渇愛に捕まった人は震えてる わなにかかった兎のように

ダンマパダ 342、343

渇愛に捕まった人々は
わなかかった兎のように震えてる
欲望の対象に執着する衆生は
なんどもなんども苦に到る

渇愛に捕まった人々は
わなにかかった兎のように震えてる
それゆえ、渇愛を除去しなさい
自分の離貪を望む人は

○この詩から学ぶこと

 毎朝、わたしの部屋の窓辺にスズメが来ます。今では野鳥にえさをやることに、いい顔をしない住民が多いので、少しだけそっと米粒をまいています。スズメはやって来てチュンとも言わずに、小さなな体をチョコチョコ動かしながら米粒を食べているのです。初めはかわいと思いましたが、彼らは常に周りを警戒して怯えているのです。だんだんかわいそうだなと思うようになりました。ネズミもそうですね。ゴキブリもそうです。小動物は常に怯えて震えて生きていて、安心できることがないのでしょうね。信じられない人も多いとは思いますが、前世で他の生き物に恐怖を与えるような生き方をすると、来世では自分が恐怖を受ける生命に生まれ変わると言われています。くれぐれもすべての生命に慈しみの心で接したほうがよいと思います。

 わなにかかった兎はどんなものでしょうか。想像を超える恐怖のために震えているのでしょうね。渇愛のとりこになった人間も実はその通りなのだと思いますが、ほとんどの人々は自覚は出来ないのだと思います。渇愛のない状態を経験してないのですから。スズメも自分が恐怖で怯えているとは自覚してないと思います。これは電気冷蔵庫が停電で運転を停止した時、初めて冷蔵庫は常に音を出していたことに気付くようなものです。渇愛を除去したときの心を状態はどんなものなのでしょうか。すべての恐怖や心配が消えた安心と静寂の心の状態なのでしょう。それは最高の至福の状態でしょう。

 「欲望の対象に執着する衆生は なんどもなんども苦に到る」
 渇愛から執着そして、なんどもなんども苦に到るとは苦しみの輪廻を繰り返すということです。

 「それゆえ、渇愛を除去しなさい 自分の離貪を望む人は」
 離貪とは貪欲から離れること、それを望む人は、貪欲のもとになる渇愛を除去しなさいと釈尊は教えているのです。それは悩み苦しみをなくすことであり、輪廻から脱出であり、涅槃に到ることなのです。

○渇愛に 捕まった人は 震えてる 震えながらも 苦悩続ける (342)

○渇愛に 捕まった人は 震えてる 渇愛捨てて 苦悩を止めよ (343)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~  

この記事へのコメント

2008年10月18日 07:56
ワンギーサさん、おはようございます。冷蔵庫の普及も渇愛が根底にあるのでしょうね。恐怖や不安などから回避したいがために作った文明社会ですが、老、病、死の苦しみは昔と変わりません。又、慈しみがなければ、文明とて、恐怖をばらまくだけなのでしょう。私の知り合いに、仏教に全く無関心なのに、渇愛や妄想が不幸の原因だと知ってる人がいます。なんかのキッカケで、渇愛の怖さを知った時、困った時、ダンマパダの教えに触れたらな~、と思います。有難うございました。
かおる
2011年04月19日 20:19
生き物に前世で恐怖を与えていたから今世で自分が与えられるとはとても悲しく恐ろしいです。無駄口や悪口抑えられない私。慈悲心を育てます。
身の丈修行者
2015年02月14日 13:34
私事ですが○○ねばならない・・と思い込んでいた事を捨てた時、とっても楽になり吃驚した経験があります。
勿論必要な事は捨ててはいけないのですが「それは本当に必要なのか?」と自分に問うことは殆どしていなかったと思います。
余談ですが以前仕事をクビになった時、所有している普通車を維持できない現実を受け入れる事が出来ませんでした→お金がないので結局売りました。
雨の日車がないので雨合羽で自転車で移動してみると、以外と何とかなる事を知りました(例が変ですみません)
渇愛・執着があると苦を生みますね。身軽になりたいと思います。

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