子供や財産夢中な人を 予告しないで死が襲う

ダンマパダ 287

子供や家畜に夢中になって
それらに執着している人を
眠っている村を大洪水が襲うように
死神は彼を奪い取って行く


○この詩から学ぶこと

 昨日のダンマパダ286、及び今日のダンマパダ287もテーマは「死」です。人間は「死」という言葉さえも忌み嫌い、不吉だと嫌がります。特に日本人にその傾向が強いのではないでしょうか。その例が病院やホテルには発音が死につながるというだけで、四号室を作らないなどです。しかし、これは事実を直視しない悪い因習ではないでしょうか。死は必ず来るものですから、死はどういうものか認識しておく必要があるでしょう。死を受容できれば、死を恐れることもなくなり、人生への無駄なこだわりが少なくなって、平穏、安心の人生を送れるようになります。そのため、釈尊は多くの経典に死について述べております。

 死の問題について非常に共感できた本がありました。それは「死を考える人々のために」(小出建四郎 著、朝日新聞社 発売)であります。その中から、著者と共に私も皆様に訴えたいことを次に引用させて頂きます。

 「そもそも人間は、生まれたらいつかは必ず死ぬということを、『ノー』と否定する人はいないはずである。この絶対的な、動かすことのできない事実が、わが身に必ずやってくるというのに、今日、日本人の大半が、何と疎く、また、何と無頓着であろうか!と言いたいのである。

 何ゆえこうなのだろうか? この問題の要は、『いつかはくるかもしれないが、自分に限ってはまだまだ先のことだ』と軽く受け流し、かかわろうともせず忘れ去っている。つまり『死』という人間にとっての一大事が、他人の死については、よく心配りするけれども、己自身についてはほとんど考えようともしない。

 どうも日本人だけが、この『死』という人間の一大事を、まるで他人事のように思い、心は外へ外へと向かうばかりだから、日頃の家庭や職場において『死』の問題は、ほとんどの場合、遠く忘れ去り疎んじて、無頓着となってしまっているのが現状である。私は、この日本人の現在の心が、もはや人間の心の病いに冒されていると忠告したいのである。」

 引用した本「死を考える人々のために」の内容の半分は法句経(ダンマパダ)の解説です。この本の著者 小出建四郎先生も日本人の考え方の問題点の改善にはダンマパダが有効であるとお考えのようで、その点にも大いに共感しました。


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~ 

この記事へのコメント

身の丈修行者
2015年02月04日 13:20
生きていく中で死や都合の悪いことは話題にしない・触れない・・ような避ける状況に接する事があります。

死にそうな人に「大丈夫だから・・」と解釈によっては意味不明な言葉を投げかけるシーンに接する時もあります。

生・老・病・死が無常ですので当たり前・・という見方が出来れば、もっと生きやすくなるように思います。

身近に死に接する仕事をしていますが、ご本人様にもご家族様にも、出来れば心が揺れる状況が少ないといいなと願いながら対応させて頂いています。

こちらでの学びがとても参考になります。

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