比丘たちよ 舟から水を汲み出せよ 無漏の舟は悟りに達する

ダンマパダ 369

比丘よ、この舟から水を汲み出せ
汲み出せば、速く進むだろう
貪欲と怒りを汲み出せば
涅槃に到達するだろう


○この詩から学ぶこと

 「この舟」とは「自分」のことです。「水」とは「煩悩」のことです。舟から浸水した水を汲み出せば、舟は沈むことなく、舟は軽くなって速く目的地に到達します。そのように、自分から貪欲や怒りのような煩悩を汲み出せば、涅槃に速く到達できるのです。この詩の内容を実践することは難しいことかもしれませんが、意味は難しくありませんね。

 と思うのは軽率かもしれません。私はダンマパダの詩をかつて簡単だと思ったことはありましたが、後で釈尊の深い意図を汲み取れなかったことが何度もあります。しかし、私の現在のこの詩の理解はここまでですので、皆さん自身で、さらに深く吟味して、足りないところがあれば、私に教えて頂ければ大変ありがたいのです。それをコメントに書いて下さい。

 あえて、もう一つ書くとすれば、自分の修行が進んでないと思っている人は、自分という舟が煩悩という水で沈みそうになっているのではないかと自己点検をしたらよいのかもしれませんと言うことです。煩悩というものは形を変えて、心にいつまでも残っている可能性があります。冥想修行をして、怒りが少なくなったと思っても、冥想は進んでいるという慢心が潜んでいるかもしれません。これは悟りを妨げます。

 最後に、「漏」は煩悩を意味します。「無漏」は煩悩のないことです。

○比丘たちよ 舟から水を汲み出せよ 無漏の舟は悟りに達する 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~

この記事へのコメント

ホーシノヒトリゴト
2008年11月08日 11:51
ワンギーサさん、いつもありがとうございます。お説教の通りだと思います。煩悩を無くすために、初期仏教の教えをさらに勉強して、実況中継を怠らず、慈悲喜捨の気持ちを育てながら生きて行いたいと思います。ありがとうございました。
2008年11月08日 12:40
ワンギーサさん、おはようございます。ブログとの接続がうまくいかず、コメントが大変遅れてしまいました。この場合の舟に「穴や隙間」はあるのでしょうが、そこを防げば水は入ってきません。だから、六処を守り煩悩の増大を防ぎつつ、努力して水を汲みだす必要があるのでしょうか。煩悩が増えるのは、舟に水が入るが如く自然で、減らすのは、こぎながら中の水を汲み出すがごとく容易ではないのでしょうね。有難うございました。
2008年11月08日 19:50
ワンギーサさん、再コメントです。自分なりに考えてみました。一度、仏教と舟にのっていて浸水する状況を切り離してみました。自分が舟に乗っていて、浸水状態なら…1・命がけで水を汲みだすでしょう。2・1と反するようですが、闇雲に水を汲みだしたら転覆するおそれがあります。あくまで個人的な意見ですが、解脱のために「命がけ」「無知でやらず」というメッセージもあるのでは?と思いました。なんか強引かもしれませんが。有難うございました。
2008年11月08日 23:02
ワンギーサさん、再再コメントです。ほとんどこじつけで自分でも笑っちゃいます。ここで、無常、苦、無我を語っているとは考えられないでしょうか。誰でも舟が浸水して死んでしまうのは苦しいはずです。でも大抵は「苦しみ」を増大させて生きてしまいます。だから「苦」。又それは川の流れに逆らってます。流れに逆らわず、沿っていくベストの方法は舟の水を無くし、軽くすることです。だから「無常」。自分を舟に喩えてます。だから「無我」。無我が一番のこじつけですね。度々コメントして申し訳ありません。有難うございました。
ワンギーサ
2008年11月09日 00:05
新さん。たびたびコメントしていただきましてありがとうございます。今日もう寝ます。お休みなさい。
2008年11月09日 01:09
ワンギーサさん、お休みなさい。自分もこれから寝るところです。でも、ただの水を浸水した時点で煩悩としたところは凄いなと思いました。ただの川の水が心という主観を通したところで「煩悩」となる。だから世界を活かすも殺すも自分の心次第。水という単純な喩えで、メカニズムを説明したのだとしたら、お釈迦様は本当に凄いお方ですね。でも、安全な舟で川をすいすい渡れば気分はいいでしょう。心がきれいなら、水や世界は真の道具になりそうですね。有難うございました。
ワンギーサ
2008年11月09日 07:26
新さん。おはようございます。舟を自分の喩えとするより、心の喩えと考えた方が、明確になりますね。また、舟と水の喩えを、心と煩悩のメカニズムと考えると、煩悩を漏という意味もよく分かりますね。ダンマパダの言葉を禅の考案のように、頭の中に入れて取り組んでいると、智慧が現われてくるものです。三宝の加護がありますように。
身の丈修行者
2015年02月20日 13:05
私事ですが、座る冥想は毎日1時間実行しています。
ですがその冥想は進んでいるのか?と思うと、良くわかりません。
煩悩が減ったりすると良いのかなとか、さらにもっと時間を増やせれたらいいのかな、程度の事は思いますが、まずは実践・・と、取り組んでいます。
進んでいるのか?を考えるよりは、今の自分のあるがままの観察をするように心がけています。
舟を心の喩えとし、そのから水(煩悩)を汲み出してなくせるように精進したいです。

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