執着の基の卑しき渇愛に打ち負かされて憂いが増える(335)

ダンマパダ 335、336

世の執着の基である卑しい渇愛が
彼を打ち負かすならば
雨に降られたビーラナ草のように
彼の憂いは増える

しかし、世の征服し難い卑しい渇愛に
彼が打ち勝つならば
はすの葉の水滴のように
彼から憂いが落ちる

○この詩から学ぶこと

 上の二つの詩では、渇愛を「執着の基である」と「征服し難い」と「卑しい」と3つの言葉で説明しています。
 
 仏教の「因縁の教え」では、渇愛を縁にして執着が生じると教えています。そのため、渇愛を「執着の基である」というのです。

 また、渇愛は、喉が渇いた人が水を求めるような心の作用ですので、喉が渇いた人から水を奪うことは大変なように、渇愛を抑制することは大変難しいことなのです。

 そして、渇愛はなりふり構わずの下品な態度がありますから、釈尊は卑しいと表現するのです。

 人がこの渇愛に負けることは、渇愛が増えるということです。渇愛が増えると執着が増えます。執着から憂いがうまれます。ですから、執着が増えれば憂いが増えるのです。仏教では心の苦しみを憂いという言葉を使うのです。

 逆に、人が渇愛に打ち勝つならば、執着がなくなり、そのために、憂いがなくなるのです。

 では、どのようにして、征服し難い渇愛に勝つのでしょうか。渇愛は「受」を縁として生じます。ですから、「受」から渇愛の経路を断てば、渇愛が生じなくなります。この経路がパパンチャなのです。スマナサーラ長老の言うところの心の捏造作用です。感覚器官で感じた感覚を感覚のままで止めて、感覚から妄想しないようにすればよいのですが、これは人間は生まれてからこの方、行ったことのないことですから、相当の修行が必要なのです。ヴィパッサナー冥想は感覚を感覚のまま観察することによって、パパンチャ(心の捏造作用)を止める訓練なのです。

 どんな悪口を聞いても、「音、音、音」とラベリングするのはそういうことなのです。

○世の中の制止しがたい渇愛に打ち勝つならば憂いが落ちる(336)


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
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~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~ 

この記事へのコメント

2008年10月14日 08:07
ワンギーサさん、おはようございます。今日は渇愛の内容と克服方法ですね。これは、もう頭での理解を越えている内容です。よく5欲への渇愛と言いますが、耳なら「音、音」のラベリング能力を磨けばよいのでしょう。「音楽が音苦」と分かれば、執着も減るでしょう。音でも、人の話し声が問題ですね。ところで普通は、聴覚と視覚から渇愛や悪感情を引き起こすのでしょう。以前「色と形」と伺いましたが、視覚については「色、形」とラベリングすればいいのか?です。「見ている」などはどうなのでしょうか?有難うございます。
ワンギーサ
2008年10月14日 09:45
新様、おはようございます。歩く冥想の時は、「右足上げます。運びます。降ろします。左足上げます。運びます。降ろします。」ですし、座る冥想のときは、目を閉じますから、実際には「色形」は使うことはないと思いますが、必要な時は私は「色形」を使います。「見ている、見ている」でもいいと思います。しかし、この辺のこたは人に聞くより、自分で試して、効果を自分で判定してください。その方が冥想が面白くなります。妄想がなくなればいいのです。
ホーシノヒトリゴト
2008年10月14日 09:56
ワンギーサさん、今朝も有意義なダンマパダの解説ありがとうございます。さて、今日の詩には渇愛に「卑しい」という形容詞が付いていますが「卑しくない渇愛」はあるのでしょうか? 美しい景色を観る、人格の向上に役立つ善い本を読む、健康によい食べ物を食べる、せせらぎの音や小鳥のさえずりなどを聞く、お風呂に入る、散歩するなどなど、喜びを感じるような渇愛もあるようにも思います。それらを求める行為が「卑しい」のでしょうか? ご指導宜しくお願いします。
2008年10月14日 10:11
ワンギーサさん、ご指導有難うございました。妄想がポイントなのですね。有難うございました!
ワンギーサ
2008年10月14日 11:11
ホーシノヒトリゴト様、おはようございます。御質問の卑しいは、限定的に使ってはいません。卑しい=渇愛です。卑しくない渇愛があると考えるのは間違いです。渇愛は徹底的に卑しく、汚い糞のようなものと考えた方がいいのです。そうでなければ、渇愛を捨てることはできません。瞬間瞬間、その時必要な行為をすることが大切です。喜びを求めると心は汚れます。その時、喜びを感じるの否定しません。
ホーシノヒトリゴト
2008年10月15日 08:12
ワンギーサさん 渇愛(五欲、生存欲、非生存欲)はすべて悪行為でこころを汚すのですね。「その時、必要な行為(善行為)をすることだけ」というキーワードでよく解りました。懇切丁寧なご指導ありがとうございました。
身の丈修行者
2015年02月10日 10:13
ワンギーサ長老の本文・解説、そして皆様・長老のコメントも大変勉強になります。有難うございます。
感覚から渇愛が生まれるのを止めるのはワンギーサ長老ご解説の「ヴィパッサナー冥想は感覚を感覚のまま観察することによって、パパンチャ(心の捏造作用)を止める訓練」のヴィパッサナー冥想によって出来る、と改めて分かり、やる気がさらに出ました。
この大事さを知り・実践出来る流れを頂けています事、至福に思います。精進して参ります。

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