彼此岸のない彼には苦悩ない私は彼をバラモンと呼ぶ

ダンマパダ 385

彼岸も此岸もあるいは
彼岸此岸のない彼に
苦悩と束縛はない
彼を私はバラモン呼ぶ


○この詩から学ぶこと

 私は5年前に出家する前の約1年半、ダンマパダの意訳を行っていました。それを「ブッダの演歌」という題名で、毎日一つずつ、何人かの知人にメールしていました。今でもそうですが、その当時はまだまだ未熟で、意味が正確に把握されてないものもかなりあります。でも一応、それは日本テーラワーダ仏教協会のホームページに掲載されています。
http://www.j-theravada.net/sakhi/buddha-enka-1.html#00

 しかし、第26章は記載されていません。当時、私は知人にはメールはしましたが、ホームページに記載するのは、バラモンの章の意訳を私がするのはおこがましいと考え、管理人にその内容を送らなかったのです。そのため、記載されてないのです。

 なぜ、ここにそのようなことを書いているのか。それは、バラモンとは釈尊は阿羅漢であるべきだとお考えになっておられ、最高の人間、いや人間を超えた存在、ニーチェ風に言えば超人、スーパーマンなのです。ですから、6年前の私は自分にはそのような人の境地は書けないという思いがあったのです。しかし、このバラモンの章は、ダンマパダのまとめの章でもあります。今まで述べてきたダンマパダの内容を、ダンマパダの編者はバラモンに託して、私たちに教えているのです。ですから、今は私が出来る力でやってみようと思っています。

 さて、今回の詩の「彼岸」と「此岸」と「彼岸此岸」の意味をどうとるか問題になります。いろいろな説があります。
1.彼岸を悟りの世界、此岸を迷いの世界、彼岸此岸は悟りと迷いの世界と取る説です。そうすると、これらがないとは、悟りと迷いを超越した人という意味になります。
2.彼岸を六外処(色、声、香、味、触、法)、此岸を六内処(眼、耳、鼻、舌、身、意)、彼岸此岸は六識(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識)と取る説です。これらのない人は苦悩と束縛はないということです。
3.また、彼岸は来世、此岸は現世、彼岸此岸は輪廻と取る説です。

 とりあえず、どの説をとるか各自の理解段階で決めることになると思いますが、釈尊は何を教えたいのか各自の修行によって変わってくると思います。それでよいですと言うよりそれしかできないのです。

 今の私は、「彼岸」を「価値のあるもの」,「此岸」を「価値のないもの」、「彼岸此岸」を「価値観」と取るのです。彼岸、此岸、彼岸此岸がないとは、「無」価値観の態度として理解したいと思っています。仏教用語で言えば、「慢」という煩悩の消えた、すなわち比較するという気持ちのない心の人という意味でます。その人は執着はなく、苦悩や束縛はないでしょう。その人はバラモンに相応しいと思うのです。

○彼此岸のない彼には苦悩ない私は彼をバラモンと呼ぶ 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~

この記事へのコメント

2008年11月23日 06:27
ワンギーサさん、おはようございます。道理で一昨日からレベルというか、教えに以前にはなかった距離感を感じてます。ところで、「彼岸・此岸」の「・」は文法的に何なのでしょうか?私はダンマパダをワンギーサさんのブログで理解しようとする時、説明と同時に「詩」から直接考えています。今日の詩は最初、同語反復と感じましたが、違うようですね。文法から論理構成が分かれば、理解出来ないポイントも明確になるでしょうから。ご指導宜しくお願いいたします。
ワンギーサ
2008年11月23日 07:32
新さん。おはようございます。「・」があった方が、分かりやすいと思ったのですが、かえって混乱させたようですね。複合した一語なのです。
同義反復ではないのです。釈尊はこのような言葉の使い方をします。例えば、感覚を、「苦」「楽」「不苦不楽」に分類するなどです。
また、少し分かり易くするために、本文を変えましたので、もう一度お読み下さい。
2008年11月23日 08:43
ワンギーサさん、ご指導有難うございました。でもやはり難しいです。「今日あるいは明日に伺います」という場合で使う「あるいは」と、この詩のそれとは違うんじゃないか?と。自分では3番目の説とワンギーサさんの説が一番分かり易いのですが、その場合の「彼岸此岸」とは彼岸と此岸とを包括した概念のように思えるのです。だから「あるいは」を「つまり、すなわち」で置き換えても意味が通じるかと。1番目は意味不明で、悟りの世界を越えるのがチンプンカンプンです。2番目の場合の「あるいは」も普通の意味とは違うんじゃないかと思いました。ともあれ、阿羅漢の世界ですから判断保留するのもいいかもしれないと思いました。有難うございました。
ワンギーサ
2008年11月23日 10:57
新さん。やはり、「すなわち」ではなく、「あるいは」なのです。日本人には同じことを言っているように思う人も多いのですが、やはり、違う概念なのです。厳密に区別しているのです。
2008年11月23日 11:36
ワンギーサさん、ご指導有難うございました。彼岸、此岸は対象とか客体で、彼岸此岸は主体というニュアンスでしょうか?すると「すなわち」ではなく「あるいは」になりますね。有難うございました。
2008年11月23日 12:49
ワンギーサさん、有難うございます。ワンギーサさんの説ですが、価値観から価値のあるもの、価値のないものが生まれます。従って彼岸、此岸、彼岸此岸がないとは「何ら価値観を所有してない」となると思います。しかし価値観そのものと、その物差しではかる対象とは別ですね。私は最初のところで失敗しました。全ての説に共通する論理構成を考えたのはいいのですが、「AあるいはB」という純粋論理みたいのを考えてしまいました。この場合は実際には有り得ないことも論理的には成立したりします。「あるいは」で表現されたものは、現実には何らかの脈絡の中で存在してます。論理的であっても真理とは限らない。この大切なことから脱線してしまいました。有難うございました。
身の丈修行者
2015年03月06日 07:47
「ブッダの演歌」興味深いです。
協会のHPそれなりに詳しく見たつもりでしたが、読んでない所でした。
こちらからも学ばせて頂きたいと思います。

この記事へのトラックバック