この世での善と悪との執着を超え清らかな彼はバラモン

ダンマパダ 412

この世において善行と悪行と
その両方の執着を超えて
憂いなく汚れなく清らかな人
彼を私はバラモンと呼ぶ



○この詩から学ぶこと

 この詩は理解を誤ると危険があるのです。危険という意味は、道徳の否定につながるということです。

 中村元博士が岩波文庫の「真理のことば」の中でこの詩を「この世の禍福いずれにも執着することなく」と訳されています。誤解を避けるためにこのように訳したのかもしれません。このように訳すと比較的問題は少ないのです。私の訳の「善行と悪行と」を「禍福」としてありますから、「悪いことがあっても、善いことがあっても、執着しないで」という意味になります。道徳の否定にはなりません。

 しかし、私のように「善行と悪行とその両方への執着を超え」と訳すと、「善行への執着」「悪行への執着」「善行悪行への執着」を「超えて」ですから、「善行をしなければならない」「悪行をしてはならない」「これは善行だ、これは悪行だ」という思い、こだわりを超えてという意味になり、道徳を否定する意味につながる恐れがあるのです。

 それならば、中村元博士の訳にすればいいのではないかという考え方がなりたちますが、それでは通俗的な意味になります。中国のことわざに「人間万事塞翁が馬、禍福はあざなえる縄の如し」
の意味のように、善いこともあれば、悪いこともありますよ。だから、善いことがあっても興奮せず、悪いことがあっても落ち込まず、落ち着いて生きなさいという人生訓です。悪くはありません。

 しかし、釈尊の教えはその程度のものではありません。釈尊は人間が目標とすべきあり方を述べておられるのです。そかし、人間はいっぺんに理想の状態には成れません。ステップが必要なのです。例えば小学生に大学生が学ぶべきことを教えては危険なのです。仏教では、人間を心の状態で三段階に分けて考えます。凡夫、有学、無学です。凡夫は仏教を学んでいない人間です。有学は仏教を学び始めたが、まだまだ学ぶことがある人間、修行者です。無学は仏教の修行を完成してもう学ぶことのない人間、阿羅漢のことです。

 この詩では無学、阿羅漢について述べているのです。阿羅漢は心からすべての悪を捨てていますので、もう善行も必要なくなっているのです。ですから阿羅漢の行為はすべて善行為でも悪行為でもないのです。また、阿羅漢にとっては善悪はないのす。そのことを知らずに、凡夫や有学の人が「善悪がない」と言える資格はないのです。

 ですから、われわれ凡夫や有学は、今の段階で、「善悪に執着しない」などとは言えないのです。悪行をしないように、善行をするように励むべきなのです。よく禅宗などで「善悪はない」「善悪にこだわるのは迷妄だ」などと言ったりして、お酒を飲んだり、戒を犯すことを肯定する話がありますが、うかつに乗らない方がいいのです。

○この世での善と悪との執着を超え清らかな彼はバラモン

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~

この記事へのコメント

2008年12月20日 06:03
ワンギーサさん、おはようございます。有学と無学の意味は一般社会のそれと正反対ですね。ところで、今日の詩の一行目と二行目を「輪廻の世界を越えて」のようにしてはダメなのでしょうか?実体験に基づかない単純な理屈ですが、阿羅漢がもう業をつくらないのであれば、善因善果などの因果法則からも例外となるように思えるのですが。するとそれらに執着すること自体が成立しなくなってしまいます。勿論私の知識的誤解なら論外ですが。有難うございました。
ツヨシ
2008年12月20日 06:32
 ワンギーサさん、新さん、おはようございます。
 阿羅漢には善悪の考えが無いですね。
「阿羅漢の行為が、善である」、と有学の人は見ますよね。
ホーシノヒトリゴト
2008年12月20日 06:52
ワンギーサさん お早うございます。昨日はありがとうございました。駆け出しの有学の一人としてコメントを書いてしまいました。そして精舎でのご説明により理解する次元が違うことが分かりました。また、新様コメントありがとうございます。おっしゃるとおり凡夫のわがままな理解でした。ありがとうございます。
ワンギーサ
2008年12月20日 07:52
新さん、ツヨシさん、ホーシノヒトリゴトさん、おはようございます。コメントありがとうございます。
新さんへ、原文がそうなってませんので、変えられません。
2008年12月20日 08:46
ワンギーサさん、ご指導有難うございます。実はもし原文がそうなのなら何故に?という疑問があったのであすが、善行悪行は身近ですし、誤解さえ防げば「輪廻」という難解な話を持ち出すより理解しやすいですね。少なくとも私には。有難うございました。
ワタナベ
2009年11月29日 09:02
この善悪のご説明、そして「善行と悪行とその両方の執着を超えて」の解説、なるほどと思いました。ありがとうございます。
身の丈修行者
2015年03月15日 08:37
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説にあります「・・「善悪はない」「善悪にこだわるのは迷妄だ」などと言ったりして・・戒を犯すことを肯定する話がありますが・・」の所、以前より気になっていました。
こんな言葉マジック?のような形で戒律を破る・・は本筋と違うと思います。
雲をまく?ような話ではなく、しっかり地に足を着けてこちらで勉強して参りたいです。

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