貪欲に染まった人は蜘蛛の巣にからまるが賢者断ちて進む

ダンマパダ 347

貪欲に染まった人たちは流れに落ちる
蜘蛛のように自分の作った巣に
賢者たちはこれさえも断ち切って
執着しないで、一切の苦を捨てて進む


○この詩から学ぶこと

 この詩も省略があり、仏教でよく使う比喩の意味を知らないと分かりにくいところがあります。少し補足して説明しましょう。詩をそのように説明するのは余韻が消されて味気ないという意見もありますが、仏教では意味ははっきり理解したほうがよいでしょう。

 一行目の「流れ」は、貪欲、渇愛、欲望、無明などの比喩としてよく使われます。貪欲に染まった人たちは、ますます自分の貪欲の中に落ちこむということです。二行目の「自分で作った蜘蛛の巣に」、詩では次の言葉が省略されています。自分で作った巣に絡み着いて動けなくなるように、自分の貪欲に拘束されると言っています。

 蜘蛛の巣が出れば、蜘蛛の糸です。その蜘蛛の糸を断ち切るように、賢者たちは自分の貪欲を断ち切るのです。賢者たちは、自分の欲の対象への執着はしません。執着しなければ、一切の苦から解放されるのです。そして進むのです。昨日の詩にもありました遊行を続けるのです。

 欲や渇愛や貪欲の比喩として、「流れ」のほかに「暴流」が使われます。同じように流れです。「暴流」のほうが強い流れですね。読み方は「ボル」あるいは「ボウル」があるそうです。パーリ語ではオーガです。

 さて、この「暴流」の渡り方、すなわち欲や渇愛や貪欲をなくす方法は、わたしたちの修行のおいて非常に大切なことです。以前にもこのブログに引用したかも知れませんが、大切なことですし、皆様も知りたいところだと思いますので、釈尊が説かれた「暴流超越経」を引用します。

 「『尊師よ、あなたはどのようにして暴流を渡ったのですか』と(麗しい容姿を備えたある神が質問しました。)
 『友よ、私は止まることなく、求めることなく、暴流を渡りました。』(と釈尊は答えました。)
 『尊師よ、それでは、あなたはどのようにして、止まることなく、求めることなく、暴流を渡ったのですか』と。
 『友よ、私は止まるとき、沈みます。友よ、私は求めるとき、流されます。友よ、このように私は止まることなく、求めることなく暴流をわたりました。』と。」(片山一良「パーリ仏典入門」200ページ)

 「止まることなく、求めることなく」は修行の要諦だと私は理解しております。例えば冥想の修行なのでも休まずに、修行の成果を求めることなく、淡々と続けることです。世界は因果法則で貫かれています。修行という原因を作れば、求めなくとのその結果は付いて来るのです。求めると欲が入るため、心が汚れ、良い結果を生まないのです。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~  

この記事へのコメント

2008年10月21日 07:48
ワンギーサさん、おはようございます。「止まることなく、求めることなく」…いいですね。全ての善行為について言えるんじゃないか、と思います。ところで、年齢とともに、食欲も性欲も減退するのが一般的でしょう。問題は例えば性欲の場合、年齢的にほとんどゼロになったからといって、欲の対象への執着はほとんどなくなったのか?という点です。仏教の最終目的は無執着にあるかと思もわれます。有難うございました。
ホーシノヒトリゴト
2008年10月21日 08:53
ワンギーサさん 今朝もありがとうございます。さて、私のような者は貪瞋痴の状態で生きているから、煩悩に流されるのですね。従って、ブッダの教えで智慧を開発しながら成果(希望するものは得られないから)に執着しないで、妄想しないで生きることが大事なのですね。ありがとうございました。
ワタナベ
2008年10月22日 07:24
なるほどです。ありがとうございます。
僕は「調弦」の喩えを思い出しました。
ワンギーサ
2008年10月22日 12:32
新様。ホーシノヒトリゴト様。
コメントありがとうございます。
ワンギーサ
2008年10月22日 12:42
ワタナベ様。コメントありがとうございます。
「調弦」の喩は10月17日のブログに引用しました。
身の丈修行者
2015年02月14日 13:59
ワンギーサ長老の分かり易い解説の「修行という原因を作れば、求めなくとのその結果は付いて来るのです。求めると欲が入るため、心が汚れ、良い結果を生まないのです」にハッとしました。
何処まで修行が進んだのか知りたいとか、何が足りないのか(情報を)求めたいとか、他人の評価が気になる等々、求めてしまうような時が少なからずあります。特に修行に慣れない頃に多いような気が致します。
修行を継続していく事・求めないことを実践して参りたいです。

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