無執着悟り終わって疑惑なく不死に達した彼はバラモン

ダンマパダ 411

執着がなく
完全智を得て疑惑なく
不死に達した人
彼を私はバラモンと呼ぶ


○この詩から学ぶこと

 西洋思想では、フランス革命のシンボルの言葉、自由、平等、友愛などの言葉が好んで用いられます。しかし、仏教ではあまり自由という言葉は使いません。なぜでしょうか。私たちは自由を知らないからです。私たちは自由を知らないので、自由を我がままと誤解するからです。

 仏教では自由の代わりに無執着という言葉を使います。なぜならば、執着ならば私たちはよく知っています。私たちは、いろいろなものに執着して生きています。執着しているということは、執着の対象に依存していることなのです。依存しているということは、それから独立していません。独立していなければ自由ではありません。このように、自由はいろいろな概念を経て理解されるのに対して、無執着は執着のない状態として理解されます。

 以上、回りくどい事をかきましたが、今回の詩の一行の「執着がなく」を説明したかったのです。ここは「自由があり」ではだめなのです。「取著がなく」でこの状態を、執着から類推して少し理解できるのです。完全に執着のない人は悟った人なのです。悟った人は、ありのままに見ることができます。そのため「完全智を得」ることができます。完全智とは何でしょうか? 究極の真実である三相(無常性、苦性、無我性)(星飛雄馬著「初期仏教キーワード」146、147ページ参照)、縁起及び四聖諦に関する智慧であります。「完全智を得た」人には疑惑はありません。

 「不死」とは涅槃のことです。「不死に達した人」とは涅槃の境地に達した人であります。その人は完全な悟りを得た阿羅漢です。釈尊はその人をバラモンと呼ぶのです。


○無執着悟り終わって疑惑なく不死に達した彼はバラモン


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~

この記事へのコメント

ツヨシ
2008年12月19日 05:19
 ワンギーサさんおはようございます。
 一人で居るとき、「あのとき、あのように言ったけど、このように言うべきだったかな。」と、考えます。
 思考の執着ですね。
2008年12月19日 06:02
ワンギーサさん、おはようございます。確かに「自由」の定義やニュアンスは人により時代により違ってますね。時の権力の不当な弾圧からの解放を「自由のため」と称しするのが一般的でしょうか。今どきの日本ではわがままを詭弁で「自由」としてる側面があります。又、わがままを権利のみの行使とすれば「権利に付随する義務」の行使をもって「真の自由である」という意見もあります。それから今日の文脈でいけば、依存するのはけっして「不自由」ではなく、敢えて依存するのも「それは個人の自由の一形態」である。という考えもあったりします。実にややっこしい言葉です。依存とは勿論「精神的に」依存しないという意味だと思いますが、俗ぽく表現すれば「心のよりどころ」でしょうか。生きる上で人間関係含め、衣、食、住など環境的制約があるものですが、その場合、思考や思想の自由のもとに理想を求め妄想したりせずに、環境に執着しないで生きればバラモンに近づけるのだと思います。有難うございました。
2008年12月19日 06:17
ワンギーサさん、ツヨシさん、おはようございます。執着に関しては「思考、自分の肉体、家族などの人間関係、もの(財産)」の順で強から弱になるとスマナサーラ長老に伺いました。「思考への執着」を断てば悟りなのでしょう。有難うございました。
ホーシノヒトリゴト
2008年12月19日 09:27
ワンギーサさん お早うございます。いつもありがとうございます。さて、私はワンギーサさんのブログに対して失礼ですが執着はありません。しかし、読ませていただける自由も、コメントを書かせていただける自由もあります。自由をわがままととらえているわけではありません。もし、私たちが自由と言う概念を知らないのであれば無知であるかもしれません。私たちは自然的、社会的諸条件(束縛)のもとに生かされているし、生きています。これも自由だからだと思います。自由だから、食事もするし、自動車にも乗るし、家電製品も使っています。ただ私はそのような物質にかなり依存しています。執着もあります。もし誰かが今の生き方に不自由を感じ苦しむのであるならば、ブッダの教えを知ることが出来る自由もありますので、真理や普遍の法則なっどをよく理解して、自分の貪瞋痴から離れたらよいと思います。勝手なことを申し上げお許しください。ありがとうございます。
ワンギーサ
2008年12月19日 10:25
ホーシノヒトリゴトさん、コメントありがとうございます。自由を知らないということは、よくスマナサーラ長老が無常を知らないというときと同じ意味です。日本人は無常は知っていると思っていますよ。
2008年12月19日 16:36
ワンギーサさん、つまり自由を知らない我々が自由を理解したとしても、それは我がままで主観的な解釈に過ぎない。ということでしょうか。有難うございました。
高橋優太
2008年12月24日 22:48
無執着と自由の違いがよく理解できました。自由と言っても、やはり先生の言う通りよくわかりません。自由になるのではなく、解脱するために、執着を捨てるという意思をもって善行為を頑張りたいです。

あと気持玉のナイスを入れましたが、上から目線ではなく「素晴らしい話」という意味で入れました。勘違いがあったらごめんなさい。
身の丈修行者
2015年03月15日 08:28
自由は「みずからによる」・・との話で自己啓発系で伺いました。
自分自身で決めていく事なんだよ・・みたいなノリでしたが、冷静に考えると良く分からない話・・でした。
執着しないとの意味ですととても分かり易いです。
執着しない生き方精進して参りたいです。

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