放逸を危険だと見る修行者は後退はなく涅槃に近い

ダンマパダ 32番


不放逸を楽しみ
放逸を危険だと見る比丘は
後退することはなく
すでに涅槃の近くにいる


○この詩から学ぶこと

 今回の詩で不放逸の章は終わります。不放逸についてまとめてみましょう。

 21、22、23番の詩。不放逸とは生きていることを自覚していることです。放逸とは無意識に生きている、死んでいるようなものです。

 24番の詩。不放逸な人とは①やる気がある人、②気づきがある人、③行いが清らかな人。④慎重に行う人、⑤自分を抑制する人、⑥法に従って生きる人、であると述べられています。

 25番の詩。不放逸になるとは①やる気によって、②不放逸(気づき)によって、③自制によって、④調御によってなるのです。(不放逸には広い意味と狭い意味で使うことがあります。)

 26、27番の詩。不放逸とは正念を持続することと述べました。

 28番の詩。放逸は不放逸で取り除くものだということ。

 29番の詩。不放逸と怠けないとは次元が違う。不放逸は聖なる実践です。怠けないは世俗の実践です。聖とは目標が涅槃であるということです。世俗とは目標が生きるということです。

 30番の詩。戒律を守ることは不放逸でなければ実践できません。ですから戒律を守ることは不放逸の実践なのです。

 31番の詩。不放逸は小さな煩悩も大きな煩悩も一つずつなくしていくことです。

 32番の詩。不放逸が以上のような意味を持っているので、不放逸な人は涅槃への道から後退することはないでしょう。また、涅槃の近くにいることは間違いないでしょう。


○放逸を危険だと見る修行者は後退はなく涅槃に近い


~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年01月18日 06:06
ワンギーサさん、おはようございます。仏道を実践し続ければ「不放逸」な人になれるのでしょう。具体的には「八正道」の実践を持続出来ることですが。放逸とは、非難されるべきかなり悪い意味だった、言葉なんですね。有難うございました。
2009年01月18日 09:06
 ワンギーサさん、新さん、おはようございます。
 慈悲喜捨の喜に、ついてです。
「お酒を飲んで、楽しかったです。」と友人が言います。
 お酒を飲めて、よかったですね。というのは、喜びの共感になりますか。
 友人は、酒を飲むこと願い、願いがかなっていますよね。
 自分は、酒を飲むことは、悪い、と思っています。 
あっきん
2009年01月18日 09:48
おはようごさいます。仏陀の教えは高次元ですね。自分が変わり少しでも高次元に近づかないと到達できなのですね。私的、不放逸の解釈が以前より変わりました。ありがとうございました。
ワンギーサ
2009年01月18日 23:22
新さん、あっきんさんコメントありがとうございます。

ツヨシさん、への答え。
ツヨシさんの質問は実際のできごとですか?架空のことを妄想しない方いいですよ。実際のことならば、自然の流れで、その場の状況で答えることになります。お酒を飲んで喜ぶという次元の低いことに共感するより、心を育てる喜びに共感するように、人間関係を作るよう努力してください。
2009年01月19日 07:33
 ワンギーサさんへ
 話は、実際のことです。
 心を育てるよう、努力します。
身の丈修行者
2015年03月25日 07:14
不放逸は生きている、放逸は死んでいる・・とても分かり易いです。
生きている中で放逸の時間の方が圧倒的に長い?ような自分の印象を感じます。
少しでも不放逸を増やせるように精進したいです。

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