーマという名でありました。彼は金持ちであるばかりでなく、非常にハンサムでした。そのためいろいろな女性から誘惑され、不義密通の罪を犯し、何度か逮捕されました。しかし、国王は彼の叔父を尊敬していたので、彼に対して処罰をしませんでした。アナータピンディカはこれを知り、彼を仏陀の所へつれて行きました。その時、仏陀は彼に上の詩のような説法しました。彼は態度を改め、五戒を守るようになりました。

 他人の妻と邪まな関係を持つことは、上の詩にあるような結果になるので、それを恐れてその行為を避けるべきであることは間違いのないことです。しかし、近代の文学などでは、真実の愛は道徳以上に大切だとして、不倫を肯定する説もあります。この問題について少し考えてみましょう。

 この場合、一番問題になるのは「真実の愛」です。「真実の愛」とはなんでしょうか? 私の知る範囲では、真実の愛とは純粋な愛というもので、まじりっけのない愛、道徳や世間体や金銭欲や名誉欲の混じらない愛のことを言うらしいのです。ただ好きという感情だけを大切にする愛のようなのです。好きとか嫌いとかいう感情は、感情ですから根拠がないのです。これは業により形成されています。業が分かれば、なぜ好きなのか嫌いなのか分かる筈ですが、通常は業は理解できませんから、好き嫌いの根拠は分からないのです。

 純粋な愛が真実の愛でしょうか。感情的な愛ではないでしょうか。真実の愛というからには理性的な愛でなければならないのではないでしょうか。ここで私は真実の愛とは慈悲喜捨の心による愛ではないかと言いたいのです。相手の幸せを願う愛、困ったときには助けようとする愛、相手と共に喜べる愛(嫉妬心のない愛)、差別にない平等な愛、これらが真実の愛でしょう。

 ただ、好きだと言って、お互いに快楽を求めるだけの愛は決して、真実の愛ではないし、今回の詩にあるように、不倫は不幸な結果になるのですから、相手の幸せを願っていることにはならないのです。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~ 

この記事へのコメント

ホーシノヒトリゴト
2008年09月27日 09:21
ワンギーサさん 今朝もありがとうございます。さて、まことに「愛」というものは多様なものですね。自然への愛、人への愛、国への愛、民族への愛、会社への愛、組織(チームなど)への愛など広範で多様ですね。異性に対する愛も広範で多様です。子どもの時、10代の思春期、結婚適齢期、結婚後でも子育ての時から子育て後、そして高齢、老齢になった時など、人生には多様な「愛」があります。また、「愛」の内容も、性的な愛、敬愛、慈しみの愛、盲目で病的な愛と多様ですね。私はテーラワーダ仏教の教えに触れて人生では「人格の完成」が大事なことだと知りました。従って「愛」についても自分と相手、対象が幸福につながるものであることが大事なことだと思っています。今日の詩であらためて「愛」についていろいろ考えることが出来ました。ありがとうございました。
ワタナベ
2008年09月29日 23:45
ワンギーサ師のおっしゃるとおり、まさに初期仏教では、世間でよく使う曖昧な言葉である「愛」という定義を『慈・悲・喜・捨』というわかりやすい用語に分けて定義されているように思いますので、初期仏教をご存知の方にはその点、誤解がなく理解できるものと思いました。
そういえば、今年の初冬?の千葉柏でのスマナサーラ長老の講演会の題目は『愛』というテーマで慈悲喜捨についてお話されていたように思います。
ありがとうございました。
ワンギーサ
2008年09月30日 09:00
ホーシノヒトリゴト様
長文のコメントありがとうございます。
私の解説にもなって助かります。

ワタナベ様
コメントありがとうございます。
ワタナベ様にはもっとパーリ語の補助的説明のコメントが欲しいです。よろしくお願いします。
身の丈修行者
2015年02月07日 15:23
私事ですが、以前病院勤務だった頃家庭があるのに女性を口説く職員が複数いて・・に思いました。
肉体関係を持ちたいという欲望の為に「君のような女性を探していた」等とトークし、またそれに乗ってしまう女性も複数いました。
結局その欲望には切りがないのにな、と感じます。
ワンギーサ長老の分かりやすい解説やコメントを拝見し、「愛」の定義を慈・悲・喜・捨で捉えると分かりやすいなと感じました。そんな愛の投げかけを実践して参りたいです。

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