バラモンはどんな時でも敵意なく心静かで執着しない

ダンマパダ 406

敵意ある人々の中にいて敵意なく
暴力を振るう人々の中にいて心静かで
執着する人々の中にいて執着しない人
彼を私はバラモンと呼ぶ


○この詩から学ぶこと

 この詩の趣旨に近い詩があります。7月10に記載したダンマパダの197、198、199番です。

真に気楽に生きてみよう
怨みのある世の中で怨みなく
怨みのある人々の中で
怨みのない人間として生活しよう

真に気楽に生きてみよう
悩みのある世の中で悩みなく
悩みのある人々の中で
悩みのない人間として生活しよう

真に気楽に生きてみよう
求め過ぎの世の中で求めずに
求め過ぎの人々の中で
求めない人間として生活しよう


 これの詩の「この詩から学ぶこと」も読んでみて下さい。

 http://76263383.at.webry.info/200807/article_10.html

 こうして、比べてみると同様な趣旨ですが、今回のバラモンの詩の方が境地が上のような気がします。以前の詩はまだ、「怨みなく」、「悩みなく」「求めず」が出来てない人々が、出来るような提案を述べているのに対し、今回の詩は「敵意なく」「心静かに」「執着しない」ことが出来ている人についての詩ですから、それは当然です。

 それはともかく、この「敵意なく」「心静かに」「執着しない」を、いつでもどこでも出来ている人は阿羅漢です。
 「敵意なく」は昨日述べましたように、これが完全にできれば梵天の心を持っている人なのです。ですからバラモンといえるのです。
 「心静かに」は「涅槃する」の訳です。阿羅漢です。
 「執着しない」は「無執着」です。これも阿羅漢の心です。
 ですから、釈尊は彼を阿羅漢と呼ぶのです。

○バラモンはどんな時でも敵意なく心静かで執着しない

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~

この記事へのコメント

2008年12月14日 05:29
ワンギーサさん、おはようございます。修行とその結果と受けとめました。自分にとって都合の悪い環境は最高の修行の場でもあるわけですね。悲観するまでもないわけでしょう。「修行出来てよかった」と思えれば。そして周囲の悪影響に動じない強い人間なり、やがて周囲に影響を与える人間になり、最終的にいかなる状況でも心穏やかになれば真の幸福だと痛感しております。良好な状況で心が多少落ち着いたとしても、執着してしまって、怠けも増えダメですから。又、劣悪な状況でもかなり強い無知が働きボーツとしてれば、平静と錯覚するのでそれにも注意したいと思います。有難うございました。
ツヨシ
2008年12月14日 07:01
 ワンギーサさん、新さん、おはようございます。
 妄想すると、ボーッとしますね。
ワンギーサ
2008年12月14日 09:00
新さん、ツヨシさん、おはようございます。コメントありがとうございます。
身の丈修行者
2015年03月13日 08:10
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「「敵意なく」「心静かに」「執着しない」を、いつでもどこでも出来ている人は阿羅漢です」目指したいなと思います。
言葉は簡単ですが、実践するには修行が欠かせないと思います。
精進したいです。

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