不放逸死なない道だ放逸は生きていながら死んでるようだ

ダンマパダ 21、22、23


不放逸は不死の道だ
放逸は死の道だ
不放逸の人々は死なない
放逸の人々は死んでるようだ

このことをはっきり知って
不放逸な賢者たちは
不放逸を喜び
聖なる境地を楽しむ

彼らは堅忍不抜で
常に強い努力の瞑想者である
賢者たちは束縛から離れて
最高の涅槃を体得する


○この詩から学ぶこと

 ダンマパダの21番から32番までは、ダンマパダ「第2不放逸の章」になります。「不放逸」は、仏陀が私たちに残した遺言「諸法は過ぎ去るものである。不放逸によりて精進せよ。」の中の言葉なのですから、仏陀の四十五年の総まとめの言葉でなのです。これからこの章の12の詩で不放逸の意味を学んでいきたいと思います。

 さて、初めは「不放逸は不死の道だ」と述べられています。これは少し難しいですね。不死とは何ですか? 不死とは生きているという意味です。生きているとはどういうことでしょうか?スマナサーラ長老は瞑想指導の中で、これは大切なことですから繰り返し教えられることです。それは感じているということです。逆に感じていなければ生きていないのです。
 「道」は「方法」としておきましょう。

 ここで「不放逸は不死の道だ」を上の解釈で言い換えてみましょう。「不放逸は生きていることの方法だ」 そして「不放逸は感じていることの方法だ」ということになります。なぜ、改めてそのようなことを言うのでしょうか? 実は私たちは感じていないからなのです。つまり、生きていないからなのです。

 納得はいかないかもしれません。少し説明しましょう。感じるということは、今の瞬間を感じるということです。過去の感じは記憶の中の感じてありのままの感じではありません。また、未来の感じを感じたとしたら、それは予想の感じであり、今のリアルの感じではないのです。ところが、私たちは常に、過去の事柄を後悔するか、まだ起きてない未来の事柄を期待するか心配しているのです。ですから、今の瞬間のリアルの感じについては上の空で感じていないのです。つまり、感じていないのですから、生きていないのです。ですから、不死ではなくて、死んでいるようなのです。

 ですから、不放逸は不死の道であり、不放逸の人々は死んでいないのです。一方、放逸は死の道であり、放逸の人々は死んでいるようなのです。

 賢者は不放逸と放逸の違いをはっきり知って、不放逸の実践を喜び楽しむようになります。

 不放逸の実践は、過去への執着から離れ、未来への期待からも離れ、現在をありのままに感じることにより、現在への執着からも離れ、涅槃を体得するのです。

 不放逸とは、今をリアルに感じる方法なのです。八正道の正念です。ヴィパッサナー瞑想はそのための実践なのです。

 *不死の通常の意味は涅槃という意味ですが、私はあえて「生きている」と解釈しました。

○不放逸死なない道だ放逸は生きていながら死んでるようだ
○このことをはっきり知って賢者たち不放逸の境地喜び楽しむ
○賢者たち堅忍不抜の瞑想者束縛離れ涅槃を体得


~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年01月10日 06:52
ワンギーサさん、おはようございます。林田先生の推薦された『FLOW』にも同じようなことが書かれてましたが、冥想において注意すべき点ですね。ラベリングも感じたものに対ししてるわけですから、その意味では過去を想起してはいます。しかし、その作業で「考える」ことから遠ざかります。過去、現在、未来という時間軸という枠から離れて「いま」を感じるにあたっての障害は「考える」ことだからです。とまあ「いま」を知り尽したような口ぶりで書いてしまいましたが、精進すべき極めて大切な点であると自戒しています。有難うございました。
2009年01月10日 08:14
 ワンギーサさん、新さん、おはようございます。
「今日は7時に起きました。外が明るくなったからです。体に善い事ですか。」と、過去のことを相談することは、放逸ですか。
ワンギーサ
2009年01月10日 10:14
新さん、おはようございます。昨日のコメントに対するコメントです。仏陀の説法の目的はいつも同じです。私たちが涅槃に達することです。すなわち真の幸福になることを説法しているのです。ですから一つのお経だけで十分です。しかし、私たちはそれを、すぐに忘れてしますのです。また、同じことを繰り返し聞くと飽きてしまいます。そこで、同じ内容をいろいろ形で繰り返し聞く必要があるのです。
ワンギーサ
2009年01月10日 10:18
ツヨシさん、おはようございます。仏教はあまり身体に善いかどうかは問題にしません。心に善いかどうかを問題にします。過去のことを相談するのは、心に善いことであれば、放逸ではありません。
2009年01月10日 10:39
ワンギーサさん、ご指導有難うございました。確かに、その時の状況によってピンとくる経典は変わりますね。それが昔習った教えを再認識させてくれる。有難うございました。
2009年01月11日 09:00
 ワンギーサさん、ご指導ありがとうございます。
 心に善い事に、気をつけて、相談するようにします。
身の丈修行者
2015年03月22日 09:27
以前楽しい事がないと生きている意味がない・・との認識していた時期がありました。その為無理やりでも旅行や何かに参加する予定を入れる自分がいました。
それを実行しても心が満たされる結果にはなりませんが、目の前にニンジンをぶら下げ・それを見ながら生きる必要がありました。
不放逸の事を学び、今・ここで自分が感じている事を観察する大切さを知りました。
それ以来、旅行等の予定を入れなくても自分の心的に困る事はなくなりました。
生き方を少し変えただけと思いますが、心の安定さが全く違うと感じています。
今後も精進して参りたいです。

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