解脱するまで性欲あれば 男は女に御執着
ダンマパダ 284
欲の林が切り取られない限り
女への男の欲が少しでもあれば
乳を飲む子牛が母をしたうように
男は女に執着する
○この詩から学ぶこと
この詩は性欲がテーマです。昔、大岡越前守が裁判上の必要から、自分の母親に「女は年をとっても性欲があるかどうか」聞いたそうです。(もちろんこのように聞いた訳ではないでしょうが。)母親は火箸で火鉢の灰をかいたそうです。大岡はこれを見て、「女も灰になるまで性欲はある。」と察したそうです。
このことから、性欲は人間にとって不可欠なもの根本本能だと思うのは早急です。昔の中国では宦官というものがあり、自分の性欲を捨てて、名誉や出世を望む人々がいたということは、性欲以上に、大切なものが彼らにはあったのです。日本の大乗仏教の僧侶は性欲を捨ててませんが、それ以外の僧侶は性欲を捨てて出家をしているのです。それは別に大したことではないのです。出家する目的は性欲より大きなものだからです。
しかし、「欲の林が切り取られない限り」はすなわち煩悩をすべて捨てて悟らない限りは、性欲は人生を狂わす場合が少なくないのです。それは性欲に対する誤解あるからです。
性欲は食欲や睡眠欲と違って、性欲はなけれ生きて生けないものではないのです。そう思うのは「私はあなたなしでは、生きて生けない」と言うことと同じように妄想です。性欲もあなたも無くて生きて生けます。
性欲が大きなエネルギーになるのは、妄想によるものです。この詩でも「女への男の欲が少しでもあれば、男は女に執着する」と書いてあります。少しの欲が、妄想によって執着になるのです。性欲が妄想であることが解かれば、性欲への執着から解放されます。
はじめの大岡越前守の母の話は悟ってない人間にとっては、「性欲は死ぬまである」ということは当然のことです。ですから、凡夫には死ぬまで性欲に悩まされることになるのです。年をとればエネルギーが不足してきますので、性欲が薄まるということはあります。
この詩は男性の性欲について述べてありますが、女性も同じように妄想するのですから、性欲はあります。女性の場合は出産という現実の問題がありますので、男性より妄想に走らないということは言えます。その点が男性の性欲と女性の性欲の違いです。しかし、現代では外界からの性的な刺激が大きいため、男女の差よりも、個人差が大きくなっているように思います。
尚、7月21日、ダンマパダ214、215の「この詩から学ぶこと」に性欲について書いてありますから、参考にして下さい。
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~
欲の林が切り取られない限り
女への男の欲が少しでもあれば
乳を飲む子牛が母をしたうように
男は女に執着する
○この詩から学ぶこと
この詩は性欲がテーマです。昔、大岡越前守が裁判上の必要から、自分の母親に「女は年をとっても性欲があるかどうか」聞いたそうです。(もちろんこのように聞いた訳ではないでしょうが。)母親は火箸で火鉢の灰をかいたそうです。大岡はこれを見て、「女も灰になるまで性欲はある。」と察したそうです。
このことから、性欲は人間にとって不可欠なもの根本本能だと思うのは早急です。昔の中国では宦官というものがあり、自分の性欲を捨てて、名誉や出世を望む人々がいたということは、性欲以上に、大切なものが彼らにはあったのです。日本の大乗仏教の僧侶は性欲を捨ててませんが、それ以外の僧侶は性欲を捨てて出家をしているのです。それは別に大したことではないのです。出家する目的は性欲より大きなものだからです。
しかし、「欲の林が切り取られない限り」はすなわち煩悩をすべて捨てて悟らない限りは、性欲は人生を狂わす場合が少なくないのです。それは性欲に対する誤解あるからです。
性欲は食欲や睡眠欲と違って、性欲はなけれ生きて生けないものではないのです。そう思うのは「私はあなたなしでは、生きて生けない」と言うことと同じように妄想です。性欲もあなたも無くて生きて生けます。
性欲が大きなエネルギーになるのは、妄想によるものです。この詩でも「女への男の欲が少しでもあれば、男は女に執着する」と書いてあります。少しの欲が、妄想によって執着になるのです。性欲が妄想であることが解かれば、性欲への執着から解放されます。
はじめの大岡越前守の母の話は悟ってない人間にとっては、「性欲は死ぬまである」ということは当然のことです。ですから、凡夫には死ぬまで性欲に悩まされることになるのです。年をとればエネルギーが不足してきますので、性欲が薄まるということはあります。
この詩は男性の性欲について述べてありますが、女性も同じように妄想するのですから、性欲はあります。女性の場合は出産という現実の問題がありますので、男性より妄想に走らないということは言えます。その点が男性の性欲と女性の性欲の違いです。しかし、現代では外界からの性的な刺激が大きいため、男女の差よりも、個人差が大きくなっているように思います。
尚、7月21日、ダンマパダ214、215の「この詩から学ぶこと」に性欲について書いてありますから、参考にして下さい。
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~
この記事へのコメント
仏教徒が守るべき釈尊が決めた五戒というものがあります。その3番目に「邪まな行為をしない」があります。これは出家者には性行為を禁止したものですが、在家の人々には、配偶者以外の人との性行為を否定したものです。ですから夫婦間で子供を生むための性行為を否定している訳ではありません。性欲の為に性行為をするのではありません。性行為は子供を生むためのものです。性欲も他の欲望と同じように感覚の刺激を楽しみたいというものです。ですから性欲を否定するのは感覚の刺激の奴隷にならないためです。
その時の自分を観察した所、魅力的な女性=気持ちいい・・という様に繋がっていると感じました。
つまり気持ち良い五感の刺激がここにある・・という目で見てしまう感じなんだなと想像しました。
自分なりに、魅力的な女性を見ないようにする・・よりは「幸いでありますように」との慈しみの念を思ってフェイドアウトの方がやり易いと分かり、実行しています。
それはそれなりに成功していると思いますが、魅力的な女性を見てしまう・・事も減らしたいなとチャレンジ中です。
https://noritsu.seesaa.net/article/200809article_5.html