髪形や生まれによってバラモンと言うのではなく心の清浄

ダンマパダ 393

髪形や家系や
生まれよってバラモンになるのではない
真理と法によって
清浄になった彼はバラモンとなる


○この詩から学ぶこと

 ブッダの時代、バラモンとはどのような人々だったのでしょうか? 人々に尊敬され、権威を持っていた宗教家だったのです。また、当時のバラモンは法螺貝のような髪形をしていたようです。それに対して釈尊は、「髪形によってバラモンになるのではない。家系や生まれによってバラモンになるのではない。」仰いました。

 古代社会では、人間の評価は個人の人格についてではなく、家柄、家系によって行っていました。そのようなことは、古代社会が特別ではなく、現代日本でも行われています。就職や結婚などでは、あるいは、選挙などでも、個人の人格よりも、家柄、職業、収入などで人物を評価するのが世間のあり方です。一切知者であるブッダですから、当然とはいえ、封建社会以前の古代社会でブッダの人物評価の卓越した考え方には驚きとしか言いようがありません。

 私たちが人物を評価する必要のある時は、例えば選挙で誰に投票すべきか考える時は、その人物の身口意の行動を観察して悪を為していないか、善を為しているを見て評価すべきです。家柄、学歴などで判断するより多くの人々のためになると思います。

 この詩では釈尊は心が清浄な人はバラモンであると言われています。また、心を清浄にする方法を教えています。「真理と法によって」と述べられいます。これは四つの聖なる真理すなわち四聖諦と八正道です。四聖諦を理解し、八正道を実践する人は心が清らかになり、バラモンといわれる人になるのです。

 四聖諦と八正道についてはこのブログの8月25日から9月9日に記載したダンマパダの「第20 道の章」の273番から289番の詩の中で述べています。また、星飛雄馬著「初期仏教キーワード」127~134ページに説明されています。是非、ご参照してください。

 この詩から学ぶ簡単な教訓は、ものごとは外見だけで判断してはいけないということです。

 この詩から学ぶもう一つの点は、私たちのものの見方は「あべこべ(顛倒)」だということです。すべてものの見方が間違っているということです。世間の常識と自分の感覚が一致していたら、それはたぶん真理あるは真実とあべこべではないかと思った方がよいと思います。それは心のメカニズムからくることなので、情報を捏造しない修行しなければ、避けられないことなのです。その根拠など詳しくはスマナサーラ長老著「あべこべ感覚」(サンガ新書)をお読みになるのが一番です。

