罪なきことを罪なしと思う 正見の人 天に行く

ダンマパダ 318,319

罪がないことを罪があると思い
罪があることを罪がないと見る
この邪見を持つことによって
これらの衆生は地獄の行く

罪があることを罪があると知り
罪がないことを罪はないと知る
この正見を持つことによって
これらの衆生は天界に行く

○この詩から学ぶこと

 今回の二つの詩は昨日の詩の続きです。昨日の詩は悪(罪)を恥じる心と恥じない心、及び悪(罪)を恐れる心、恐れない心について述べましたが、今回はその前提としての悪(罪)を悪(罪)と知るかどうかという問題になります。つまり悪(罪)を悪(罪)と分からなかったら、恥じるも恐れるもないからです。ですから、悪(罪)を悪(罪)と知ること、あるいは悪(罪)でないことを悪(罪)でないと知ることは非常に大切なことです。

 始めの詩は邪見の例を示しています。

1.罪がないことを罪があると思うこと。
 たとえば、十善行を罪があるとする見方です。また、「公的教育で道徳教育をしてはいけないという考え方」、これは罪のないことを罪があるように思うことです。正しく道徳教育をすることは難しいことではありますが、日本の現状を鑑みますと、日本の社会から道徳がなくなっていると考えざるを得ません。道徳教育の否定は邪見であることは明らかです。

2.罪があることを罪がないと思うこと。
 人間以外の生き物は殺してもよいと思っている。敵は殺してもいいと思っている。税金は無駄に使ってもいいと思っている。公共物を私物してもいいと思っている。著作権はないと思っている。 他人の研究結果は盗んでもいいと思っている。嘘はついてもいいと思っている。材料の産地や賞味期限は偽ってもいいと思っている。 汚染米を食用に使ってもいいと思っている。政治家は嘘をついてもいいと思っている。芸能人や有名人は不倫をしてもいいと思っている。
 これらはまとめて言えば、十悪行を罪であると思わない邪見なのです。邪見を持っている人は今後の人生がどうなるか、来世がどうなるか心配した方がいいのです。

 次の詩は正見のの例です。

1.罪があることを罪があると知ること。
 邪見の2.で述べたことの反対でです。ですから、十悪行は罪だと正しく知ることです。人間以外に生き物を殺すことも罪なのです。敵でも殺すのは罪なのです。税金を無駄に使うのは罪なのです。公共物を私物するのも罪なのです。 ・・・・・

2.罪がないことを罪がないと知ること。
 これは十善行は罪がないと正しく知ることです。

 正見の1.と2.をまとめて言えば、事実をありのままに知ることです。これを正知といいます。これがなかなかできないことなのです。人間の認識はすべて、認識の捏造作用(パパンチャ)によって誤知になっているのです。正知は正念によって得られます。ですから、ヴィパッサナー冥想によって正知できるように修行するのです。

 パパンチャについては7月9日のブログに書きました。
  http://76263383.at.webry.info/200807/article_9.html
 
 十善行と十悪行については9月30日のブログに書きました。
  http://76263383.at.webry.info/200809/article_30.html 

 
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~ 

この記事へのコメント

2008年10月03日 11:58
ワンギーサさん、今日は。今日も大変分かりやすい解説有難うございます。例えば5戒を守ることによって、邪見が減った気がいたします。特に、不殺生戒と嘘をつくなかれ、は厳しくもその「達成感」には際だったものがあります。嘘については先だって貴重なアドバイスを頂きましたが、虫などの生き物を工夫して逃がしてるうちに不思議な喜びがこみ上げてきたりします。説明出来ませんが、5戒を守ることは間違えなく正しい、と感じてます。理屈偏重だとダメな気がしております。有難うございました。
身の丈修行者
2015年02月08日 19:02
ワンギーサ長老がご記載下さいました、十悪行を悪と分かり、十善行を善と分かる様になるのには、道徳が必要になるかと思います。
また親が子供にするしつけとして大切な内容になるように感じます。
自分が出来るように、そして自分の子供に大事な事としてしつけれるように精進したいです。

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