恥じるべきこと恥じなしと思う 邪見の人は地獄行く

ダンマパダ 316、317

恥じるべきでないことを恥じ、
恥じるべきことを恥じない
この邪見を持つことによって
これらの衆生は地獄に行く

恐れるべきでないことを恐れ
恐れるべきことを恐れない
この邪見を持つことによって
これらの衆生は地獄に行く

○この詩から学ぶこと

 この詩のテーマは「邪見(間違った見解)・正見(正しい見解)」と「慚(恥じるべきことを恥じること)・愧(恐れるべきことを恐れること)」です。

 邪見は正見の反対です。正見は八正道の始めの項目です。始めの項目ですが、最後の課題でもあるのです。正見が確立すれば、正智、正解脱と続き、修行は完成するです。ですから、八正道のほかの項目を実践しながら、正見を確立して行くのです。

 邪見について理解することは正見の理解を深める上でも大切です。また、実践的にも重要なことです。邪見は十悪行の十番目の項目ですが、罪は一番重いのです。そのため邪見を持つことは、上の詩にあるように地獄に行くことになるのです。

 上の詩は、邪見の四つの例です。
1.恥じるべきでないこと(善)を恥じること。
 道徳的な行為を恥じることです。具体的には、電車の中でお年寄りに席を譲ることを恥じて、座っている若者などはこの例でしょう。

2.恥じるべきこと(悪)を恥じないこと。
 不道徳な行為を恥じない。たとえば、電車の中で携帯電話で大声で話す。弱いものいじめをしても恥じないなどです。

3.恐れるべきでないこと(善)を恐れること。
 たとえば、仏教の勉強をすることを恐れる。これも邪見の一つです。

4.恐れるべきこと(悪)を恐れない。
 恐れるべきこととは、不道徳な行為をすることです。不道徳な行為をすることで、他の人に非難されることを恐れないことです。また不道徳な行為をすることは悪業をつむことになり、不幸な結果を招くことを恐れないこと、また死後も不幸な結果になることを恐れないことです。

 この詩には述べられていませんが、この詩と関連する正見の例として次の二つがあります。
1.恥じるべきこと(悪)を恥じること。漸といいます。
2.恐れるべきこと(悪)を恐れる。愧といいます。
 この漸の心と愧の心が道徳を守る力になるのです。


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~ 

この記事へのコメント

2008年10月02日 07:54
ワンギーサさん、今日は。いつも分かりやすく解説して頂き有難うございます。さて4番目ですが、世の中には「悪いことを推奨する面」もあるかと思います。すると、世間一般よりも賢者に非難されることを恐れた方が善い、と思われるのですが、いかがなものなのでしょうか?
ワンギーサ
2008年10月02日 08:55
新様
御質問の件、厳密にはその通りですが、賢者はほとんどいませんから、世間でのいろいろな意見を聞きながら、自分の良心したがって判断することになります。その際、他人の意見に注意することは大切なことです。自分の独断、わがままな判断を避けることになります。
2008年10月02日 11:33
ワンギーサさん、今日は。ご返事有難うございます。なるほど!世の中に「真の賢者」は少ないですね!明らかな悪人の場合は、心構えからしてその主張などを鵜呑みしませんが、賢者もどき、自称聖人君子などにはむしろ注意が必要かもですね。その為の判断基準に必要なのが、お釈迦様の教えだと考えております。
身の丈修行者
2015年02月08日 18:50
ワンギーサ長老の>1恥じるべきこと(悪)を恥じること。漸といいます。 2.恐れるべきこと(悪)を恐れる。愧といいます。この漸の心と愧の心が道徳を守る力になるのです。
とても分かり易くて、勉強になります。
自分含めある方がもし変な事をされていても、上記1・2があれば指摘を受けた時の反応は良く、その後の反省・改善に繋がるように思います。
ですが上記1・2自体が無い場合・・、お手上げな印象を感じる時があります。
この1・2を身につけれるように、また自分の子供にも同じくそのようなものがもてるように精進したいです。


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