草の根を掘り起こして枯らすように渇愛抜いて幸福であれ

ダンマパダ 337

私はここに集まった皆に説く
幸福であれ
ビーラナ草の根のように
渇愛の根を掘り起こせ
君たちよ、葦が流されるように
繰り返し悪魔に破壊されるな

○この詩から学ぶこと

 この詩は釈尊が、精舎に集まった比丘や在家の信者さんに説法している様子から始まります。

 釈尊は「皆さんが幸せでありますように」と祝福の言葉を唱えました。釈尊の言葉は偉大な真実の言葉ですから、これが原因になって、これに相応しい結果が現れます。釈尊の言葉は空念仏ではありませんから、次に何をすべきか示されます。

 ビーラナ草の根は香りがよく、薬として用いられますが、人々はその根を取るために、根を完全に掘り出すのです。そのように渇愛を完全に、心から掘り出して枯らしてしまうべきだと仰るのです。なぜならば、渇愛が残っているならば、苦悩が生まれ、幸福になれないからです。

 釈尊は、渇愛、欲望、煩悩をたびたび激流に喩えます。そして葦は私たち人間です。余談ですが、フランスの哲学者パスカルが「人間は考える葦だ。」と言いました。パスカルは「葦」を弱い存在という意味に、「考える」を肯定的な意味で使いました。

 しかし、釈尊は簡単には肯定しません。ほとんどの人間は感覚から得た情報を捏造して、渇愛に変えて、苦しみを作りだすからです。情報の捏造(パパンチャ:昨日のブログ参照)を止めて正しく考えることの出来る人間にとってのみ思考は人間の幸福に結びつくのです。

 話をもどします。葦のような弱い人間が煩悩の激流に流され、幸福を流すことのないようにと説かれます。また、悪魔は欲望の世界の大王ですから、人間が欲望の世界、輪廻の世界から解脱することをあらゆる手段で妨害します。そのため、人間は悪魔に渇愛の掘り出す修行が破壊されて、輪廻を繰り返すことになるのです。

 釈尊は「君たちよ、葦が激流に流されるように、繰り返し悪魔に破壊されてはいけない」と述べられるのです。現代の人類にも「理解しがたい渇愛の危険性」を警告されているのです。

 私たちは「サードゥ、サードゥ、サードゥ。(ありがたい、ありがたい、ありがたい。)と唱えざるを得ません。


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~  

この記事へのコメント

2008年10月15日 08:05
ワンギーサさん、おはようございます。今日の記事を読んで、渇愛の危険性がのっぴきならないものである気がしました。「苦しみの原因は渇愛」ですから、渇愛は巨大な激流なのでしょう。渇愛については理解し難いものがありますが、八正道の実践を原因にして、渇愛の結果である「苦しみ」から解放されたいものです。有難うございました。
ホーシノヒトリゴト
2008年10月15日 10:42
ワンギーサさん 昨日はありがとうございました。昨日NHKの朝8時半の番組で緒方 拳さんと、夜10時の番組(プロフェッショナル)で柳家小三治さんの話を聴いていましたら「芸の世界も欲を超えたところに本物の芸がある」とおっしゃっていました。渇愛を超えないと本物の生き方はないようですね。サードゥ サードゥ サードゥ
ツヨシ
2008年11月17日 08:43
 ワンギーサさん、おはようございます。
 大学で建築の研究をしています。
 欲のない建築を作りたいですね。
 「おもしろさ」を捨てて、「役に立つ」だけを考えることですかね。
ワンギーサ
2008年11月19日 09:04
ツヨシさんへ。おもしろさは捨てる必要はないと思います。役に立つの他か、安全なものであることも大切です。智慧を出して人を幸せにする建築を作ることが大切です。でも、無駄なものはいけません。工夫することが大切です。それが、生活や研究の喜びになるのです。
身の丈修行者
2015年02月10日 10:22
自身の体験ですが、庭の手入れをしていない頃お化け?のように草が生え・伸び放題でした。
あまりにそれが酷くなり草を刈りました→1週間後にはまた草が茂ってきました。土を耕して根からとらないと駄目だと学びました。
そんな経験があり、このワンギーサ長老の本文の内容を実感致します。
渇愛を根こそぎ取る事が出来たら苦が無くなりますね。精進したいです。

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