前をすて後を捨てて中間を捨てた衆生の心は自由

ダンマパダ 348

前を捨てよ、後を捨てよ
中間を捨てよ、彼岸に至った衆生は
あらゆることに心は解放されて
再び老死に近づかない


○この詩から学ぶこと

 外国語を日本に訳すとい作業にはいろいろ難しい問題があります。特に詩の場合はその問題点は増えます。ダンマパダの詩は、釈尊あるいは他の阿羅漢が説法の中で生まれたものなので、その説法が背景にあります。ですからその説法を知っていなければ理解できないというものがありますし、知っていればより深く理解できるということもあります。

 しかし、その詩が2500年以上経た現在も、その一つ一つの詩が独立して、真理を宣言して大きな輝きを示しています。その詩を翻訳する場合、理解を助けるために、どこまで言葉を補うか大問題なのです。初めてその詩を読んでもその詩の意味を理解出来るようにするためには、言葉を多く補わなければなりません。しかし、繰り返し読んで、その意味を理解するほうが、深く受け止めるためには必要なことかも知れません、訳者の浅知恵で余計な言葉を補わないほうがよいとも言えます。今回の詩の場合、それを感じたのです。

 「前を捨てよ、後を捨てよ、中間を捨てよ」 
 「前、後ろ、中間」とは何を意味するでしょうか。仏教をよく知っている人には明らかなことです。過去、未来、現在を意味しているのです。ですから、前、後ろ、中間をわざわざこのように訳さずに、直接「過去を捨てよ、未来を捨てよ、現在を捨てよ」とも訳すことも可能です。

 過去は過ぎ去ったことであり、そのことについて、後悔したり、悩んだりするのは無意味であると学んでいます。また未来はまだ起きてないことですから、予想したことが本当に起こるかどうかわからないのだから、未来について希望したり、心配するのも無意味であると学んでいます。

 しかし、現在こそが現実であるから、現在起きている事柄に真剣に取り組むべきであると学んでいるのです。現在だけは捨てるわけにはいかないのだと思っています。ですから、簡単に「現在を捨てよ」とは訳せないのです。

 では、この詩の意味することはどういうことなのでしょうか? 「前、後、中間」は「過去の執着、未来の執着、現在の執着」なのです。では「前、後ろ、中間」の変わりに「過去の執着、未来の執着、現在の執着」と言葉を補って訳したほうがいいのでしょうか。現在の私は、初めて読んだ人が何だろうと考えるくらいのほうがいいのかなと思っています。私が詩を訳す上での悩みを通じてこの詩の解説をしてみました。まだ終わりません。

 過去の執着を捨てることは、後悔しないことです。反省しないということではありません。反省は過去の問題点を整理して、過ちを繰り返さないようにすることです。悩むことではありません。

 未来の執着を捨てるとは、夢や希望を捨てること、これは抵抗のある言葉ですね。私たちは未来に執着がありますから、これも素直に受け止められません。まあ、あわてることはありません。あわててもできないものはできないのですから。理解がすすめばできるようになります。

 未来に執着しないことは、計画しないことではありません。必要な仕事を実行すためには計画は必要です。計画は未来の執着ではありません。もちろん計画に執着すれば未来の執着です。

 現在の執着を捨てることは、自分が現在執着していることの発見から初めて下さい。あらゆることに執着しているはずです。しかし、それが当たり前になったいるので気がつきません。自分の執着している事柄を発見することは結構面白いものです。自分自身の発見なのです。

 過去の執着、未来の執着、現在の執着を捨てることができれば、心は自由になります。老死の恐怖もなくなります。生きていることにも執着しなくなれば、当然輪廻することもないのです。現在では信じられないことかもしれませが、それは究極の幸福なのです。


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~  

この記事へのコメント

2008年10月22日 07:59
ワンギーサさん、おはようございます。今日は執着について、過去、未来、現在と詳しく説明して頂きました。私自身の経験からすると、過去への執着は「価値」を入れてます。私たちは今生きてる上で過去に膨大な経験をしてますが、その一部に価値を入れると、後悔したりします。次に未来の夢や希望ですが、私の場合、偶然いいことは転がりこんでこない、と思っていてあまり関係なさそうです。現在の執着は、細かいことですが、「~であるべき」という思考や概念に対する執着が面白いです。「切符を買う前に小銭を用意すべき」とか。これからも、発見対象として申し分ないのでやってみたいと思います。有難うございました。
ホーシノヒトリゴト
2008年10月22日 08:12
ワンギーサさん 今朝もありがとうございます。難解な詩について詳しく説明していただき感謝します。昔のことを思い出して喜んだり悔しがったりしても何の役にも立たないし空しいことです。将来のことへの執着はおっしゃるとおりです。従って現在の執着を無くすことが大事なことですね。ありがとうございました。
ワンギーサ
2008年10月22日 12:30
新様。ホーシノヒトリゴト様。
毎日コメントありがとうございます。
ダンマパダの詩の部分を緑色にしてみたのですが、感想はいかがでしょうか。
2008年10月22日 14:33
ワンギーサさん、こんにちは。詩の部分が緑っぽい方が読みやすく感じます。有難うございました。
身の丈修行者
2015年02月16日 13:33
「中間を捨てよ」の意味は何だろう?と思いました。ワンギーサ長老の分かり易い「現在の執着を捨てること・・自分が現在執着していることの発見・・」を拝見して成程と思いました。
観察をし今の事をいまだけとし執着しない実践を精進したいです。

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