バラモンよ外面飾って何とする心の中の汚れを落とせ

ダンマパダ 394

愚か者よ、結髪をゆって何になる
カモシカの皮衣をまとって何になる
汝の内面は煩悩で汚れているのに
外面ばかりを掃除する



○この詩から学ぶこと

 釈尊の時代のバラモンは結髪を結っていたのでしょう。またバラモンの苦行者はカモシカの皮の衣をまとっていたようです。彼らは自分の心の汚れを落とそうとはせずに、外見ばかりを飾ろうとしていたのです。現代人も同様のことを行っているのです。釈尊がバラモンに言われたことは、今私たち一人に言われているのだと受け止めた方がいいのです。

 バラモンに限らず、現代人も、内面の心の汚れを落とそうとしないで、外面ばかりを飾ろうとするのでしょうか?男も女も髪形を気にして、衣服を飾ろうとします。ステータスのためブランド物を持ちたがります。少しましな人は能力の向上に努めます。しかし、人格向上のために心を清らかにしようとはしません。なぜでしょうか?

 このブログは、「困った時はダンマパダ」というタイトルで初めましたが、タイトルに相応しい内容なのか疑問の方もおられると思いますが、今回はいよいよタイトルに相応しい内容になりそうです。

 まず、なぜ人々は外面を飾ろうとするのでしょうか?
 人は外面が立派だと立派な人だと思う。
 そのため、外面を飾ると自分の評価が高くなると思う。
 なぜ人からの評価を上げようとするのか?
 評価があがれば、会社では給料が上がる。異性からはモテルようになる。
 なぜ、給料が上がり、モテルようになることを求めるのか?
 それが幸福であると思っている。
 つまり、人々が外面を飾るのは幸福になりためなのです。

 ではここで、上の論理は正しいのでしょうか?人は外面を飾ると本当に幸福になれるのか考えてみましょう。

 人は外面が立派でも立派な人だとは思わないのです。初めは、人々は外見で人を判断しますが、実生活のなかでは、外見で判断するのではなく、仕事の出来,不出来で判断します。人間関係も自己中心的な他人への思いやりのない人はモテナイのです。ですから、外面を飾っても評価は上がらないのです。最近の例では、麻生首相などは外見は立派ですが、評価がどんどん下がっています。

 給料が上がり、モテルようになるのが幸福でしょうか? 超人気だったミュージシャン・音楽プロデューサー小室哲哉氏の場合を考えるとこの問題の答えはすぐ分かると思います。つまり、高額の収入があっても、人々にモテモテでも幸福になるとはいえないのではないでしょうか。上の論理は間違っているのです。外面を飾っても幸福になれないのです。

 釈尊は上の詩で「汝の内面は煩悩で汚れているのに 外面ばかりを掃除する」と述べておられます。これは、「外面を飾るのではなく、内面の煩悩の汚れを掃除しなさい」と教えておられるのです。

 人が幸福になるかどうかは、心が清らかどうかで決まるのです。心が清らかな人は幸福になります。心が汚れている人は不幸になります。これはダンマパダの第一メッセージなのです。ダンマパダの1番と2番の詩で全生命にアッピールしています。その根拠については来年1月1日に述べることになるでしょう。

○バラモンよ外面飾って何とする心の中の汚れを落とせ

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~

この記事へのコメント

ツヨシ
2008年12月02日 05:47
 ワンギーサさん、おはようございます。
 ネクタイをつけることは、幸福ですか。
 まじめになろう。きまりを、守ります。だらしないことは、しません。という心なら、幸福になりますよね。
 異性の気を引こう。偉いように思われよう、という心なら不幸になりますよね。
2008年12月02日 06:30
ワンギーサさん、おはようございます。今日の詩は誰もが問題意識をもつ面白い内容かもしれませんね。幸福に至るに確実な方法は如何に?八正道を実践し、心の汚れを落とせば幸福になるのは100%。外見を磨いて幸福感を得るるのはケースバイケース。だから外見ばかりを重視して、それで幸福感を得ようとするならば、状況の変化次第で不幸を味わうはめになるでしょうから。ただ外見を軽視せよ、というとそれは違うて思います。TPOをわきまえることはその場の雰囲気を壊したり、不愉快な思いをさせないためには必要です。もっと本質的なことは、善友は少ないということだと思います。ほとんどその場限りの付き合いで終わってしまうものです。その場合外見のみで自分を評価するかもしれませんが、善友以外の評価など気にするに値しないでしょう。私自身も以前そうでしたが、結局心が弱く自信がないので、てっとり早く幸福感を得られる外見を選択・洗濯するのです。それが心の弱みに起因するものだと気付いた人は、仏教を選択すれば良いのでしょう。有難うございました。
林田明大
2008年12月02日 23:25
 お立ち寄りくださいまして、ありがとうございます。私は、若い頃は女の子にもてたくて外面を飾りましたが(笑)、年齢とともに普段から自分を飾ることがいやになりました。で、講演であれ、拙著であれ、私のブログであれ、私の失敗談を含め、全てをさらけ出すように努めております。
 まだ、全てではありませんで、私のこれまでの女性問題は、身近に嫌がる人もおりますし、若い方々の参考にでもなればと思っておりますので、おいおい公開するつもりです。
 ただ、失敗談をお話すると、笑ってくださる方もおりますが、突如として軽蔑の色をあらわにする人も、確かにおりますね(苦笑)。
ワンギーサ
2008年12月03日 08:07
林田先生、コメントありがとうございます。自分の失敗談は、笑いを取れるのですが、いろいろな人間がいるので、いろいろ受け止めかたがありますね。話し方にも高度の技が必要なのかとも思いましたが、やはり話し手の人格なのでしょうね。
身の丈修行者
2015年03月09日 07:32
ワンギーサ長老の分かり易い解説「給料が上がり、モテルようになるのが幸福でしょうか?・・高額の収入があっても、人々にモテモテでも幸福になるとはいえないのではないでしょうか・・外面を飾っても幸福になれないのです」を拝見しハッとしました。
もし高収入になったら・モテモテになったら、それを維持する為に必死になってしまうように思います。
また、恐らく「自分は凄い・別格だ」等と勘違いしてしまい、もうその認識はとことん落ちて破たんしない限り改善出来ないのではと思います。
もしですが(妄想の話でしかありませんが)高収入になっても・モテモテになっても、心穏やかで謙虚で執着しない生き方を目指したいと思います。

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