誹謗する人道徳ない人 私は象のように耐え忍ぶ

ダンマパダ 320

私は象が戦場で
弓から放たれた矢を耐えるように
誹謗を耐え忍ぶ
多くの人々は不道徳だから

○この詩から学ぶこと

 今日のダンマパダ320番から333番までの詩は、第23象の章になります。象は大きく、強いが、優しく、忍耐強い動物です。

 古代インドでアーリヤ人は戦争に象を使い始めました。徒歩で戦うインド先住民はこれに対抗することがほとんどできなかったのです。象は多くの矢を射たてられ、身体に矢を突き刺したまま、痛くない筈はないのですが、黙々とそれに耐え前進しました。象は忍耐強さの象徴なのです。

 この詩では、その象のように、誹謗に対して、キャーキャーと反論したり、怒ったりせずに耐え忍びなさいと教えているのです。なぜならば、誹謗する人々は不道徳な人々でまともに相手にする価値もないからだと言うのです。

 もちろん智慧のある賢者に非難されることならば、直ちに言われたことに従って、自分の行動を改めなければなりませんがそうではないのです。また、そのような不道徳な人々に対しては、言い返しても聞かないのですから、耐え忍ぶのが得策なのです。

 耐え忍ぶということに関しては、誹謗を耐え忍ぶということだけではなく、修行者にとって重要な態度なのです。ダンマパダ184番(7月2日に掲載)に「忍耐・堪忍は最上の修行である。」と述べられています。http://76263383.at.webry.info/200807/article_2.html
 この詩は、183番、185番と一緒に、「諸仏の教え」として毎日唱えるお経なのです。

 仏教は、苦行ではなく中道(超越道)の教えですから、ただ我慢すればよいという訳でではありませんが、智慧に基づく忍耐も必要なのです。座る冥想をして、足が少し痛くなったらすぐ止めるのでは修行になりません。少しずつ頑張ることによって忍耐力が付き、集中力も付いてくるのです。私は昔「カンティ パラマン タポー ティティッカー(忍耐・堪忍は最上の修行である)」と唱えて、足の痛さを耐えながら冥想をやりました。今は足が痛くなりませんから唱えません。

 中部経典の第2に「一切煩悩経」というお経があります。そのお経には七つの煩悩をなくす方法が書かれています。詳しい説明はここではできませんが、その項目を挙げておきましょう。
 1.正しく考えること。
 2.感覚器官を守ること。
 3.正しく観察して日用品を使用すること。
 4.忍耐すること。釈尊の忍耐の定義は、正しく観察して、寒さ、暑さ、飢え、渇き、罵倒、誹謗などの言葉に耐えることです。
 5.危険なことを回避すること。
 6.欲や怒りや害意の考えを除去すること。
 7.七覚支を修行すること。

 4番目が忍耐です。ここで言いたい要点は忍耐は煩悩をなくす重要な修行であることを知ってほしいということです。すべての煩悩をなくすことが私たちの目標ですから。


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~ 

この記事へのコメント

2008年10月04日 08:26
ワンギーサさん、今日は。とても有意義な教え有難うございます。さて、私の記憶が正しければ「この世で非難されない人はいない」と、お釈迦様の教えにあったような気がします。ましてや、我々一般人は…でしょう。やはり「怒り」でしょうか。人のあら探しの原動力となっているのは。もしそうであるならば、ダンマパダの5番目が有効だと思います。なかなか困難なことではありますが、どんなに誹謗されても、理不尽な言い分については無視する(あるいは誤解を解く)、一理あるものについては受け入れるにようにするには、まずは「怒らない」ことだとは考えてます。有難うございました。
林田明大
2008年10月05日 02:13
 「忍耐」、私も、私のブログでしばしばこのことを強調しております。戦国の武将の信長、秀吉、家康がよく引き合いに出され、比較されますが、一般論でも、家康が忍耐の人だったことが論じられています。研究者の間でも、その点は同じです。
 R・シュタイナーも、やはり道を求める人の一番大事な素養として「忍耐」を挙げています。例え話の象の話にせよ、いい言葉ですね。また、ただ我慢するだけの苦行ではダメという、中道、中庸の教えも、少しずつ頑張るという教えでしたが、良い説明ですね。納得、共感です。
 飲まず食わずで山の中を走り回って苦行に耐えた人は偉いという考えの人がいますが、中道を忘れていますね。
ワンギーサ
2008年10月05日 10:27
林田明大先生
コメントありがとうございます。
先生の著書を4冊購入して拝読させていただきました。非常にためになりました。陽明学は本来の仏教に非常に近いと感じています。それも当然なのは、大天才王陽明尊者は仏教を研究されていたのですから。とはいえ仏教と王陽明の違いは我々各自の研究課題でしょう。
ワンギーサ
2008年10月05日 11:43
林田明大先生
追伸です。私はまだ研究してないのではっきりしたことは言えないのですが。王陽明尊者が知っていた仏教は大乗仏教だと思います。大乗仏教の思想は玉石混合ですから、尊者はその問題点を指摘していたのかもしれません。
身の丈修行者
2015年02月08日 19:12
冥想中にある事が浮かび、とりあえずそれへの対処行動をしよう・・と動きがちです。ライトの消し忘れとか鍵を閉めたかの確認とか・・。
ですが、冥想中に動いてしまっては忍耐も集中も培われないと学び「今どうしても」という事でなければ動かず・冥想を続けるように注意しています。
忍耐も集中も日ごろの精進により培われるものと感じます。
また、コメントを興味深く拝見致しました。
以前自己啓発でとてもファンになった先生も仏教から学ばれていた事をその後知り、お釈迦さまって凄いなと感じた事を思い出しました。

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