罵倒され打ちのめされても怒らない忍耐強い彼はバラモン

ダンマパダ 399

罵倒あるいは暴力や拘束に
怒らずに忍耐する
忍耐力のある軍隊のように強い人
彼を私はバラモンと呼ぶ


○この詩から学ぶこと

 罵倒されると、誰れでも普通それに反発して怒ります。さらに暴力や拘束さればもちろん怒ります。怒らずにいることは忍耐が必要です。この場合、完全に解脱した阿羅漢のような人ならば、初めから怒りの心がないのですから、怒らないでいることに忍耐力など必要ないかもしれません。また、阿羅漢になってなくとも、悟った人ならば怒りの心が弱くなっていますから、怒らないでいることはそれほど大変ではないかもしれません。

 しかし、凡人にとっては、怒りのエネルギーは強いので、一度現われた怒りを抑えて、怒らないでいるのには、強い忍耐力が必要です。しかし、怒りはどんなことをしても止めなけれいけません。そのためには、怒りはどんな場合も悪いのだと、善い怒りや正義の怒りや必要な怒りはないのだと、徹底的に理解する必要があります。

 「怒り」については、ダンマパダの「第17怒りの章」の221番から223番の詩で述べられています。少しまとめて研究してみてください。(7月26日から7月28日のブログに記載)
 また、「忍耐」については、ダンマパダ184番、320番(7月2日、10月4日のブログに記載)で述べました。

怒りを捨てるように、慢心を捨て去るように 一切の執着に打ち勝つように
心と身体に執着しない 心に何もない人には苦悩は現れない(221)

暴走する車を止めるように 爆発する怒りを制御する人を
私は真の勝利者と呼ぶ 他の人は手綱を持つだけの人(222)

怒り無きによって怒りに勝つように 善によって不善に勝つように
布施によって物惜しみに勝つように 真実によって虚偽に勝つように(223)

真実を語るように、怒らないように 求められた時は少しの中からも施すように
これらの三の要因で 神々の面前に赴くだろう(224)

忍耐、堪忍は最高の修行である 涅槃は最高のものであると諸仏は説く
他人を害する人は出家者ではない 他人を困らせる人は修行者ではない(184)

私は象が戦場で 弓から放たれた矢を耐えるように
誹謗を耐え忍ぶ 多くの人々は不道徳だから(320)


 バラモンとは耐え難い怒りを、怒らないように耐える忍耐力のある人なのです。

○罵倒され打ちのめされても怒らない忍耐強い彼はバラモン

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~

この記事へのコメント

2008年12月07日 08:06
ワンギーサさん、おはようございます。いかなる時でも怒らない、と漠然と思ってましたが、以前スマナサーラ長老の『怒りの無条件降伏』を読んだ時は「ノコギリで切断される時も怒らない?何もそこまで…」と衝撃を受けました。それだけ仏教では「怒り」を戒めているのでしょう。確かに「怒り」は良いことはありません。まず自分自身がやられてしまいます。そして、怒りに基づいた行動はうまくいかないので、何とかある程度「怒り」を抑えたとしてもやはりダメですね。人から言われて「怒り」が生まれても、しばらくして「怒り」が無くなってから話したりすると不思議なくらい通じたりします。問題はその「しばらく」をいかなる場合も「すぐに」に出来るか?だとは思ってます。今までの経験では「すぐに」が出来ない場合は自分の心で「怒りを正当化」しているのです。正当化することの馬鹿らしさに気付くよう今後も努力したいと思います。有難うございました。
ツヨシ
2008年12月07日 08:50
 ワンギーサさん、新さん、おはようございます。
 怒りがないときは、
 自分が1つ話すと、相手の返事を待ちます。
 相手が話しだすと、終わるまで、聞きます。
 相手が返事を求めてきたら、返事をします。

 怒りがあるときは、自分勝手に話していますね。
ワンギーサ
2008年12月07日 10:59
新さん。ツヨシさん。おはようございます。コメントありがとうございます。
身の丈修行者
2015年03月11日 07:19
罵倒されたり打ちのめされたら、防衛機制で自分を守る為にアドレナリンが沢山出て、怒り返してしまう・・のが自然?なようにも思います。
ですが、それが当たり前になってしまいますと程度の差はあれしょっちゅう怒っている自分になりそうです。
怒らない事・阿羅漢を目指して精進したいです。

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