坊さんを打たないように坊さんは打たれた時も怒らないこと

ダンマパダ 389

バラモンを打たないように
バラモンは彼に怒りを現さないように
バラモンを打つ者は糞だ
彼に怒りを現す者はそれより糞だ


○この詩から学ぶこと

 釈尊の言われるバラモンは阿羅漢の可能性があります。阿羅漢は尊敬されるべき人であります。その人に暴力を振るったら、その人は幸福にはなれません。悟ろうと修行しても悟ることは出来ません。ですから、バラモンには暴力を振るわないことです。今特に日本ではバラモンはいませんから、お坊さんと考えたらいいでしょう。お坊さんには暴力を振るわない方が安全です。もちろん、お坊さんに限らず、どんな人にも暴力を振るわない方が安全です。

 一方、暴力を振るわれたバラモンは、暴力を振るった人に怒りを持ってはいけません。バラモンはどんな時でもどんな人にも怒りを持ってはいけないのです。バラモンたる者は怒りを現してはバラモンではありません。

 「バラモンを打つ者は糞だ」の「糞だ」はパーリ語では「ディー」という言葉です。パーリ語辞書には「厭わしきかな。嫌らしい。」と出ていますが、以前スマナサーラ長老に「この言葉は口にもだすのは嫌な言葉なのだ。」と聞いていました。釈尊の詩の中で「糞だ」などと言う言葉はどうかとは思いましたが、この文脈ではこの言葉が一番相応しいと思い、あえてこう訳すことにしました。御批判も多々あるとは思いますが、一応そういうことで御了承お願いいたします。

 「彼に怒りを現す者はそれより糞だ」はバラモンは暴力を振るわれても怒りを現してはいけません。もし、暴力を振るった人に怒りを現したら、その人以上に糞だと言われるのです。
 なぜ、でしょうか?バラモンと一般人の関係は、大人と子供の関係なのです。大人が子供に暴力を振るわれたからと言って、子供と同じ立場で大人が子供にやり返せば、大人気ないということになります。ですから、バラモンたる者は打たれても怒ってはいけないのです。

 釈尊がバラモンに対して述べていることは、バラモンにだけに述べているわけではありません。私たちに述べられていると考えた方がよいのです。出家者や修行者や人格を向上させようと思っている人たちは、バラモンに学んで、打たれても怒らないように努力した方がいいのです。

○坊さんを打たないように坊さんは打たれた時も怒らないこと

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~

この記事へのコメント

2008年11月27日 05:16
ワンギーサさん、おはようございます。今日の詩は簡単に思えましたが、ワンギーサさんの解説を読んでそう単純じゃないと思いました。阿羅漢なら怒りはないので、怒らないように、というのは変だと思いましたが、怒ったら阿羅漢・バラモンではないということですね。同時にそんな阿羅漢の境地を目指す修行者・バラモンなら努力して怒らないようにする。二重構造でしょうか。さらに、普通の人も見習うべき、まで入れると三重構造になると思います。試しに順序を逆にして考えてみましたが、一般人が怒らない努力をしてやがて本格的に修行をする。そして怒らない修行を完成させたところで、阿羅漢に至るというふうに思いました。有難うございました。
ツヨシ
2008年11月27日 06:37
 ワンギーサさん、おはようございます。
 人の話を聞いていると、自分の怒りに気づきます。
 そして、人の話の一部を聞いていなかったこと、気づきます。
 では、人の話を聞いているときに、怒りを無くすには、どうしますか。
 たとえば、「音、音、音、」とラベリングすると、怒りがなくなりますか。
 または、「音、怒り、音、」とラベリングすると、怒りが無くなりますか。
ワンギーサ
2008年11月27日 07:31
新さん、おはようございます。毎日コメントして頂いてありがとうございます。怒りについて、ツヨシさんの質問に答えようと思っていますので、そちらも参考のためにお読みください。
ワンギーサ
2008年11月27日 07:59
ツヨシさん、おはようございます。怒りについては、先ず自分が怒っていると気がつくことが第一です。次に心に現われた怒りを抑えることが第二です。第三はそもそも心に怒りが心に発生しないようにすること、怒りの心をなくすことが目標です。
 人の話を聞いている時に、ラベリングをするのは適当ではありません。ラベリングをすると人の話を正確に聞けなくなります。人の話を聞く時はそのことに集中すべきです。聞くことに集中して、妄想をしなければ、怒りは現われ難くなります。人の話を聞いて怒りが現われるのは、何か特定の言葉に反応しているのです。後でその言葉について、自分はなぜ怒りがですのか検討して見て下さい。その言葉に主観的な価値観がある場合が多いのです。
 また、慈悲の冥想をして慈悲の心を育って下さい。そうすれば、人の話を聞いて怒りが起こらなくなります。この方法は即効性があり、万能です。是非すぐに試して下さい。
ワンギーサ
2008年11月27日 08:14
新さん。ツヨシさん。
「彼に怒りを現す者はそれより糞だ」という言葉を覚えておくと、自分の怒りを抑える「おまじない」になります。怒りが出てきたら唱えて下さい。老婆心ではありますが。
2008年11月27日 08:46
ワンギーサさん、ご指導有難うございます。人によって怒りが出やすいパターンがあるのかもしれません。私は人に道を尋ねられた時、「すいませんが」と切り出されると怒りは出ませんが、「ねえ・ちょっと・あのよう」と切り出されると怒りが出ます。又そういう場合に限って教えても無言です。ワンギーサさんがご指摘されように「人に道を聞く時は礼儀をわきまえるべきだ」という価値観が長年の経験でこびりついてしまってます。私は今のところ対人関係で怒りが出た時は「怒りは真っ先に自分を毒する」というスマナサーラ長老の教えを思い出します。だいたいこれで怒りか消える場合が多いです。ラベリングが有効なのは、不安が入り混じったような時です。最近初めて内視鏡検査をする直前に不安や怒りの感情が起こりましたが、心を観察してみたら治まりました。また怒りの初期、なんとなく暗い時に怒りを観察するとその後気持ちが明るくなったりします。慈悲の瞑想はいいですね。怒りを出にくくなる一方で、怒りに対し敏感になりました。怒りはもう毒ですので今後もできればなくなるよう頑張りたいと思います。有難うございました。
ツヨシ
2008年11月28日 09:40
 ワンギーサさん、ご指導有難うございます。 
 話を聞く時のラベリングを、やめてみます。
 また、言葉に反応しています。
 たとえば「あなたに、不幸になってほしい。」と言われると、「それは、言わない方がいいよ」、と考えます。
 そして、なぜそれを言ったのか、考えます。
 考えている間は、話を聞けていないことがあります。
 この場合、聞いている途中では考えることをやめて、話が終わってから、考える方が、会話として成り立つのでしょうか。
ワンギーサ
2008年11月29日 03:45
ツヨシさんへ。そうです。会話をしているときは会話に集中すべきです。会話が終わってから考えて下さい。
身の丈修行者
2015年03月07日 06:45
ワンギーサ長老の分かり易いコメントから怒りへの対応について学びを頂けました。有難うございます。
怒りに気がつき・押さえる・怒りが出ないようにする。人の話中にラベリングはせず、真摯に聞く。慈悲の冥想の実践、実行して参りたいです。

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