因縁の流れを断って バラモンよ 人の知れない境地に至れ

ダンマパダ 383

流れを努力して断て
渇愛を排除せよ、 バラモンよ
諸現象の滅尽を知って
人には知れない涅槃を知る者であれ、バラモンよ



○この詩から学ぶこと

 この詩からダンマパダの最後の章 第26「バラモンの章」です。バラモンとは何でしょうか?広辞苑によると、「インドの四種姓(ヴァルナ)制中の最高位たる僧侶・祭司階級。梵天の裔で、その口から出たるものとされ、もっぱら祭祀・教法をつかさどり、他の3姓の尊敬をうけた。」と記載されています。

 しかし、釈尊はスッタ・ニパータの中で、「生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。」と述べられています。(岩波文庫、中村元訳「ブッダのことば」136、137ページ) 釈尊はバラモンの概念を変えて、バラモンの真の意味について語られています。この章では41の詩でさらに、その具体的な意味について説法されているのです。

 さて、今回の詩はバラモンの章の最初らしく、バラモンはこういうものであるというよりは、バラモンたるものはこうあるべきだとい形で述べられています。

 バラモンたるものは、「流れを努力して断て」とありますが、流れとは何でしょうか?因縁の流れであります。因縁の流れによって、生命は輪廻を繰り返し、苦しみの生活を繰り返しているからです。もし、この因縁の流れを断ち切ることができれば、苦しみの世界から脱出することが出来るのです。それはすなわち解脱であり、涅槃に到ることでなのです。

 因縁の流れとは、無明、行、識、名色、六処、触、受、渇愛、固執、有、生、老死と、それぞれ前のことを縁にして次のことが生じるのです。そしてまた、生、老死から無明を生じこれを繰り返すのです。それぞれの意味は次の通りです。
1.無明・・・無常などの真理にたいする智慧がないこと。
2.行・・・・・現世において果報をもたらす心の波、業。
3.識・・・・・生まれ(結生)の働きをする心。
4.名色・・・心の働きと身体としての物質が生まれること。
5.六処…・眼耳鼻舌身意という外界の情報(対象)を受ける感覚器官。
6.触・・・・・外界の対象との接触。
7.受・・・・・対象を感じること。すべての認識作用も、「自我」意識も受によって生まれる。
8.渇愛・・・欲が現われる。喉が渇いたように対象に触れることを望む。
9.固執・・・自己にも、外界の対象にも強くとらわれること。このブログでは執着を使った。
10.有・・・・生命の身、口、意の働きそのものが業(カルマ)になること。
11.生・・・・新たに現象が現われる。再び生まれること。
(日本テーラワーダ仏教協会「日常読誦経典」24、25ページから引用)

 この流れを断ち切るためには、どの段階で断ち切ってもよいのですが、この詩では渇愛(欲望)を排除せよとしています。ヴィパッサナー冥想では受(感覚)を感じて、確認することによって、その段階で止めることができます。

 さらに、バラモンは、身体と感覚と心とその他一切の現象を客観的に観察して、一切の事柄は無常であることを知って、一切の執着から離れるべきなのです。そして、生きることに執着している人間には知ることも出来ない涅槃の境地を体得すべきなのです。その時その人はバラモンであるといえるのです。

○因縁の流れを断って バラモンよ 人の知れない境地に至れ


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~

この記事へのコメント

2008年11月21日 06:34
ワンギーサさん、おはようございます。因縁の流れですが、それぞれの原因は何のでしょうか?外界との接触があっても必ずしも感覚が生まれるわけではありませんから、原因ではないことは分かるのですが…。
ワンギーサ
2008年11月21日 08:22
 新さん。因縁の関係は釈尊が「簡単だ」と言ったアーナンダ尊者に、「そう言ってはいけない」と注意したほど難しいのです。しかし、上の文章の「無明、行・・・生」は無明を縁として行が生じることを書いたのですが、無明が原因で行が結果と考えてよいと思います。同様に、触が原因であり、受が結果として考えるように書いたのです。さらに、受が原因になって渇愛が結果になります。
 「外界との接触があっても必ずしも感覚が生まれるわけではありませんから、原因ではないことは分かるのですが…。」と書いてありますが、この文脈では受の前には触しかないのですから、触が原因で受が結果と考えてよいと思います。新さん、自分で因縁関係について独自に勉強して見てください。
2008年11月21日 08:41
ワンギーサさん、ご指導有難うございました。自分でも一番難しいひとつです。釈然てしないことがかなりあります。私の誤解でしょうが、以前「腕がなくなった」と思ったことがあります。寝相が悪くて腕の感覚が麻痺してたからです。感じる条件としては、外界との接触は必要条件かもしれませんが、必ずしも十分条件じゃないと思ってしまいました。因縁論に対する安易な理解には十分気を付けていきたいと思います。有難うございました。
身の丈修行者
2015年03月05日 09:48
「流れ」という言葉、自己啓発系で「自然な流れに任せる」とのニュアンスで習い、そんな解釈でいました。
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説を拝見して、本当の意味を知ったように思いました。因縁の流れなんですね。その流れを止めれるように精進したいです。

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