身体と言葉と心静めたる比丘は静寂者と呼ばれる

ダンマパダ 378

身体を静め 言葉を静め
心を静め よく統一し
世財を吐き出した比丘は
静寂者と呼ばれる



○この詩から学ぶこと

 東京都八王子市に正山寺釈迦牟尼国際仏教センターがあります。そこの住職様のスリランカ人のダンミッサラ大長老は、私の顔を見るとどういう訳か「世界はどうですかね?」と上手な日本語で私に訊ねます。私はどう応えていいか、応えに窮すわけです。ダンミッサラ大長老はそれを楽しんでいるのかもしれません。

 しかし、まじめにこの答えを考えてみましょう。ダンマパダ「第11老いの章」の始めの詩(146番)で釈尊は、「何の笑いがあるだろうか。世界は常に燃えているのに。」と述べられています。これが釈尊のお答えです。世界は欲の炎、怒りの炎、無知の炎、病老死の炎、肉体的苦の炎、精神的苦の炎などで燃えているのです。火事は鎮火しなければなりません。

 世界とは私たちのことであります。私たちは、欲や怒りや無知や悩み苦しみの炎で燃えているのです。炎は騒音を伴いうるさいのです。欲でうるさく、怒りでうるさく、愚痴でうるさく、苦しみでうるさいのです。私たちにとって、炎と騒音を鎮めることは焦眉の課題なのです。

 心が穏やかでない人、いらいらしている人の行動はがさつで乱暴です。身体の動きを丁寧に落ち着いて行うようにすると、心も落ち着いてきます。身体の動きを静めて、心を静めることもできます。このように身体を静めます。

 やはり、いらいらしている人の言葉は乱暴です。しかし、丁寧に心をこめて話す努力をすれば、心は落ち着いてきます。心が落ち着けば、言葉は丁寧になり優しくなります。このように、言葉を静めるのです。

 心を静め、心を集中して、行動し、話をすると、智慧も出て、何事も上手にできます。

 「世財を吐き出した」は、このようにして「世俗の欲や怒りや無知などの汚れを心から吐き出した」という意味です。このような人の心の火は消えて、静かです。この人は寂静者なのです。寂静とは涅槃と同義に使いますので、この人は涅槃に達した人というのだと釈尊は仰るのです。

○身体と言葉と心静めたる比丘は静寂者と呼ばれる


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~

この記事へのコメント

2008年11月17日 05:13
ワンギーサさん、おはようございます。言葉と行為、他人のことだと敏感ですが、自分のことだと鈍感になりやすいです。心穏やかな人の言葉は、実際に語られた文言がたとえ乱暴でも穏やかに聞え、丁寧な言葉であっても苛立ちに満ちた人のそれはキツク感じます。やはり心ですね。しかし逆に、自分の行動や言葉を注意することによって「サティ」が入るので、身、語、意による悪行為が制御されるのでしょうね。有難うございました。
ツヨシ
2008年11月17日 08:12
ワンギーサさん、おはようございます。
火事を消すのは、水ですね。
心の炎を消すは、法でしょうか。
ワンギーサ
2008年11月17日 10:36
ツヨシさん、おはようございます。これはよい質問です。実践するために必要なことです。
 心の炎(煩悩)を消す方法は二つあります。一つは智慧で消すのです。智慧は万能でどんな煩悩も消すことが出来るのです。智慧はヴィパッサナー冥想で養成できます。
 もう一つはいろいろな煩悩に対応する善い心を育てることです。貪欲には不貪の心、怒りには慈悲の心、無知には不痴の心を養成するのです。不貪には不浄観、慈悲は慈悲の冥想、不痴はヴィパッサナー冥想で養成できます。これからも質問してください。
身の丈修行者
2015年03月04日 08:22
発生する・または思い浮かぶ言葉が丁寧で慈しみを元にしたものである方が、色々な意味で良いその後の流れになる印象を感じています。
また言葉から気を着けないと、容易に妄想(言葉)の拡大に繋がってしまうように思います。
ワンギーサ長老の分かり易い解説
「心を静め、心を集中して、行動し、話をすると、智慧も出て、何事も上手にできます」
「「世財を吐き出した」は、このようにして「世俗の欲や怒りや無知などの汚れを心から吐き出した」という意味です。このような人の心の火は消えて、静かです・・」
とても心の響きました。
普段より乱暴な言葉を使うと、大切な時にも思わず口から出てしまう面もあります。日ごろから注意して参りたいです。

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