欲のない人となりながら還俗し束縛されて悩み苦しむ 

ダンマパダ 344

無欲の人になりながら欲に向かう
欲の林からぬけながら欲の林に走るこむ
解放されて、また束縛される
来て、その人を見なさい

○この詩から学ぶこと

 この詩については初めに、この詩の出来た因縁物語を紹介しましょう。

 「マハーカッサパ長老の弟子にある比丘がいました。その比丘は修行して第四禅定の段階まで達することができるようになりました。しかし、ある日彼は托鉢をしている最中に一人の婦人を見た時、急に激しい情欲が生じました。それに気付いた彼は、修行の未熟さに強いショックを受け、サンガを去って還俗しました。以降いろいろな職業につきましたが、うまくいかず、盗賊の起こした事件に巻き込まれて、死刑の判決を受けました。

 刑場につれていかれ行かれる彼を、 托鉢中のカッサパ長老が見て、『昔の修行を思い出すのだ。』と声をかけました。長老の声に彼は昔の修行時代を思い出し、刑場において第四禅定の冥想に入りました。死刑執行人たちは彼の清々しい姿を見て、『彼には死の恐怖がない』と畏怖を感じました。このことが王に報告され、再吟味が行われ、彼の無罪が判明しました。解放された彼に釈尊は上の詩を述べ、還俗の愚かを説きました。この説法により彼は預流果を得て、許されて、再びサンガに入団した後、阿羅漢果を得ました。」(北嶋泰観 訳注「パーリ語仏典ダンマパダ」377~378ページ)

 「欲の林からぬけながら欲の林に走るこむ」
 「欲の林」とは世俗のことです。世俗は欲の誘惑が多く、しがらみが多く、修行をするには困難な条件が多いのです。「欲の林をぬけながら」はそのような世俗のしがらみから抜け出して、出家することです。出家の生活とは世俗の生活と比べるとわずらわしいことが少ないのです。例えば、衣服で言えば衣だけですから、何をきるか迷うこともありません。食べ物も托鉢をして得たものを食べるだけですから、何を食べるかわずらう必要がありません。
 「欲の林に走りこむ」はせっかく出家してわずらわしい生活の少ない条件ができたのに、また悩み苦しみの多い世俗に戻ることです。出家を止めること、還俗することです。

 この因縁物語の比丘のように、幸福な生活はできる筈はなく、死刑犯に間違えられしまうようなことになるのです。一度は出家までした人にとっては本当の愚かなことなのです。そのきっかけはほんの一瞬のこともあります。このブログで9月5日に書いたダンマパダ284番の詩は参考になりますので是非参照ください。http://76263383.at.webry.info/200809/article_5.html

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~  

この記事へのコメント

2008年10月19日 07:57
ワンギーサさん、おはようございます。大変興味深い物語でした。現在、私は東京の繁華街に住んでおり、欲(性欲)や怒りの刺激の真っ只中に遭遇せざるをえません。身勝手な屁理屈をこねれば、欲、怒りの自己判断で過大評価する危険性はありません。ただ、欲や怒りを制御するなりしなければ無意味なことですが…。有難うございました。
ツヨシ
2008年11月17日 08:21
 ワンギーサさん、おはようございます。
 大学生でも、毎日、同じ服を着て、学校に行くなら、衣を選ぶ迷いが、無くなりますよね。
ワンギーサ
2008年11月19日 08:47
ツヨシさん。過去の記事のコメントは気がつかないことがあります。今日気がついたので、それぞれの記事のコメンに返事をします。昔は学生服を皆がきていましたので、学生の場合は衣服に気を使わなくてよかったのです。しかし、今は学生服を着ないので、同じ服は難しいでしょう。でも、工夫して衣服を気にしないで生活はできますよ。
身の丈修行者
2015年02月14日 13:49
長老の解説の「四禅定の段階まで達することができる・・(お坊様でも)一人の婦人を見た時、急に激しい情欲が生じました」にインパクトを感じました。
修行をされていても、さっと情欲が生まれてしまうんですね。
世俗にいますしそんな機会は多いと思いますが、学ばせて頂いている事を生かし、注意していきたいです。

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