○髪形や生まれによってバラモンと言うのではなく心の清浄

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~

この記事へのコメント

2008年12月01日 06:34
ワンギーサさん、おはようございます。この詩は、バラモンとはどうあるべきかを述べているのか、それとも人に対する判断基準について述べているのかが分かりません。政治についての話題が出ましたが、問題なのは身、口、意を人が正しく判断出きるのか?それが感情だったら、ヒトラーの演説でファシズムに走ったかつてのドイツを思い出します。米大統領オバマ氏の演説集を買いましたが、彼の人格云々は別にして実に巧みな語りです。家柄で判断するのも、行為で判断するのも感情が優先してる限りダメでしょうが、唯違うのか、行為の場合は180度変わる可能性があることだと思います。例えば「憲法遵守」と言っていた政治家が「憲法改正」と変えたところで、疑問が生じ冷静に見られるようになる。そういう違いはあると思います。世間の常識とは多数派の感情だと思いますが、自分の感情を制御すれば振り回されなくなるでしょう。角度を変えると、常識の非常識さがわかったりしますが、単純に常識に対するアンチだと自身の怒りを正当化してるかもしれません。こう考えると、この詩は「あなた自身が真のバラモンたれ」と言われてるような気がします。有難うございました。
ツヨシ
2008年12月01日 07:49
 ワンギーサさん、新さん、おはようございます。
 多数派が悪思考なら、決定も悪決定になりますよね。
 たとえば、10人の内、9人はお酒を飲んでいました。
 9人は、自分に、「お酒をどうぞ、おいしいよ。なぜ、飲まないの、飲むと心が開くよ、ちょっと飲むことは、体に良いよ。飲まないと、友達に誘われなくなるよ。」と言います。
 しかし、「飲むと、頭が痛くなります。だから、飲みません。」と、断りました。
 酒を飲むことが、善になるときも、悪になるときもあるようですね。
ワンギーサ
2008年12月01日 07:50
新さん、おはようございます。釈尊の説法はすべて、修行者が解脱するためのものです。しかしそれを受け取る人のレベルで受け取り方はいろいろあると思います。いろいろな受け取りをしながらも、自分の解脱につなげらればよいのです。この詩はバラモンがどうあるべきかを述べているののでしょうが、私たちはそれを違った見方をしてしまうことに私は注目して解説を書いたのです。新さんなりに自分の解脱につなげられるように学んで下さい。
ワンギーサ
2008年12月01日 08:14
ツヨシさん、おはようございます。あなたの論理はおかしいですよ。どこから「善くなるときも」が出てきたのですか。「酒を飲むことが、善になるときも、悪になるときがある」という屁理屈をなくすために、仏教では五戒や十悪行を明確にしています。このブログでも書いてありますので調べてください。9月30日、10月3日のブログなどに書いてあります。
2008年12月01日 08:14
ワンギーサさん、ご指導有難うございます。世間の思考があべこべなら、その評価を鵜呑みにしたり、落ち込みや舞い上がりなどを避けることかな、とは思います。冷静かつ正当な理由があるなら受け入れる。ただの誹謗中傷なら無視する。誤解ならそれをとく。しかしそれは自分が感情で人を判断してる限り出来ないと思います。ちなみに私はお釈迦様の批判されてるバラモンではなく普通の人間です。有難うございました。
2008年12月01日 08:44
ワンギーサさん、少し訂正です。上記コメントの上から10行目の「感情」は「顛倒」「あべこべ」の方がより正しいかと思います。普通にいう冷静も感情的よりはましですが、それでも正当な理由か否か、誤解をとくとなると決して完全ではありませんから。有難うございました。
ツヨシ
2008年12月01日 16:55
ワンギーサさん、ご指導有難うございます。
五戒では、酒を飲まないこと、とありますね。
 また、1つ行為からは、善か悪の、どちらかしか、現れないのでしょうか。
 酒をちょっと飲むと、ちょっと悪。
  そして、無駄口を話してしまう。
 酒をたくさん飲むと、たくさん悪。
  そして、ひき逃げをしてしまう。
 酒を飲まないなら、悪はない。
  そして、頭は冴えている。
ということに、なりますよね。 
ワンギーサ
2008年12月01日 18:23
ツヨシさん、質問の答えます。すべての行為は心から始まります。善悪を決まるのはその心で決まります。悪い心で始まるすべての行為は悪行為です。善い心で始まるすべての行為は善行為です。また、一つの心は非常に短い時間で生まれてそして消えるのです。同時に二つの心は生まれません。一つの行為はその行為を作りだす心で決まりますから、一つの行為は善か悪かどちらでもないの3種類です。量的な問題は生まれた心の量で決まるでしょう。悪い心が続けてたくさん生まれれば、それに基づく口による行為や身体による行為の悪の量になるでしょう。
ツヨシ
2008年12月01日 21:10
 ワンギーサさん、ご指導有難うございます。
 酒を飲むときは、悪い心がありますね。
 不満をぶちまけよう、淫らな行為をしよう、さみしさをごまかそう、酒を飲まないと心を開けないという思考、などの心がありますね。
身の丈修行者
2015年03月09日 07:26
見かけから感じた→その後の認識判断の結果は・・好きや嫌いの判断が入る等で事実と異なる方向にいってしまう可能性を感じます。
身近な職場で、一部の職員の情報+自分の感性(捏造)?を元にして職場状況報告書を作り、経営者に提出する上司がいます。たまたまその内容を知った時にあまりの内容に言葉を失いました・・
評判が・・な職場に成る訳だとブラックユーモア?を感じました。
心が清らかになるような生き方が出来るように精進したいです。

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