みずからを激励点検する比丘は自己守護者であり有念者

ダンマパダ 379、380

みずから自分を激励せよ
みずから自分を点検せよ
比丘よ、自己守護者、有念者は
安楽に暮らすだろう

自分こそ自分の主人である
自分こそ自分の帰所である
それ故に、商人が駿馬にするように
自分自身を調教せよ


○この詩から学ぶこと

 私たちの心は、初めは、未完成で感情のままです。無知で智慧はほとんどありません。ですから、欲しいものがあればそれに飛びつき、気に入らないことがあれば怒るのです。それらの行為がどのような結果など少しも気にしないのです。また、困難なことはさけ、楽なことばかりを望むのです。そのため不幸な結果になるのです。

 しかし、私たちは幸福であることを望んでいます。不幸を望んではいません。それならば、世界は因果法則に従っていますから、幸福な結果になるような行動をしなければならないのです。私たちの心は初め幸福になるため力が育っていませんから、幸福になるための行為は大変なのです。できればやりたくないのです。

 ですから、この詩にあるように、「みずから自分を激励」する必要があります。ではどのように自分を励ますのでしょうか。このブログの7月30日に書きました。「悪いことをしないように、善いことをするように、善い心を育てるように、」励ますのです。
http://76263383.at.webry.info/200807/article_1.html

 次に、「みずから自分を点検」する必要があります。五戒に基ずく道徳から、十悪行はしないように、十善行をするように、努力しましょう。これらを実践できる人は、自己守護者であり、常に自分に注意を向けている有念者なのです。当然、この人は不幸にはなりません。幸福な暮らしをすることになるのです。十善行と十悪行については9月30日のブログに書きました。
http://76263383.at.webry.info/200809/article_30.html 

 「みずから自分を激励せよ」「みずから点検せよ」と言うのは、「自分こそが自分の主人である」からなのです。主人が自分を管理し、責任を持たなければならないからです。

 禅の公案集「無門関」に次のような話があります。瑞巌の彦和尚は毎日自分に向かって「おい主人公」と呼びかけ、自分で「はい」と応えたということです。さらに、「しっかりしているか?」問い。「はい。」と応え、「どんな時も人に騙されたはならないぞ。」と言い、「はい、はい。」と応えたということです。

 この禅の和尚は、釈尊の教えを忠実に守って、自分を励まし、自分を点検しているのです。老婆心あるいは蛇足ですが、「どんな時も人に騙されたはならないぞ。」は「いつも自分自身に騙されたはならないぞ」という意味だと思います。

○みずからを激励点検する比丘は自己守護者であり有念者

○自分こそ自分の主人自己の帰所 駿馬のように自分を鍛えよ


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~

この記事へのコメント

2008年11月18日 04:54
ワンギーサさん、おはようございます。「激励と点検」を「誓願と八正道の実践」に置き換えてもいいのでしょうか?有難うございました。
ワンギーサ
2008年11月18日 07:35
新さん、おはようございます。いいですよ。八正道を実践できれば、いいのです。そうすれば修行を完成できます。
身の丈修行者
2015年03月04日 08:26
他人の事はいちいちチェックし、どちらかと言うと長所より短所を見つめ、あーじゃこーじゃ文句を言ってしまいがちです。
それは自分はその人より優れている・・みたいな優越感を得たい・・気持ちがあるからかもとも思います。
他人より自分を見るべきですよね。どんな状況でも心が落ち着いて・穏やかで・透明でいるか?
具体的にはワンギーサ長老の分かり易い解説「十悪行はしないように、十善行をするように、努力しましょう」を実践して参りたいです。

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